中小企業の価格転嫁の実態
ここ数年間、毎日のようにニュースのヘッドラインを賑わす「インフレ」「金利上昇」に関連して、経営の現場に近い統計を踏まえつつも、あえて距離のあるマクロ経済推計の事例を交えた解説をお届けします。
さて、本稿をお読みの経営者・経営幹部の皆様は、この数年における各種コストの高騰について、どの程度価格への転嫁ができていますか?
中小企業庁による「価格交渉促進月間フォローアップ調査結果」によると、コスト全般の増加に対する実際の価格転嫁の割合は、近年上昇局面傾向にあるものの、2025年3月の時点の転嫁率は52.4%にとどまっており、コスト上昇分の約半分しか価格に転嫁できていません。
2025年版中小企業白書では、さらなる実現が期待される、とまとめられています。
ここまでは、共感される読者も少なくないでしょう。
※出典:中小企業庁「価格交渉促進月間フォローアップ調査結果」
https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/torihiki/follow-up/dl/202503/result_01.pdf
※出典:中小企業庁「2025年版中小企業白書」
https://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/2025/PDF/chusho/00Hakusyo_zentai.pdf
金利上昇で経常利益が増加するという推計も
では、この先はどうでしょうか。同白書のコラムに、「外部環境の変化がもたらし得る企業収益への影響」として興味深い分析がされています。
同コラムでは、2027年度までに政策金利が1.5%まで上昇した場合の、中小企業・小規模事業者の経常利益の変化を推計しています。
1.5%までの「金利上昇」ケースを、金利が現行のまま推移する「金利据え置き」ケースと比較した場合、前者の方が、経常利益の増加額が27.8%大きい、という試算結果が示されています。
要因別では、人件費(▲16.9%)、利息収支(▲7.9%)は利益を圧迫する一方で、限界利益(「売上高」―「変動費」)により+44.0%増加し、為替要因でも+8.6%が利益に寄与するため、コスト増(人件費・利息収支)をカバーして経常利益が増加する、という内訳です。
中小企業経営の切実な問題として、賃上げや利上げによるコスト増加を悲観する言説が飛び交う昨今、冷静な試算を試みた同コラムは意義深いものと感じます。
ただし、要因分解が示す通り、増加要因の大半を限界利益が占めます。
根底には、金利上昇は物価上昇局面で起こるのだから、その環境では硬直化していた価格決定プロセスが柔軟化し、合理的に転嫁できた企業の収益は増加する、という経路が示唆されています。
我が社ではどうか、今後どうしたらよいのか
目線を手元に戻して、貴社ではいかがでしょうか。既に転嫁ができた、あるいは良い兆しが見えている、という企業も少なくないと思います。
一方で、現実には思うように交渉が進まず、失注を恐れて躊躇してしまうなど、価格転嫁の話が棚上げされている企業もあるかもしれません。
しかし、本稿をお読みの方には是非とも、改めてこのお話に正面から向き合っていただきたいと思います。
なぜなら、我々が現状を憂いているこの間にも、外部環境は刻々と変化しており、今後もその動きがさらに加速する可能性があるからです。そうした変化に取り残されるわけにはいかないのです。
貴社が身を置く業界・サプライチェーンの中には、既に緻密で巧妙な営業・交渉により、価格転嫁に成功しているプレーヤーが存在しているかもしれません。
むしろ、隠れた勝者は既に存在していると認識する方が、競争上は合理的でしょう。
統計やマクロ経済の指標は、個々の積み上げです。動く人は、動くのです。そして、誰かが動けば、先ほどの推計に沿った結果が実現していきます。
実務からはほど遠く見えるこの関連性は、忘れてはいけないと考えます。
では、満を持して向き合うとして、結局、私たちはどうしたらよいのでしょうか?
