戸郷翔征投手~まだ発展途上!未来の大エース【第151回】

戸郷翔征投手~まだ発展途上!未来の大エース【第151回】

2021年のプロ野球は交流戦が終了し、今は同一リーグ内での熱戦が繰り広げられています。パリーグは6月30日現在、オリックスバファローズが東北楽天ゴールデンイーグルスに1ゲーム差をつけて首位ですが、5位まではたいした差ではなく大混戦の様相を呈しています。一方セリーグは、上位3チームと下位3チームの間でゲーム差が開いていますが、上位チーム間での優勝を目指した戦いは、まさにここから本格的な熱戦が繰り広げられようとしています。

そうした中、今回はケガ人、故障者の続出で苦しい状況を強いられながらも、ここへ来て陣容も整いエンジン全開となってきた読売ジャイアンツで、投手部門の勝利数8勝でリーグトップに並ぶ二人の若きエースのうち、高卒入団3年目の戸郷翔征(トゴウ・ショウセイ)投手を取り上げさせていただきます。

戸郷投手は2000年4月生まれの21歳、宮崎県都城市のご出身で、身長187㎝・体重75㎏の右投右打の投手です。野球をしていた父親と兄の影響で、3歳の頃から白球が遊び相手だったようで、誰に教わるでもなくボールと遊ぶ中で、この投げ方ならこの曲がりなのかと、まさに遊び感覚で変化球を身につけ、あとから球種名を知るそんな子供だったようです。

小学校1年から地元の少年野球チームで野球を始め、地元の中学の軟式野球部では、1年生時は捕手、2年生から投手としてプレーされたようです。高校は親元を離れ、同じ宮崎県内の延岡市にある私立聖心ウルスラ学園高等学校に進学されています。中学時代の戸郷選手の能力の高さは宮崎県内ではかなり知れ渡っていたようではありますが、なんせ体の線が細く、体力も備わっておらず、入学時点ではまだ2番手、3番手ぐらいの立ち位置だったようです。

同校野球部の小田原斉監督は、戸郷選手に対して食事を含めた体力づくりに専念させると共に、6月頃からは対外試合の経験も積ませ、地道にステップアップを促していかれたようです。これが可能となったのは戸郷選手ご自身が「やるべきことをコツコツ出来る、継続力のある選手」だったからのようです。こうして課題の体力面も鍛えられ、1年生の秋にはベンチ入りされることになります。

冬場に入ると小田原監督は、更に体力強化のためのトレーニングの強度を高め、食事も徹底的な指導をしていかれたようです。この指導を受け入れた戸郷選手の体格は大きく強く変化し、春の大会が近づく頃にはピッチングが見違えるように変化していったようです。

球速は5~6キロ伸び、140キロを超えるようになると共に変化球にもキレが出てきたようで、この冬場の成長は小田原監督のイメージをはるかに超えるものであったようです。プロ入りのずっと前の段階ですが、戸郷投手にとってはこの時期が一回目の覚醒の時期であったようです。

そんな成長した戸郷投手を軸に、聖心ウルスラ高校は見事2017年夏の甲子園出場を勝ち取ります。甲子園では初戦の早稲田佐賀高校戦は戸郷投手の11奪三振の力投で勝ち上がるも、2回戦の聖光学院戦ではミスも目立ち、4対5での敗戦でした。ただ甲子園を経験できたことは戸郷投手を大きく変え、新チームがスタートしてからは「プロに行きたい」とはっきり口にするようになったようです。

プロ野球選手になるという明確な目標が定まったことで、戸郷投手の練習はよりストイックなものとなり、新たな球種の習得に励んだり、チームから与えられたメニュー以上の回数を自らこなす等、さらなる高みを目指しての練習に力を注いでいかれました。そんなエースを擁するチームは春の県大会を優勝。そして夏の県予選連覇・2年連続の甲子園出場を目指しましたが、他校の徹底的な厳しいマークに合い、準々決勝の日章学園戦に2-6で敗退。目標であったプロ野球選手の夢はいったん潰えたかに思われました。

ところがこの年はたまたま「U18アジア野球選手権大会」が宮崎県で開催されることになっており、このことが戸郷投手の運命の扉を開くことになります。U18アジア選手権の壮行試合の相手を宮崎県選抜チームが務めることになり、戸郷投手もこのメンバーに選ばれます。夏の県予選敗退後も休まず練習に参加し、約2ヶ月間きっちり準備を進めていかれました。

そして試合当日、1回表に2点を奪われてなお2アウトランナー3塁の状況で戸郷投手の出番がやってきました。そこから6回表終了まで5回と3分の1イニングを投げ、25人の打者に対して与えた安打5本、与四球3、9奪三振、エラーがらみの2失点はあったものの、甲子園の春夏連覇を成し遂げた大阪桐蔭高校の根尾昴選手(現・中日ドラゴンズ)、藤原恭大選手(現・千葉ロッテマリーンズ)、報徳学園高校の小園海斗選手(現・広島東洋カープ)ら錚々たるメンバーを相手に見事な投球でした。

