稲葉篤紀監督~金メダルのうしろに見える、チームマネジメント【第153回】

稲葉篤紀監督~金メダルのうしろに見える、チームマネジメント【第153回】

開催するまでも紆余曲折があり、無観客での大会期間中には日本中の新型コロナ感染者が激増するという事態にも見舞われた東京オリンピックでしたが、なんとか最後の閉会式を終えることが出来ました。日本チームはトータルで金27・銀14・銅17の過去最高となる計58個のメダルを獲得するという快挙を成し遂げました。

そしてこの27個の金メダルのうちのひとつが野球日本代表(侍ジャパン)が獲得した野球競技のメダルでした。それは野球が公開競技として初めてオリンピック種目に採用された1984年のロサンゼルス大会以来の金メダル、プロ選手が参加するようになった2000年のシドニー大会以降では初めてとなる悲願の金メダルでした。

今回の大会で戦った5試合、楽に勝てた試合は1試合もありませんでした。しかしTV観戦した素人の私の目にもチームは1試合毎に強くなっていく様子が手に取るように分かりました。この24人の選手が一丸となった一体感はどこから生まれたのか、今回は稲葉篤紀(アツノリ)監督を中心にオリンピックを戦った侍ジャパンを取りあげさせていただきます。

それではまず最初に稲葉監督のプロフィールからご紹介させていただきます。稲葉監督は1972年8月3日生まれの49歳、愛知県北名古屋市(旧西春日井郡師勝町)のご出身です。現役中は左投左打の外野手兼一塁手として活躍されました。高校は中京大中京高等学校、その後は法政大学に進んでおられます。

高校時代は3年夏の甲子園出場をかけた愛知県予選の決勝戦で、当時1学年下におられたイチロー選手(本名鈴木一朗)率いる愛工大名電高校に4-5で惜敗し、甲子園出場はなりませんでした。実はイチロー選手のことは、中学生時代に稲葉選手も通っていた隣町である豊山町のバッティングセンターで、中学生としては速球とも言える120㎞のボールをポンポンと打ち返す同年代の左打者としてしっかり記憶に残っておられたようです。

その後進学された法政大学では1年生の春から試合には出ておられましたが、1塁手としてレギュラーに定着したのは3年生の春からであり、4年時には4番打者としてリーグ優勝に貢献、リーグのベストナイン、日米大学野球の代表選手にも選ばれる等、大学球界でも名の通った好選手でした。

1994年秋のドラフト会議でヤクルトスワローズから3位での指名を受け入団されたのですが、これは当時監督であった故野村克也氏がご子息である野村克則選手(当時明治大学3年生)の試合を神宮球場で観戦した際に対戦相手である法政大学の選手としてホームランを打った稲葉選手を記憶にとどめており、それが獲得につながったと言われています。

プロではヤクルトスワローズに10年、北海道日本ハムファイターズに10年、計20年間現役生活を送られました。腕をコンパクトにたたんで体に巻きつくようなスイングで内角のボールを打つのがうまい好打者でした。20年間の現役生活では、自らが主力打者としてヤクルト時代には二度、日ハムでも2006年に一度、リーグ制覇並びに日本一に貢献されています。

2007年にはご自身初となる首位打者ならびに最多安打のタイトルも獲得されました。そして2012年4月28日に出場1976試合目で史上39人目となる通算2000本安打を達成されています。ちなみにですが、その6日後の5月4日にはヤクルト同期入団の宮本慎也選手も通算2000本安打を達成されたのですが、奇しくも出場1976試合目での達成という珍しい記録が話題となりました。

稲葉選手は、現役選手としての代表チームへのメンバー入りも2008年の北京オリンピック、2009年・2013年のWBC(ワールドベースボールクラシック)の三度経験されています。北京オリンピックは星野仙一監督の下でベスト4止まり、WBCでは2009年は原辰徳監督の下で優勝、2013年は山本浩二監督の下で準決勝敗退と、喜びと悔しさの両方を味わっておられます。

