早川隆久投手~躍進するゴールデンルーキー!【第150回】

早川隆久投手~躍進するゴールデンルーキー!【第150回】

2021年のプロ野球は交流戦も終盤となっており、熱戦が繰り広げられています。特にパリーグは交流戦の期間中にも首位の入れ替えがあるなど、実に熾烈な戦いが続いています。そんな中、6月8日(火)現在パリーグ首位に立つ東北楽天ゴールデンイーグルスの先発ローテーションの一角をしっかり守り、6/6時点で両リーグトップの7勝の勝ち星をあげているのが、新人の早川隆久投手です。今回はそんなゴールデンルーキー早川隆久投手を取り上げさせていただきます。

早川投手は1998年7月生まれの22歳、千葉県山武郡横芝光町出身の左投左打の投手です。小学校1年生でソフトボールを始め、地元の中学では軟式野球部に所属しておられました。その後、高校は私立の木更津総合高校に進学されています。この高校は千葉県下の強豪校のひとつですが、早川投手がこの高校を選択したのは、同校が掲げる「考える野球」に共感したからと伝えられています。

木更津総合高校では1年生の秋から背番号10を背負って投手として活躍し、2年生春の甲子園に出場されています。この時は1回戦で勝利投手にもなりましましたが、二回戦で敗退。高校2年の秋からは背番号1のエースとして3年生の春夏の甲子園に出場し、共にベスト8まで進出されるなど、ドラフト候補の投手と呼ばれるようにもなっておられました。

早川投手は後に進学された大学時代、そして現在のプロ生活でも、何の目的の為に今何をすべきか、を常に考えて行動しておられるようですが、このベースは高校時代に培われたようです。登板日には「体が完全に目覚めるのはいつか?」を考え、試合開始から逆算して起床時間を決めたり、食事の内容から道具の手入れ、入浴時間、就寝の際の服装等々、最大のパフォーマンスを支える為の「プランニング」の能力こそが早川投手を支える最大の武器なのかもしれません。

実は早川投手は高校2年生の秋には早稲田大学への進学に気持ちは傾いておられたようです。たまたまテレビで観ていた早慶戦で早稲田大学の大竹耕太郎投手(現・福岡ソフトバンクホークス)が完封で東京六大学リーグを制した姿に、純粋に「かっこいい」と思えたあこがれの気持ちからだったようです。

併せて早川投手が高校3年時に甲子園で競い合った、当時ビッグ4と呼ばれて評判の高かった投手たち(作新学院・今井達也投手、横浜・藤平尚真投手、履正社・寺島成輝投手、花咲徳栄・高橋昴也投手)と甲子園後のU-18でチームメートとなった早川投手は、その時点での彼らとの力の差を見せつけられたそうです。早川投手も高校生としてはスピードも遅くないし、変化球の精度も高いレベルにあったのですが、この時点ではこの4人と比肩できるものはないことを悟られたようです。

とは言うものの、高校3年の秋のドラフト会議でビッグ4の4人が次々と上位指名(今井達也投手:ドラ1[現・埼玉西武ライオンズ]、藤平尚真投手:ドラ1[現・東北楽天ゴールデンイーグルス]、寺島成輝投手:ドラ1[現・東京ヤクルトスワローズ]、高橋昴也投手:ドラ2[現・広島東洋カープ])されるのを見て、「俺もプロ志願届を出せばよかったのかな・・・」との思いも頭をよぎり、多少の後悔の念もあったようです。

ただそこから「俺は大学で4年間頑張ろう!」って気を取り直されたそうで、その時の悔しさが以降の原動力になったのかもしれないと後に語っておられます。こうして入学された早稲田大学では1年生の春からリーグ戦に登板されるなど、それなりの活躍はされていたのですが、本格化は3年生になってからで、チームのエースとして君臨し、秋の日米大学野球選手権大会にも選出され、最優秀投手賞も受賞されました。

早川投手は大学進学の時点から明確にプロを目指す気持ちは持っておられましたが、ただ「何が何でもドラフト1位で」とまでの気持ちではなかったようです。それは「プロの世界は横一線。どんな形でも、入団したら競争に勝つだけだから」と思っておられたようです。ただ大学3年の秋に行なわれたドラフト会議で早稲田大学からプロ志望届を出した4人の選手には、誰ひとり指名の声は掛からなかったようです。

そのうちのお一人はプロからも注目を集める好打者という評価だったにも拘らず、この厳しい現実を見せつけられた時、早稲田大学のコーチから「お前は来年ドラフト1位でプロへ行くことを意識しろ。複数球団の競合で指名される投手になれ」と声を掛けられると共に、時を同じくしてチームの主将に任命されたことが、早川投手の心にある種の覚悟を持たせることになったようです。

