売上の約10%は研究開発費 -本多電子株式会社

経営

西浦道明のメルマガ 2016年2月

2014年から、当メルマガでは自社独自の「池(市場)」を見つけ出し、その池の「クジラ(圧倒的なシェア・ナンバーワン)」となった結果、高収益を継続している中堅中小企業をご紹介している。

連載18回目の今回は、世界初のトランジスタ・ポータブル魚群探知機の開発にはじまり、その後も超音波技術を核とした超音波応用機器の製造販売を行う本多電子株式会社(以下、H社)の池クジラぶりを見ていきたい。

そもそも超音波技術は、1912年のタイタニック号の沈没後、世の中が水中の氷山を探すことを求めたことから研究開発が進んだ。

H社は、1956年、現社長の本多洋介氏(以下、H氏)の父が、世界初、小型軽量のトランジスタ・ポータブル魚群探知機を開発したことで、魚群探知機の専業メーカーとして設立された。

それまでは、真空管を利用した大型で重いものしかなかったため、海外、特にアメリカで高く評価され、1980年代の初頭には、売上の約70%が輸出向けとなった。

そして、レジャー用小型魚群探知機では世界のトップメーカーに上り詰めた。

しかし、順調だったH社の業績を大きく揺るがす出来事が起きた。

それが1985年のプラザ合意以降の円高進行と1987年にニューヨーク市場で株価が大暴落した「ブラックマンデー」である。

当時売上の50%を占めていた米国向け輸出は、あっという間に半減した。

1987年に社長に就任したH氏は、アメリカで自社の魚探が投げ売りされている現状を目の当たりにし、それまでの拡大志向が間違いであったと気づき、アメリカ販売子会社撤退の決断をした。

この極めて辛い経験を通し、H氏は、事業の撤退・縮小は絶対にやってはいけないと強く肝に銘じた。

そして、長期安定利益を出し続けるために知恵を絞ることの大切さを痛感した。

1つの製品・市場に依存し過ぎて危機に直面した経験から、大反省して目をつけたのが、H社が創業以来携わってきた魚群探知機製造のコア技術「超音波技術」であった。

1980年、H社は、超音波技術のコアとなる圧電セラミックスの自社開発・生産に成功し、その後、様々な超音波の周辺技術を開発した。

こうして、超音波技術の新用途開発に乗り出す絶好の環境が整った。

その結果、魚群探知機はもちろん、産業分野、医療分野、食品分野などの新市場を次々と創造し、超音波総合メーカーとしての地位を確立して行った。

H社がここまで成長した大きな理由は二つある。

超音波に関する技術開発に専門特化し、展示会や学会などに参加して大学等の研究者と交流を積極的に推し進め、技術力を深めてきたことが一つ。

もう一つは、異業種との共同研究・共同開発を通して世の中のニーズを発掘し、新市場・新用途開発に向けて毎年売上の約10%を研究開発費に当ててきたことである。

「研究開発費を削れば利益幅は拡大する。ただ、研究開発しなければ、当社は当社でなくなる」「また研究開発に挑戦した人財は、成功・失敗を含めた成長実感を得られ、さらに、研究開発を通じて、超音波技術を必要とする大学教授や企業との新たな出会いがある。バランスシートには表れないが、研究開発で得られた 一次効果や二次効果は会社の財産である」とH氏は言う。

  
  
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筆者紹介

西浦道明

アタックスグループ 代表パートナー
公認会計士 税理士 西浦 道明(にしうらみちあき)
1981年、株式会社アタックスを創業。中堅中小企業の経営の専門家として「社長の最良の相談相手」をモットーにしている。
東京・名古屋・大阪・静岡・仙台を拠点に、中堅中小企業の総合的なご支援に力を注ぎ、約200名のコンサルタントとともに日本に「強くて愛される会社」を一社でも多く増やすために汗をかく。
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