こうして20年間の現役生活の中で5回のベストナイン、同じく5回のゴールデングラブ賞受賞という輝かしい実績を残し2014年に現役を引退されています。引退後は野球解説者、北海道日本ハムファイターズのスポーツ・コミュニティ・オフィサー(SCO)を務めるかたわら、代表チームの打撃コーチを務めてこられました。

そして2020年の東京オリンピック招致が決定し、野球が再び正式競技に復帰した後、小久保裕紀前監督の後任として代表チームの監督に就任されています。
2018年秋に開催された日米野球で初めて代表監督としての指揮をとられました。(勝敗は6試合戦って侍ジャパンの5勝1敗)2019年にはプレミア12大会でも代表監督として指揮をとり、優勝しておられます。

稲葉監督が代表監督に就任されて以降、選手は大会によってその都度選ばれますが、コーチ陣は一貫して同じ5人の方が担当されています。ちなみにですが、その5人は金子誠ヘッドコーチ兼打撃コーチ(北海道日本ハムファイターズ)、建山義紀投手コーチ、村田善則バッテリーコーチ(読売ジャイアンツ)、井端弘和内野守備・走塁コーチ、清水雅治外野守備・走塁コーチ(阪神タイガース)です。

今回の東京オリンピックのメンバーは2019年のプレミア12大会のメンバーがベースとなっていますが、プレミア12ではベンチ入りメンバーが28人だったものが、東京オリンピックでは24人となっており、ポジションや各選手の持ち味等を考慮し、稲葉監督とコーチ陣の間で相当協議が重ねられたのだと思われます。

ちなみにプレミア12の28人のメンバーは投手13人、捕手3人、内野手7人、外野手5人でしたが、東京オリンピックの24人のメンバーは投手11人、捕手2人、内野手6人、外野手5人という布陣でした。更に東京オリンピックのメンバーの中でプレミア12から継続して選ばれたのは、投手は11人中2人、捕手は2人中1人、内野手は6人中5人、外野手は5人中3人となっています。

この布陣をみても明らかなように攻撃陣はプレミア12のメンバーが中心となっているものの、投手陣はチーム編成を組み直したことが分かります。稲葉監督の選手選出の一つの基本は出たい気持ちの強い選手を選びたいという点にあるようです。

これは自らも選手として出場しメダルにすら届かなかった北京オリンピックの体験が背景にあるようです。この時稲葉選手は臀部を痛めており、100%のパフォーマンスが発揮できるか不安を抱えておられたようですが、そこに星野仙一監督から電話が入り「出たいんか、出たくないんか、どっちや」「出たいです」。
この時星野監督は「分かった」と一言だけ発せられたそうです。

これが稲葉監督の選手選びの根底にあり、「僕も気持ちの強い選手を選びたい」とのベースになっているのだと思われます。代表監督の先輩でもあり、代表監督としてのあり方を学んだ星野仙一元監督と同じような行動を、今度は稲葉監督がとられました。相手は読売ジャイアンツの坂本勇人選手、5月9日の試合で本塁へのヘッドスライディングで右手親指を骨折し、リハビリ中でした。

稲葉監督と坂本選手は稲葉監督が代表チームのコーチを務めていた2014年からの繋がりがあり、「ケガはどう?」と話しかけ、二人で話合われたこの時に阿吽(あうん)の呼吸で坂本選手の代表選手への招集が決まったと言われています。

坂本選手は「稲葉さんを男にしたい」と広言し、チームを自らの力でひとつに纏めることに注力してこられました。今回の代表チームでは、坂本選手、田中投手、大野投手の三人が1988年生まれの同世代でチームの最年長となります。今回のチームでは稲葉監督のお考えもあり、あえてキャプテンという存在を置いていませんが、私の目には実質的なキャプテンの役割を坂本選手が果たしておられたように思えました。

