もたれて歩けるキャリーバッグ -株式会社スワニー

経営

西浦道明のメルマガ 2022年3月

2014年から、当メルマガでは自社独自の「池(市場)」を見つけ出し、その池の「クジラ(圧倒的なシェア・ナンバーワン)」となった結果、高収益を獲得・維持している中堅中小企業をご紹介している。

連載91回目の今回は、香川県東かがわ市で、グローブ(ファッション、カジュアル、ドレス、スポーツ等)および、ラゲッジ(鞄類)、車いすの生産販売および輸出入事業を行う株式会社スワニー(以下、S社)の池クジラぶりを見ていきたい。

S社は、1937年、現在の東かがわ市で三好冨夫氏が創業した。

当初、90%のシェアを誇る地場産業の手袋一筋で事業を行ってきた。

S社のグローブは北米や欧州を中心に高く評価され、特にスキーグローブは、アメリカではブランド売上ランキング1位を7年連続達成するまでになった。

現在は、歩行を楽にする“支えるバッグ”や、世界最小クラスの車いすなどの生産販売にも取り組み、企業理念である「世界中にあたたかさを届ける」を実践している。

本稿では、歩行を楽にする“支えるバッグ”について取り上げたい。

2代目の現相談役三好鋭郎氏(以下、M氏)は、生後6ヶ月で小児麻痺を患い、右足が不自由である。

そうした不自由にもかかわらず、父の会社を立派にすることが自分の使命と考え、手袋を拡販すべく、25キロもの見本を抱え世界行脚に出かけた。

1967年、ニューヨークで車輪付きのトランクケースを見つけ購入した。

これがきっかけとなり、「飛行機内に持ち込めるサイズで伸び縮みする取っ手をつけたら、動く手すりとして使えるのでは…」と夢を膨らませた。

バブル崩壊後、手袋産業の売上は6割まで落ち込み、一挙に斜陽産業化した。

1995年、「このままでは会社の成長発展はない」と、そもそも手袋産業が季節商品だったことから一年中売れる商品を模索した末、自らの夢であったキャリーバッグの製造を決意した。

M氏は既に54歳になっていた。

当時、トラベル用のキャリーバッグはあったが、バッグの取っ手を引っ張るものだった。

M氏は、自らの経験から、日常生活の中で杖代わりになる体を支えるバッグを目指した。

1997年、一旦完成したバッグを製品化したものの、その後3年間売上が伸びず4億円の累積赤字が積み上がった。

「そんなもの売れない」と、健常者だった幹部社員から反対され、バッグ事業からの撤退を迫られた。

それでも、M氏は「世の中には、自分と同じように足が不自由な方がたくさんいて、体の支えとなるバッグは絶対に必要だ」と、地道に改善に取り組んだ。

M氏がこだわったのは、「体を支えた時に倒れない安定した取っ手」と「自由自在に動く車輪」の2点だった。

取っ手の解決策がなかなか思いつかない中、上海出張の際、突如「パイプを湾曲させればいい」というひらめきが走った。

また車輪については、当時、キャスターのトップメーカーを訪問し、その社長から助言をもらい、ベアリングを使えば360度なめらかに回転し細かい動きに対応できることに気づき、消音対策も施したS社オリジナルキャスターを作り出した。

2005年、8年の歳月をかけたが、M氏の念願だったS社のスワニーバッグが完成した。

現在では、毎年、お客様から8000通を超えるお礼のハガキが届くまでになった。

さらに、その手紙は単なるお礼の内容だけではなく、より使いやすさを求める多くの声が書かれていて、貴重な情報源にもなっている。

また社員も、そのハガキを読むことで、自分たちの仕事が誰かの役に立っていることを強く実感して、さらにやる気を高めている。

S社は、それまで、移動に不便を感じていた多くのお客様からの高い評価を得てきた。

S社は、「もたれて歩けるキャリーバッグという市場(池)」のクジラとなっている。

  
  
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筆者紹介

西浦道明

アタックスグループ 代表パートナー
公認会計士 税理士 西浦 道明(にしうらみちあき)
1981年、株式会社アタックスを創業。中堅中小企業の経営の専門家として「社長の最良の相談相手」をモットーにしている。
東京・名古屋・大阪・静岡・仙台を拠点に、中堅中小企業の総合的なご支援に力を注ぎ、約200名のコンサルタントとともに日本に「強くて愛される会社」を一社でも多く増やすために汗をかく。
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