この試合は戸郷投手にとってプロ入り前の高校時代に経験する二度目の覚醒であったのだと思われます。そしてこの時の試合の映像を見て戸郷投手にほれ込んでくれた人がおられました。その人こそが、3度目の読売ジャイアンツ監督への復帰が決まったばかりの原辰徳監督でした。「投げっぷりの良さがすごく印象的だった。絶対に取ってくれとフロントにお願いしたんだよ」と原監督は後日談として語っておられます。見る目の確かさに感服いたします。

こうしてドラフト6位での入団が決まった戸郷投手でしたが、現在の活躍を見れば「何故ドラフト6位?」という疑問も涌いてきます。その理由は戸郷投手の投球フォームにあったようです。持っているボールは真っすぐも変化球もプロの水準であることは確か、ただ腕を後方まで大きくテークバックし、頭からも大きく離して投げる、いわゆる「腕投げ」と言われるフォームです。

指導者の視点では、この投球フォームは故障につながり易いと映るようで、しかも今のフォームで持ち味の球質を出せているのであれば、矯正して持ち味が消えてしまうのではないか、という心配もあるようです。現場の指導者にとって育て方が難しいと感じさせる点が他球団を指名に踏み切らせず、読売ジャイアンツも6位という低位の指名になった要因だったのだと思われます。

そんな戸郷投手に、将来の大器の片鱗としての素養を一発で見抜いてしまった原監督の慧眼は流石としか言いようがありません。こうしてプロ野球選手としての第一歩を読売ジャイアンツで背番号「68」番でスタートされた戸郷投手は、1年目の2019年二軍戦で11試合に登板、8試合に先発して4勝1敗、防御率3.00という成績を残されました。

そしてシーズンも終盤に差し掛かった9月21日に初の一軍昇格を果たし、この日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜球場)でプロ初登板・初先発のマウンドに立たれました。ただこの日はチームの5年ぶりのリーグ優勝がかかった大一番でもあり、異例のデビュー戦でもありました。結果は4回3分の2イニングを投げて2失点、被安打4、2与四球、4奪三振でした。チームが逆転したことで戸郷投手に勝ち負けはつきませんでした。

それから6日後、今度は本拠地での横浜DeNAベイスターズ戦の5回から登板して4イニング無失点の好投でプロ初勝利を挙げられました。その後もクライマックスシリーズ、日本シリーズでも登板の機会を得るという貴重な経験を積み、1年目のシーズンを終えられました。オフには背番号の「13」番への変更が発表されています。

2年目となる昨シーズン(2020年)はコロナの影響で開幕が6月後半までずれ込んだ年でしたが、開幕前の練習試合で結果を残し、開幕ローテーションを掴まれました。高卒2年目の投手の開幕ローテーション入りは、読売ジャイアンツでは1987年の桑田真澄投手以来33年ぶりの快挙であったようです。

巡ってきたチャンスをしっかりモノにし、開幕から3連勝。開幕から2ヶ月強が経過した8月末までに9試合に先発登板し7勝2敗。エース菅野智之投手と共にローテーションの軸となる活躍を見せ、この時点では新人王を広島東洋カープの森下暢仁投手と激しく争う活躍ぶりでした。

ただ9月以降は10試合に登板するも2勝4敗と失速してしまいます。登板数を積み重ねるに従い、相手チームにデータが渡り、徹底的に分析研究された結果であったのだと思われます。結局このシーズンは、19試合・107.2回の登板数で9勝6敗、防御率2.76という成績でした。二桁勝利に届かず、規定投球回数にも届かずという結果ではありましたが、高卒2年目の投手としては、何も恥じることのない実に見事な成績だったと思われます。

ただ後半尻すぼみに終わったことで戸郷投手はもがき苦しみます。そんな時、幸運であったのは、すぐ側に生きた教科書とも言える存在がいてくれたことです。その生きた教科書こそがエースの菅野智之投手でした。常日頃からマウンドでの心構えや技術面での相談をされてきたようですが、シーズン後半の苦しい時期にはセットポジションでの貴重なアドバイスも受けられたようです。

また10月に菅野投手ご自身が通算100勝の記念すべき勝利をあげた時には、その試合のヒーローインタビューで「今年は戸郷が頑張っています。彼もそういうところ(100勝)を目指して頑張って欲しい」と公開の場でエールを送られましたが、エールを送られた戸郷投手も「名前をあげてもらって嬉しかったです」と大きい励みになられたようです。

こうして迎えた昨シーズンの締めくくりの日本シリーズ、読売ジャイアンツは2年連続で4連敗という屈辱的な敗戦を喫しましたが、リリーフに廻った戸郷投手はチーム最多の3試合に登板し、計5回3分の2イニングを投げて2失点の好投でした。チームでただ一人表彰選手にも選ばれ、翌シーズンへ向けての手応えもしっかり掴まれた締めくくりでした。

そして迎えた今シーズン、戸郷投手は新しい背番号「20」番を背負い「昨年以上の成績を」と心に誓って1月の自主トレに入られました。欲しいのは1年を投げ抜くスタミナということで、強い身体を作るため、走っては食べ走っては食べ一日5食をとった結果、体重も4㎏増えてキャンプに臨まれました。
 
