残った社員が再建した快進撃企業

経営

出雲空港から車で30分程走った山あいの町「雲南市」に、協栄金属工業株式会社というモノづくり企業がある。

同社の創業は、今から50年前の1972年、もともとは、地域の雇用の場をつくるために、行政が誘致した進出企業である。

開所式には、地元の関係者が多数参加し、設立を祝ったが、この企業は進出して7ヶ月後、受注不足や不況の影響等もあり、あえなく倒産をしてしまうのである。

しかしながら、行政をはじめとした地域総出での誘致企業でもあり、規模は小さくしたとしても、何とか再建しようと、残った社員や金融機関は考えた。

この地を離れることのできない、残った10数名の社員の懸命な努力が実り、危機も何回もあったが、現在では社員数80名、雲南市では最大規模の企業にまで成長発展している。

社員の努力や行政・金融機関、そして金融機関等の支援もあったとはいえ、地元では「奇跡の再建企業」等と言われている。

それどころか、今は、毎年地元高校生の就職先として、また県外の大学生や社会人のUターン先企業として、また、なくてはならない企業として高く評価されている。

同社の再建の最大の功労者は、現社長の小山久紀氏である。

小山氏は、地元出身であるが、それまで勤務していたゴルフ場を経営する企業が倒産してしまい、それで止む無く、万年人手不足の協栄金属工業に入社したのである。

入社し、まず驚いたことは、職場は荒れ果て、お互い様風土どころか、個人主義が横行し、毎月のように離職者もいて、毎日の出社が嫌になるほどの状況だった。

社員数はピーク比半減以下になったことや、行政という支援者の取引先の紹介等も多く、仕事そのものは能力以上にあったので、人財を365日、募集をしていたが、1年に5人入社したかと思うと、10人が辞めてしまうといった、まるで「ザル」のような状態の企業であった。

その後、支援者たちは、中途入社とは言え、この間、身を粉にして頑張っていた小山氏に白羽の矢を立てたのである。

小山氏は、その前から経営に関する多くの本を読んだり、セミナー等にも参加し「経営の成否」は「CSではなくES」と確信していた。

株主や支援者たちに、そのことを話すとともに、それまでの業績重視経営から、例え業績が下がっても良いので、社員重視・社員の幸せ・働きがい重視の経営にシフトしていった。

その1つは、全社員の経営参加であり、全社員での情報の共有であり、さらには、夢と希望の見える中長期ビジョンの全社員での策定等である。

もとより、この間、権威・権限ではなく「背中と心で示す」率先垂範のリーダーシップを発揮していった。

こうした経営が、次第に社員の心を打ち、全社員に「自分たちの企業」「自分たちが当事者として頑張らなければ」と意識が変わっていき、全社員がそれまでの指示待ち的・受動的な取り組みではなく、能動的に仕事に取り組んでいったのである。

小山氏が社長になってからは、勝手の倒産から学び、一社一業種に偏らないようにバランスを重視し、あらゆる業種にまで広がり取引先数も今や80社に及んでいる。

またそれまで加工外注の仕事が大半であったが、設備力・技術力・管理力をこの間充実強化し、近年では山陰地方では少ない一貫生産型企業として差別化も図っている。

こうした企業の存在見せつけられると、問題は外ではなく全て内、リーダーの背中と心にかかっていると言える。

 
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筆者紹介

坂本光司

アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長  坂本 光司(さかもとこうじ)
1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。

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