本稿では、昨今の環境変化を経て、さらに重要性が高まった経営の機能と、頭の体操としての逆転のマインドセットの一例をお示しします。
機能~会社の自律神経「管理会計」を機能させよう
まず点検していただきたいのは、管理会計です。ここでは、決算書で目にする財務・税務会計だけではなく、実務上の重要業績評価指標と紐付いた業績管理の仕組みと捉えてください。
話が逸れるようですが、我々生身の人間には、ホメオスタシス(恒常性)という機能が生まれながらに備わっています。
暑ければ汗をかき、寒ければ身震いをすることで、体温を一定のレンジに維持しようとする事が良い例ですが、無意識のうちに自律神経が作用し、生命維持を図っています。
企業も、しばしば生き物に例えられます。しかし、企業のホメオスタシスは、先天的には機能しません。
経営者が、人間の自律神経にあたる部分を設計し、組織の中でうまく作用するようにインストールし、常に起動し、アップデートする必要があるのです。
私は、企業のホメオスタシスで最重要なものの一つが、管理会計であると考えています。
適切なタイミングで外界の情報と体内の情報を統合し、経営判断に足る形で可視化し、能動的に手を打っていかなければ、企業体は生命維持ができないのです。
変動費の単価変動により、限界利益は圧迫されていませんか?
セグメント別ではどうでしょうか?対する打ち手は適切な場所に打ち、意図した結果は反映されていますでしょうか?
まずは、自社の自律神経がうまく機能しているかどうか点検して頂くことをお勧めします。
逆転のマインドセット~再起を促す追い風と捉えよう
ところで、筆者の業務の大きい割合を占めるものに、一般に「事業再生支援」と呼ばれるものがあります。
様々な理由から経営不振に陥り、往々にして借入金が過大となり、資金繰りに悩む企業の経営改善のお手伝いをするものです。
もしかしたら、本稿の読者の中にも、まさに悩んでいるという方もおられるかもしれません。
そうした方々にエールを贈る思いで、一見逆風に感じるインフレ・金利上昇を、むしろ追い風と捉える逆転のマインドセットをお伝えしたいと思います。
頭の体操としてお付き合いください。経済学では、「インフレ税」という不思議な名前の現象があります。
これは、物価上昇で名目GDPが増加し、税収も増加することで、政府債務が相対的に減少することを指します。
国政での「取りすぎた税金」議論が象徴するように、インフレは、「過去に作った借金」を軽減します。
多額の債務を抱える日本政府にとって、適度なインフレ環境を干天の慈雨と捉える説があるのです。
日本「政府」にとって、という点がミソですが、本稿ではインフレ税のご紹介に留めます。
応用して、主体が個人でも企業でも、同様の現象が起こると考えてよいでしょう。
賃上げ・人手不足の波に乗って高収入を勝ち取る個人や、材料費高騰・担い手不足の波に乗って、追加マージンを得ながら価格転嫁を実施する企業の姿をイメージしてください。
彼らが、そのしたたかな行動によって将来の名目賃金・名目限界利益の増加を勝ち取ることができれば、借入金の実質的な負担は軽減するのです。
現金の価値が増大してきた過去のデフレ環境と比べ、むしろインフレ環境ではその改善スピードは加速します。
このように、値決めの柔軟性が復活しつつある現在の環境は、再起を促す追い風とも捉えられるのではないでしょうか。
加えて幸いなことに、過去に作った借入金の残高は変えられませんが、これから獲得する限界利益は、工夫次第で変えることができます。
本稿を機に、管理会計を再点検し、一つでも多くの改善策の仮説を立て、安定利益の確保、あるいは、必要利益目標の必達に向けて手を打っていただきたいと考えております。
そして、外部環境のポジティブな側面に目を向けることで、前向きに経営と向き合うための心のエネルギーの一助となれば幸いです。
株式会社アタックス・ビジネス・コンサルティングでは、経営判断に資する収益構造の分解およびセグメント別会計の導入をご支援しております。
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筆者紹介
- 株式会社アタックス・ビジネス・コンサルティング 中小企業診断士 間瀬 啓太
- 名古屋大学経済学部卒業後、地方銀行に入行。住宅ローンから事業性融資まで経験を積む中で中小企業診断士を取得後、経営コンサルタントを志してアタックスに入社。現在は、中小企業活性化協議会の個別支援チームとしての事業再生計画策定支援、その後の伴走支援に従事する他、中期経営計画策定支援や業績管理制度の導入支援、後継者育成サービスであるアタックス「社長塾」の伴走コンサルタントも担当。
プライベートでは、大の音楽好き。中学時代からギターを始め、学生時代の大半はほぼバンド活動に捧げる。きっかけとなったMr.Childrenのファンクラブ歴は10年以上。