『あと1年。ドラ1、絶対に競合!』と目標を紙に書き、いつでも確認できるよう寮の冷蔵庫に貼り付けたそうです。当時の覚悟の心境を後にこんな風に語っておられます。「とにかく勝ちにこだわりたい。『優勝したい』ってスタンスでした。『自分が勝利に導くために何をすべきか?』ってことをずっと考えていました。それが結果的に冬の練習にも繋がったり、後に花が開いたのかな」と。チームの主将としての思い、ドラフト1位で競合指名をされるだけの圧倒的パフォーマンスを打ち出す、という個人としての熱い思い、こんな思いが体現された大学4年生のシーズンでした。

早川投手は、新型コロナウィルスの拡大による部活動休止期間中に自問自答する時間を得たことで、トレーニングの過程で気づいた改善ポイントを実際に改善することに着手されます。それは股関節の使い方だったようで、右足を踏み出すまでの体重移動の際に、軸足を支える股関節を若干高い位置に設定するということだったようです。

それによって力をロスすることなく、地面からの反発を上半身に伝えられる、そういった実感を得られたとのことです。極めて細かいポイントであり、ひょっとするとご本人以外の人には気づかれないポイントなのかもしれません。ただそれを自分自身の意思で自ら実行できたことがポイントだったようで、まさに「プランニング」に沿って自ら考え、自ら行動する早川投手の真骨頂の表われであったのだと思われます。

ただこの改善がもたらしたものは大きく、球速は3キロ増して155キロまで伸びたようです。コロナ禍の影響で試合数の減った春のリーグ戦(実際行なわれたのは夏)は1勝に終わったものの、従来に近い日程で実施された秋のリーグ戦では、6勝0敗・防御率0.39、46回を投げて74奪三振とまさに圧倒的な成績を残されました。

中でも圧巻だったのが最終週の早慶戦でした。連勝すれば早稲田の優勝という二連戦の第1戦を任された早川投手は15奪三振・1失点の完投勝利。そして翌日の第2戦も1点ビハインドの8回途中からマウンドに上がり、前日に122球を投げているにも関らず無失点に抑えると、9回表に早稲田が逆転。その裏を抑えて早川投手は胴上げ投手となりました。主将としてチームを引っ張り、10季ぶりの優勝の立役者となりましたが、それは高校生の時、早稲田の大竹投手が完封でチームを優勝に導いて以来の優勝でした。

この早慶戦の時には既にプロ野球のドラフト会議は終了していたのですが、寮の冷蔵庫に貼り付けた目標どおり大学球界NO1投手として4球団(東北楽天ゴールデンイーグルス、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズ、埼玉西武ライオンズ)の競合指名を受け、抽選で選択権を得た東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団が決まりました。

ここで早川投手が大学時代に指導を受けた早稲田大学トレーナーの土橋恵秀氏(和田毅投手・現福岡ソフトバンクホークスの早大時代の同級生で05年から18年まで和田投手の専属トレーナーとしてメジャー時代もサポート。2017年1月より早大トレーナーに就任)が語る早川評をご紹介したいと思います。

土橋氏が語る早川投手の第一の特徴はクレバーであるということ。そして自らのビジョンを明確に言葉で発信できること。併せて人の話を聞いたらきちんと理解し、自分の言葉として置き換えることができたとのことです。今後プロに入ってからも色々なことを吸収する中で取捨選択し、自分のものにしていく能力を既に備えているように思われること、早川投手と和田投手は共に“考える能力”を持ち合わせている点が共通点だと思われる、とのことです。

こうして今年の1月から実質的なプロ生活となる合同自主トレが始まった訳ですが、早川投手は親交のある森下暢仁投手(現・広島東洋カープ)からの「大学の疲れを残したままプロの練習に入ると、しんどくなるよ」とのアドバイスに従い、合同自主トレが始まるまえの一ヶ月は疲れを癒すことに重点を置かれたようですし、合同自主トレで他の仲間たちが積極的にブルペンに入るところを早川投手は2回しか投げなかったとのことです。

春季キャンプでも初日のブルペン入りを、一軍メンバーのルーキーの中ではただ一人回避されています。これは最初のクールでは合計100球を投げることを予定し、第2クールで一回のブルペンで120球ぐらいを投げられる状態に持っていくことをイメージしていたようで、そこから逆算すると初日にあえて無理をする必要はない、と考えておられたようです。

キャンプ期間トータルでの球数については、早稲田大学の大先輩である福岡ソフトバンクホークスの和田毅投手にも相談をされていたようで、すべては開幕シリーズに自らがマウンドに立つというところから逆算してのプランニングが早川投手の中ではしっかり出来上がっていたのだと思われます。およそ新人投手とは思えないような判断能力であり、憎たらしいぐらいの冷静さを感じさせてくれます。

