岩田稔投手~1型糖尿病患者に勇気を与え続けた16年【第156回】

岩田稔投手~1型糖尿病患者に勇気を与え続けた16年【第156回】

2021年のプロ野球ペナントレースは、各チームとも残り10試合前後といよいよ大詰めが近づいています。セリーグは東京ヤクルトスワローズにマジックが点灯し、既にカウントダウンが始まっています。

一方パリーグは、首位のオリックスバファローズを2.5ゲーム差で千葉ロッテマリーンズが追う展開ですが、10/12(火)から始まる直接対決の三連戦である程度のメドが立つのかもしれません。

こうした熾烈な優勝争いとは少し掛け離れた話題となりますが、今回は今シーズン限りでの引退を表明された一人のベテラン投手を取り上げさせていただきます。この選手は高校生の時に発症した1型糖尿病の為、毎日朝昼晩の食前と寝る前の一日4回、血糖値を下げるインスリン注射を打ちながら、16年間のプロ野球人生を終えられました。その方は阪神タイガースの岩田稔選手です。

岩田選手は1983年10月31日生まれ、まもなく38歳になられます。大阪府守口市出身の左投左打の投手です。小学校1年生から野球を始め、守口市内の公立中学から高校野球の名門大阪桐蔭高校に進学されました。2年生の秋からエースとしてチームを支え、秋季大阪府大会で準優勝、近畿大会でもベスト8に入っておられます。

ここまでは順調だった岩田投手ですが、この後に野球人生、というより人生そのものを左右する出来事が起こります。2年生の冬に風邪を引いた際のウィルス感染が元で1型糖尿病を発症し、まさに人生そのものが暗転しかねない試練に直面されています。

ここで少しだけ1型糖尿病という病気に触れさせていただきます。一般的に糖尿病というのは生活習慣に起因する生活習慣病と思われがちですが、糖尿病患者の大半を占めるこのタイプは2型糖尿病と呼ばれています。一方1型糖尿病は、今も原因が不明で小児期から少年時代に発症することが多いそうです。

現在の医学の水準では、いったん発症すると生涯にわたって毎日4~5回の注射またはポンプによるインスリン補充が必須のようで、補充がないと数日で死に至ることもある難病のようです。日本国内での年間発症率は10万人当たり1~2人と極めて希少な病気である為、患者と家族の精神的、経済的な負担が大きいと言われています。

高校2年生の冬に発症した岩田投手の胸中がどんなものだったか、察して余りある気がいたします。そんな岩田投手に希望を与えたのは、同じ病気で毎日のインスリン注射を打ちながら投手として大きな実績をあげられた、元読売ジャイアンツのビル・ガリクソン投手の存在でした。

ガリクソン投手が読売ジャイアンツに在籍されたのは、1988~1989年の2年間だけでしたが、来日前も米国への帰国後もメジャーリーガーとして活躍され、特に帰国後の1991年にはデトロイト・タイガースで20勝9敗の最多勝、メジャーリーグ通算で162勝もされた大投手でした。

そして大阪桐蔭高校では3年生になってもエースナンバーを背負われていましたが、腰の故障もあり、高校生活最後の夏の甲子園を目指す大阪府大会での登板機会はなかったようです。ちなみにですが、この時のチームメイトには同期で現埼玉西武ライオンズの中村剛也選手、1学年下には後に千葉ロッテマリーンズや阪神タイガースで活躍された西岡剛選手がおられました。

岩田投手は高校卒業後は社会人の野球チームでプレーを続けることになっていたそうですが、1型糖尿病の影響で内定が取り消され、関西大学への推薦入試で進学されています。しかし大学進学後も故障に悩まされ、関西学生野球リーグでの通算成績は、23試合の登板で6勝10敗、防御率2.11、143奪三振という成績に留まっておられます。

ただ最速151㎞/hの速球や縦に割れるカーブを軸に、カットボールやチェンジアップなどの多彩な変化球を投げ分ける投球スタイルを当時阪神タイガースのスカウトだった山口高志氏(関西大学OB、現役時代は阪急ブレーブスで新人王をとった豪速球投手、後に阪急・オリックス・阪神でコーチ、スカウトを歴任)に見出され、2005年当時の制度であった大学・社会人ドラフト会議の希望枠によって阪神タイガースに入団されています。

入団後は高校の先輩で同じ左腕投手にちなんで「今中二世」と呼ばれるなど、大きな期待をされていましたが、1年目・2年目は計5試合の登板に終わるなど、活躍には程遠い状態でした。ただ2年目のシーズン途中に、栄養士の資格を持つ小学校時代の同級生と結婚し、生活面の全面的なサポートを受けたことで、3年目の2008年に大きな飛躍を迎えられました。

2008年のシーズンは春季キャンプ、オープン戦を通じて好調で、初めて開幕一軍入りを果たし、横浜ベイスターズとの開幕カード(京セラドーム)の第二戦で先発に抜擢されると、6回1失点でプロ入り初勝利を挙げられました。その後4月後半の読売ジャイアンツ戦(甲子園)で初の完投勝利を挙げるなど、この年は一年を通して一軍のローテーションに定着されました。

結局この年はチーム2位となる159回3分の2イニングを投げて初めて規定投球回にも到達し、10勝10敗・防御率3.28という成績を残しておられます。
ただ一方でリーグ最多タイ記録の11死球や規定投球回に達した投手の中では最も多い7暴投、与四球もリーグ4位と制球面では課題も見えたシーズンでした。

そして翌2009年のシーズン前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では日本代表メンバーに選ばれ、中継ぎで2試合に登板し、日本代表の優勝にも貢献されるなど、プロ野球選手としての地歩を着実に踏み固めていかれました。

