馬路村の挑戦

経営

高知空港から車でくねくねした山間の道路を1時間半ほど走った中山間地に、馬路村という人口960人の小さな村がある。村の面積の96%は森林、2%は河川、田畑や宅地の可住地面積はわずか2%弱である。

昭和30年代の高度経済成長期においては、村人は3,000人いたが、基幹産業の林業の衰退と工業化社会、その後のソフト・サービス化社会への移行に伴い、年々人口は加速度的に減少し、今やなんと960人である。より深刻なのは、その高齢化率で今や村人の40%は高齢者である。

このままでは故郷が消滅すると危機意識を抱いた村の関係者が、今からおよそ30年前に立ち上がった。その中心人物は馬路村農協の職員たちである。

まずは雇用の場をつくらねばと、荒れ果てた森林の間にゆずの木を植え、これを村の第2の柱として育てていった。その後、ゆずの販売だけでは付加価値と雇用の場が十分創出できないと考え、今度はゆずの果汁売りに乗り出していった。

しかし当時は、販売力もブランド力もなく、大手のブランドメーカーの下請工場として、ただひたすら薄利多売の生産をするだけであった。しかもこうした単なる下請的取引は、季節の変動や、好不況により発注者に買いたたかれることが多く、関係者は次第に、いつの日か値決めができる自家商品をつくらねば・・・、という思いを強めていった。

その後、努力を知って、支援に乗り出してくれたデザイナーや、大学関係者等の協力もあり、昭和62年に初めて自家商品を開発・販売した。この商品こそ、「ごっくん馬路村」(ゆずのジュース)である。この商品はたちまち全国で大反響となった。その理由は、商品のネーミングもさることながら、小さな過疎の町の挑戦ということで、多くのマスメディアが頻繁に取り上げてくれたからである。

この商品は発売以来、既に30年近く経過しているが、未だ馬路村JAの代表的商品として、年間200万本がコンスタントに販売されている。

その後は、ゆずを利活用した関連商品の開発にチャレンジしていき、今やその商品アイテムは60を超す。近年では、化粧品や医薬品にまで用途を広げ、今や、化粧品の売上高だけでも1億円を超す規模となっている。

こうした関係者の努力が実り、馬路村のゆずビジネスは、スタート当時、わずか3,000万円だった売上高が、今や30億円に迫ろうとしている。また、スタート当時、ゆずの生産に協力した農家は、わずか数軒だったが、今や118軒に増加し、馬路村JAは地域の最大企業となり、村の雇用を下支えしている。

まさに全国のJAのモデルといえるケースである。

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筆者紹介

坂本光司

アタックスグループ 顧問
経営学者・元法政大学大学院教授・人を大切にする経営学会会長  坂本 光司(さかもとこうじ)
1947年 静岡県生まれ。静岡文化芸術大学文化政策学部・同大学院教授、法政大学大学院政策創造研究科教授、法政大学大学院静岡サテライトキャンパス長等を歴任。ほかに、「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞審査委員長等、国・県・市町村の公務も多数務める。専門は、中小企業経営論、地域経済論、地域産業論。これまでに8,000社以上の企業等を訪問し、調査・アドバイスを行う。

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