キャンプでは戸郷投手の前に心強い助っ人が現れます。それが今シーズンより一軍の投手コーチ補佐に就任された桑田真澄コーチです。桑田コーチは戸郷投手に対してありとあらゆる場面で「考えて練習すること」を求められたようです。その一環として、キャンプ中には意識づけをするためのトレーニングとして、こんな練習を指導されたそうです。

60球という限られた球数を投げる際に、その60球を前半・後半の30球ずつに区切り、更に30球を10球区切りの3セットに分割して投げ込む練習だそうです。前半の30球は普通のテンポで、後半の30球はやや速いテンポで約60球を投げ込んだ際に、10球のうち何球が狙ったところへ投げ込めたかをきちんと意識していくことだそうです。

これは限られた球数の中でどれだけいい球を投げることが出来るか、を意識づけするためのトレーニングだそうで、制球力を高めるためには短時間で投げて体に覚え込ませることが凄く大切だそうです。10球投げて全てがいい球とはいかなくても、10球のうち8球ぐらいはいい球が投げられるようになれば、制球力は高くなってくるそうです。

ちなみにですが、このトレーニングの指導を受けた戸郷投手も、最初はいいと思えた球は10球のうち1球ぐらいしかなかったとのことでした。ただそういう意識でやっていけば、もっと制球力も上がり投球レベルも上がっていくのでは、という手応えは掴まれたようです。

こうして迎えた今シーズン、戸郷投手は開幕2戦目の最初の登板こそ7回を投げて1失点と上々の滑り出しでしたが、相手チームの戸郷投手に対する分析、研究は思った以上に進んでいたのか、イメージどおりの投球が出来ず、4月終了時点で5試合投げて2勝2敗、防御率3.77の成績にとどまり、いったん二軍への降格を告げられています。

一回ローテーションを飛ばし二軍での調整を終えた後、5月・6月は8試合に先発し、6勝1敗とほぼ復調されたかのようにも思われます。ただ6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦では、6回まで快調なピッチングを続けておられたものが、7回に突如崩れて6失点。まだ不安定な一面も残しておられるのかもしれません。

今シーズンここまで13試合に投げて8勝3敗、うちクオリティスタート(QS:6回3失点以内)8回という成績は並の投手なら十分な成績なのでしょうが、戸郷投手への期待値、持っておられるポテンシャルの高さという点からは、まだまだのレベルの成績と思われます。その証拠に完投完封はまだ一度もありませんし、投げ終えた段階で0点に抑えていた試合もまだ1試合もありません。それが現時点で3.94という防御率にも表れているように思われます。

相手チームから研究し尽され、苦しい状況の中で3年目のシーズンを戦う戸郷投手ですが、この投手に途中経過とは言え、リーグ最多の勝ち星をあげさせる読売ジャイアンツ首脳陣の指導力、チームマネジメント力はまさに恐るべしと感じさせてくれます。

実は戸郷投手は6月26日の試合で8勝目を挙げた後、登録を抹消されています。故障ではなく、先を見据えての調整をさせるということのようです。前述のとおり防御率3.94はまだ本調子にはないことを示しており、事実6月26日の試合では抜け球も多く、球速も本来のものからは遅かった状況から、蓄積された疲労を考慮されてのものだと思われます。まさに、今無理をさせることはない、という原監督の先を見据えた戦術眼に基づく措置と思われます。

坂本選手、菅野投手の故障離脱、丸選手の不調による一時離脱等があっても代わりに起用された選手が穴を埋める活躍を見せています。新外国人選手のケガや突如の退団帰国といった不測の事態が発生しても、代替戦力がきっちり穴を埋めるチームマネジメントは見事としか言いようがありません。

原監督は各試合に名前を連ねる先発メンバーについて「全て『今日のベスト』というつもりでいる。強がりではなく、それがペナントレースというもの。これからもこの姿勢は変わらない」と語っておられます。一人一人の選手が自らの役割を認識し、どうチームに貢献していくかを考える姿勢には成熟した大人のチームという雰囲気を感じさせてくれます。

そんな中でローテーション投手という重要なポジションを担う戸郷投手が、ご自身の調子をどう整え、チームにどんな形の貢献をしていかれるか、大いに注目していきたいと思います。原監督は戸郷投手のことを「まだまだ途上だから。早く『戸郷』と呼びたいね」と少し辛口のニュアンスを込めながらも、発展途上の若きエースに愛情のこもった言い方をされます。

そこには「いつか大エースと呼ばれる、そんなピッチャーになってくれよ」という原監督の大きな目で見つめる深い愛情のようなものを感じます。この先にやってくるオリンピック休暇をはさみ、いよいよ本当の優勝争いがが始まる今シーズン、戸郷投手の益々のご活躍と戸郷投手に立ち向かう各チームの強打者たちとの真剣勝負を心から楽しませていただこうと思います。

(おわり)
2021/7/1

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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