左ひじの故障・手術とリハビリの為に登板のなかった2010年と極度の不振に陥った2013年を除くと、岩田投手は毎年規定投球回数をクリアして、二桁には届かないまでも近い勝ち星を挙げ、防御率も2点台から3点台と、球界を代表するような投手ではないものの、チームにとっては欠くことの出来ない投手として活躍を続けられました。

今回岩田投手が引退を発表された際に、関西のスポーツ紙の名物記者が岩田投手が一番輝いた投球をされた日の思い出を綴った記事を目にする機会がありました。その記事によると、岩田投手が投げたその試合は2008年10月20日のクライマックス・ファーストシリーズの第3戦だったそうです。

その年、阪神タイガースは岡田監督のもとで開幕から快調に白星を積み重ね、7月後半には早々とマジックが点灯するような状況でした。しかし最大13.0ゲーム差もあった読売ジャイアンツから激しい追い上げを受けて優勝を逃し、3位の中日ドラゴンズを京セラドームに迎え、1勝1敗で迎えた第3戦が岩田投手の先発された試合でした。

この日の岩田投手は冴えに冴えて、まさに快刀乱麻のピッチングで、8回を投げて1安打無失点、これ以上ない役割を果たして後続に託されました。しかし好事魔多し、後を託された藤川球児投手が2死二塁の場面でタイロン・ウッズ選手にホームランを打たれて万事休す。阪神タイガースのシーズン最終戦になると共に、岡田彰布監督の阪神タイガースでの監督としての最終戦にもなってしまいました。

この試合のことを記憶に残す阪神タイガースファンは多いのですが、それは藤川球児投手が打たれたこと、岡田監督にとっての阪神タイガース最終戦になってしまった記憶です。でもその名物記者は、あの岩田稔の一世一代の投球として長く記憶に留めて欲しいと語り、岩田投手への惜別の思いを綴られました。

岩田投手は16年間の現役生活で200試合に登板し、60勝82敗、防御率3.38、854奪三振、規定投球回をクリアした年が5回、通算で12完投、5完封勝ち。
残念ながら投手のタイトル獲得は無し、オールスター戦出場も無し、2014年7月に一度だけ月間MVPに選ばれたことがありました。決して一流の成績ではなかったかもしれませんが、10月1日の引退会見では「やり切りました」と胸を張って答えられました。

前述したとおり、1型糖尿病を発症した後、岩田投手はビル・ガリクソン投手の存在に励まされたのですが、ご自身がプロの世界に入ってからも、8歳で1型糖尿病に発症しながらエアロビック競技の世界チャンピオンになられた、岩田投手の2学年年下の大村詠一選手の活動に勇気づけられたと語っておられます。

自分が頑張ることで1型糖尿病と戦っている人たちを勇気づけたいという気持ちを岩田投手も大村選手も強く持っておられるようで、岩田投手は1型糖尿病の子供たちを甲子園球場に招待したり、勝利数に応じて研究基金への寄付を行なうといった活動を地道に続けておられます。

また全国の1型糖尿病患者および家族を支援することを目的とする「認定特定非営利活動法人日本IDDMネットワーク(本部 佐賀市)」では1型糖尿病根絶(治療+根治+予防)を目指す研究への助成活動を行なっておられますが、その中には岩田投手の冠をつけた「岩田稔基金」というものも設けられています。

プロ野球がエンタテインメント産業である以上、監督・コーチ・選手をはじめ、運営に関わる裏方スタッフも含め、プロ野球関係者は観る者(ファン)に夢を与え、勝利を通じてファンに喜びを与える責務を負っています。岩田投手が16年間の現役生活で挙げた成績は、単に成績だけの比較をするのなら、特に取り立てて言うほどのこともない成績なのかもしれません。

しかし岩田選手の場合は、ご自身がガリクソン投手や大村詠一選手の存在に励まされ勇気づけられたように、1型糖尿病の患者さんやそのご家族にとっては、その存在自体が勇気の源であり、明日への希望の灯であったのではないかと思われます。そういった意味では、よくぞ16年もの長い間、プロ野球の現役選手であり続けていただいたことに、心より賞賛の拍手を送りたい気持ちです。

人間が本当の意味で人間らしく生きる為には、未来への希望なくしてそれは有り得ないのだと思われます。1型糖尿病患者とそのご家族にとっての希望の灯であった岩田投手は、現役引退後も1型糖尿病の子供たちを訪ね、そして1型糖尿病の根治に向けた啓発活動を続けていくことを明言されています。現役を退かれた第二の人生でも、1型糖尿病の方たちの希望の星であり続けもらいたいと願っています。

今回の岩田投手の引退にあたり、母校大阪桐蔭高校の恩師・西谷浩一監督はこんなねぎらいの言葉を送られました。「大あっぱれと言いました。岩田には強さを感じさせない強さがある。穏やかな顔に隠された強さです。その芯の強さがなかったら、病気を抱えながらプロでこんなに長くやれなかったと思います。」

西谷監督は指導する現役の高校生たちによく伝えておられることがあるそうです。「諦めたら、終わり。君たちにはこんな先輩がいるんだよ」。くじけそうになったり、逃げ出したくなった時、岩田投手の生き様が今も後輩たちの道しるべになっているようです。

岩田投手、16年間の現役生活、本当にご苦労様でした。「やり切った」と言いきれる達成感と共に、第二の人生における成功を心よりお祈りしたいと思います。そして我々はこんなプロ野球選手がいたことをいつまでも記憶に留めておきたいと思います。

(おわり)
2021/10/13

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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