こうして始まった今シーズンの開幕戦でしたが、早川投手には本拠地での第3戦での先発という大役が回ってきました。北海道日本ハムファイターズ相手の試合でしたが、6回を投げて被安打4、8奪三振、無失点という見事な投球で、プロ初登板初勝利をあげられました。どの球種も完成度が高い上に、大事な場面では捕手のサインに首を振って自らの要求を貫いたり、雨模様でマウンドがぬかるんでくるとマウンドの整備まで要求するなど、とてもプロ初登板とは思えないような落ち着きでした。

その後は味方打線の援護に恵まれなかったりで2連敗しましたが、4/18の東京ドームでの北海道日本ハムファイターズ戦で8回を投げて被安打6、7奪三振で2勝目をあげてからは、先日の6/6の広島東洋カープ戦で両リーグ最多となる7勝目をあげるまで、この間早川投手ご自身として6連勝(球団の新人初)、4/11を最後に約2ヶ月近く黒星無しという見事な投球を続けておられます。

この中でも圧巻だったのは5/16の敵地・京セラドーム大阪でのオリックスバファローズ戦でした。試合のスコアは1-0、9回を被安打3、8奪三振の完封勝ちという、それはそれは見事な投球でした。コントロール、球のキレや伸びも申し分なく、石井一久監督も「あんなに安定感のある新人投手はいない。プロで何年もやっているようなマウンドさばき」と絶賛されました。

この試合の早川投手は9回も自ら志願してマウンドに立ち、わずか98球での完封勝利でした。新人投手が100球未満で完封勝利をあげるのは球団初、パリーグでは1992年のダイエーホークス若田部健一投手以来29年ぶりの快挙だったようです。ちなみにですが、米大リーグでは100球未満の完封を「マダックス」と呼ぶそうです。

アトランタブレーブスなどで通算355勝を挙げ、2014年に殿堂入りを果たしたグレグ・マダックス投手の名前が由来で、マダックス投手ご自身は35完封のうち13度の100球未満完封を達成されているようです。今回の早川投手の快挙は後々まで語り継がれる快挙であったことは間違いなさそうです。

投球技術の能力の高さと「プランニング」に基づく考える能力の高さで、極めて順調にプロ野球選手としての第一歩を歩み始めた早川投手ですが、4球団競合の結果ご縁があって入団された東北楽天ゴールデンイーグルスは、今後更なる高みを目指して投手としてのレベルを一段も二段も上げていこうとする早川投手にとって、これ以上ない環境を与えてくれる場であるように思われます。

このチームには現在、田中将大投手(日米通算177勝:開幕前)、涌井秀章投手(通算144勝:同)、岸孝之投手(通算132勝:同)、則本昴大投手(通算:85勝:同)という早川投手が手本として学ぶべきレベルの投手が4人もおられます。プロ入り前のアマチュア時代に身につけた投手としての基本能力に加えて、手本となる4人の投手たちとの日常の触れ合いから得られる投球技術やマウンドさばき、投手心理etcは早川投手に多大な財産をもたらしてくれるに違いありません。

4チーム競合による抽選での入団という偶然の賜物でしたが、早川投手の今後の成長にとっては最高の環境を得られたように思えてなりません。交流戦の終盤に来て、東北楽天ゴールデンイーグルスは6/8(火)現在6連勝と波に乗り始めています。再びパリーグ内の戦いの戻る後半戦をどう戦っていかれるか、実に楽しみです。

今もチームの勝ち頭であり、とても重要な戦力であることは間違いありませんが、前述の4人の先発投手と抑えのエース松井裕樹投手をはじめとする充実した中継ぎ投手陣を抱えるチームにとって、新人の早川投手がチームの浮沈の大部分を背負わなければならない状況ではありません。この1年は伸び伸びと自らの投球に徹することが、そのままチームへの貢献にもつながるのだと思われます。

石井一久GM兼監督は、今シーズンよりGM兼任で監督を引き受けるにあたり「常勝チームを作る」という命題を背負っていると自ら語っておられます。(第144回「これから始まる、未知への船出!」)近い将来、石井一久GM兼監督が考えておられるような常勝チームが実現されるなら、早川投手はそのチームの重要な担い手になっておられることは間違いなさそうです。

東北楽天ゴールデンイーグルスは交流戦の最後のカードを本拠地で阪神タイガースと戦います。阪神タイガースには、早川投手と同じく昨秋のドラフト会議で4球団競合の末に入団された佐藤輝明選手がいます。とんでもない飛距離のホームランを打つ一方、1試合で3回も4回も三振をしてしまう、粗削りだがとても魅力あふれる新人選手です。先日発表された5月の月間MVPの選出においても、佐藤選手はセリーグ打者部門で月間MVPに選出されています。

雨天順延がなければ、6月13日(日)の試合で早川投手と佐藤選手の対決が見られる可能性があります。この二人の対決は令和の名勝負として、これから10年も15年も続いていくかもしれません。初めて対決する魅力あふれる二人の対戦、一野球ファンとして純粋に楽しませてもらいたいなと思います。

(おわり)
2021/6/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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