稲葉監督は全員が一流選手である代表チームを率いる難しさのようなものも語っておられます。例えばリードを許している場面で「ここを頼む」と投手を送り出す際にも、所属チームではそういう場面ではまず起用されない選手ばかりの集団であり、「負けている場面か・・・」と思いがち。そこを頑張ろうと盛り立てるのが大変だ、と語っておられます。

だからこそ常に選手への声掛けを欠かさないそうです。2019年のプレミア12で坂本勇人選手に代わって代打でヤクルトの山田哲人選手を起用したことがあったそうですが、ベンチに戻った坂本選手に稲葉監督は「すまん」と声を掛けられたそうです。その時坂本選手は「全然大丈夫です」と答え、ベンチの最前列で声を出して応援されたようです。

稲葉監督は以前、侍ジャパンの監督としての役割とは、と問われて「選手がプレーしやすい環境を用意することです」と答えておられました。ただオリンピックの開幕直前、東京に4度目となる緊急事態宣言が発出された直後には「準備はしないといけない。でも今は『競技をさせていただきます』という思いです」と慎重に言葉を選んでおられます。

コロナ禍の前は、侍ジャパンの使命について「選手の頑張りが子供たちに勇気を与える」と語っておられましたが、コロナ禍となってからは「勇気や感動を与えたい」という言葉は安易に口にされなくなりました。「野球の競技人口を増やすきっかけになりたい」との思いは変わらなくても、「全力で戦う姿に何かを感じてもらえれば」という控えめな言い回しをされるようになっておられます。

稲葉監督という方はこれぐらい気遣いをされる方です。代表チームは選手が主役とばかりに「選手ファースト」を打ち出しておられますし、先発を外す選手には「申し訳ない。後から頼むぞ」と声を掛けられるそうですし、飛行機でも選手にビジネスの席を譲り、自らはエコノミーの席に座られたこともあったそうです。

「監督のために」と選手たちに自然に思わせてしまう人間力の高さこそが、短期決戦に最も必要とされるチームの結束力の高さに繋がっているように思えてなりません。それは金メダル授与式の後、菊池涼介選手が自らの金メダルを稲葉監督の首にかけてあげて一緒に写真に納まった心温まるシーンに象徴されていたように思われます。

私は当初侍ジャパンのメンバーを見て、稲葉監督という方は自分のよく知っている選手あるいはビッグネームと呼ばれる選手へのこだわりをかなり強く持っている方なのかな、と勝手に思っていました。しかしそれは大きな誤解であったようです。

攻撃陣は確かにプレミア12に出場した選手が中心でしたが、投手陣は山本由伸投手を除くとほとんどが新たなメンバーでしたし、もし昨年当初の予定どおりオリンピックが開催されていたら森下暢仁投手は選ばれていなかったかもしれませんし、今年の新人である栗林良吏投手と伊藤大海投手が選ばれることはありませんでした。

栗林投手は全5試合の最終回に登板し、2勝3セーブという見事な活躍でした。痺れるような緊張感の中で度胸満点の投球でした。私の中で一番印象に残っているのは、準々決勝のアメリカ戦で延長10回表のタイブレーク(ノーアウト・ランナー1塁2塁からプレー開始)の場面を0点に抑えたシーンでした。

先発として2試合ずつを投げ試合を作った山本投手、森下投手、中継ぎとして3試合ずつを投げ見事に機能した岩崎優投手、伊藤大海投手の活躍も素晴らしいものでした。一方で思い切り振り回してくる中南米の打者相手に有効であろうということで招集された変則下手投げの青柳晃洋投手は残念ながらうまく機能しませんでした。

長年ニューヨークヤンキースに在籍しておられてアメリカ人のバッターには慣れているということで準々決勝のアメリカ戦に満を持して先発された田中将大投手でしたが、2点リードの4回表に無念の3失点。その後をリリーフした青柳投手は3ランホームランを打たれての3失点という結果でした。

青柳投手はプロに入ってリリーフ登板は1試合しか経験しておらず、そんな投手をリリーフに使ったということで稲葉監督をはじめとする首脳陣に相当激しく非難の声が集まったことは事実でした。ただ田中投手、青柳投手ともに以降の登板はなく、そういった意味では調子を見極めた上でかなりメリハリの利いた選手起用がなされていたことは間違いなさそうです。

稲葉監督が選出の段階からチームを引っ張ることを期待していた「勇人とキク」こと、坂本勇人選手と菊池涼介選手がチームの中で誰ひとりとして孤立することを許さず、世界的なレジェンドとも言える田中将大投手にも声出しをさせるなど、チームの輪に全員を巻き込んでいかれたようです。

準々決勝のアメリカ戦で3ランホームランを打たれて失意の中にあったかもしれない青柳投手には、打たれた翌日の稲葉監督の誕生日の会で全員の前でマイクを持ってハッピーバースデーの歌を歌わせるなど、みんなにチームの一員であることを意識させることで結束を高め、試合に勝つこと、金メダルを取ることに意識を高めていかれました。

一方で攻撃陣に関しては、1番山田選手、2番坂本選手、3番吉田正尚選手、8番村上宗隆選手、9番甲斐拓也選手の5人でチームの全得点24点中19点の打点が記録されています。しかしこのチームの4番は最後まで鈴木誠也選手でした。決して調子が良かったとは思えませんが、稲葉監督の信念は最後までぶれることはありませんでした。

この東京オリンピックでの侍ジャパンの戦いは、試合を重ねるに従って選手の調子の見極めがなされ、監督とコーチ陣が最後までぶれずに信念を貫き通し、個々の選手が自らの役割を果たした結果の優勝だったのだと思われます。

自らの役割を果たすということでは、準決勝の韓国戦の5回裏1点リードの場面で1番山田選手の二塁打の後、2番坂本選手が送りバントを試みたシーンがありました。ここまで打撃好調な坂本選手に対しては、一見消極的な作戦のようにも思えましたが、これは坂本選手自らが「バントしてもいいですか?」と申し出たことで、稲葉監督が作戦を変更された結果だったそうです。

坂本選手は結局バントを失敗したのですが、最後は右方向に飛球を打ち上げ、山田選手のタッチアップをサポートし、それが2点目に繋がっています。選手が自らの意思をしっかり示し、その決断を監督が信用することで、選手も自覚と責任をもって仕事ができるようになります。これこそが稲葉流のチーム運営術であり、チームマネジメントだと言って差し支えなさそうです。

今の若い選手たちにただ「やれ」と命じたり、「俺の言ったとおりにやれ」と強制するだけではうまくいくはずがありません。意図を理解させ、選手の言い分にも耳を傾けてあげる姿勢が必要なんだと思われます。その為にも共通の目標へ向けてチームあるいは組織がひとつになる一体感も求められるのだと思われます。

今回の東京オリンピックの侍ジャパンの戦いは、我々にそんなことを教えてくれたような気がいたします。侍ジャパンに集った24人の選手は、それぞれのチームへ戻り8月13日(金)から後半戦の戦いに臨みます。各チームともリーグ制覇そして日本一を目指し、更に熱い戦いを繰り広げていただきたいものです。

そして代表監督として指揮をとられた稲葉監督は、この東京オリンピックの金メダルを花道に勇退されるようですが、もしいずれかのチームで監督として指揮をとられることがあるのなら、長丁場のペナントレースを戦うチームマネジメントや采配でどんな手腕を見せていただけるのか、大いに楽しみです。

稲葉監督ならびに侍ジャパンに集った24人の選手のこれからのご活躍を心よりお祈りしたいと思います。

(おわり)
2021/8/10

「福山義人のプロ野球に学ぶ組織論」一覧に戻る

筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

※福山義人氏への講演依頼はこちらから