矢野燿大監督~指揮官としての真価はここから!【第149回】

矢野燿大監督~指揮官としての真価はここから!【第149回】

2021年のプロ野球は開幕から約2ヶ月が過ぎ、緊急事態宣言の発令に伴う、一部チームでの無観客試合の実施、あるいはチーム内で選手の陽性者が発覚した為、試合そのものを数試合延期せざるを得ない、といった異例の事態はあったものの、なんとか各チームとも約40試合の試合を消化しています。

5月18日(火)現在、パリーグは上位2チーム(東北楽天ゴールデンイーグルス、福岡ソフトバンクホークス)がゲーム差無し、5位までが3.5ゲーム差の中にひしめく大混戦を繰り広げています。一方セリーグは開幕ダッシュに成功した阪神タイガースがここまで順調に白星を積み重ね、同じく5月18日現在27勝12敗2分で2位の読売ジャイアンツと3.5ゲーム差と、ほんの少しだけ抜け出した形となっています。

今回は、好調阪神タイガースの指揮官である矢野燿大(アキヒロ・本名輝弘[読みは同じ])監督を取り上げ、どんな方針、どんなお考えのもとでチームの指揮をとっておられるのかに触れさせていただきます。

それではまず最初に矢野燿大監督のプロフィールのご紹介から始めさせていただきます。矢野燿大監督は1968年12月生まれの52歳、大阪市東住吉区(現平野区)のご出身です。小学校2年生から地元の少年野球チームで野球を始め、当初は遊撃手だったようですが、チームの捕手のケガに伴ない、以降は捕手を務められるようになったそうです。

中学校には野球部がなく、この3年間はバスケットボール部に所属されていたようです。高校は大阪市立桜宮高等学校に進学され、硬式野球部に入部されましたが、矢野少年の少年野球時代の活躍を知る当時の監督・伊藤義博氏によって、1年生からレギュラーに抜擢されたようです。その伊藤義博監督が1年後に東北福祉大学の硬式野球部監督に転じてからは、投手以外の全ポジションを経験しつつ、1年後輩の投手とバッテリーを組み、主軸を打ちながら主将も務められたようですが、残念ながら甲子園出場は果たせませんでした。
 
桜宮高校卒業後は伊藤監督のおられる東北福祉大学に進学されましたが、高校時代と同じく捕手以外のポジションもこなしておられたようで、1989年には三塁手として大学日本代表メンバーにも選ばれていますし、第18回日米大学野球選手権のメンバーにも入っておられます。余談ですが、このチームには後に広島東洋カープ、阪神タイガースで選手として活躍し、阪神タイガースでは監督も務められた金本知憲氏が一浪して矢野選手の後輩として入学されています。

そして矢野選手が4年生となった1990年秋のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団されたのですが、この当時中日ドラゴンズには2歳年上の中村武志捕手がレギュラーとして君臨しており、ご自身はドラフトで指名されたことに不安も感じていたと後年語っておられます。

中日ドラゴンズでは入団1年目から一軍の試合に出場し、ホームランを打ったりもされているのですが、カベのように立ちはだかった中村捕手の存在は大きく、7年間の在籍期間の最後の2年間では打撃の高さを買われて外野手としても出場されたものの、結局一度も規定打席には到達できず、1997年のオフに大豊泰昭選手と共に関川浩一選手・久慈照嘉選手との交換トレードで阪神タイガースに移籍されました。

阪神タイガースでは移籍1年目(1998年)から当時の吉田義男監督にリード面を高く評価され、正捕手として起用されるようになりました。この年にプロ入り初となる100試合を超える試合出場を経験(最終的には110試合出場)し、翌年の1999年にはプロ入り9年目にして初めて規定打席にも到達し、打率3割も記録しておられます。

本塁上のクロスプレーで左肩を脱臼し、その後も骨折等で出場試合数が大きく減った2002年を除くと、2006年頃までは阪神タイガースの不動のレギュラー捕手として、守り・攻撃の両面で欠くべからざる中心選手として活躍され、この間2003年・2005年のリーグ制覇にも貢献され、優勝した両年にはベストナインとゴールデングラブ賞も獲得されるなど、まさにリーグを代表する捕手のお一人としての立場を固めていかれました。

一見順調満帆に見える阪神タイガースへの移籍後ですが、矢野監督ご自身の中では一時期心の中で葛藤をされていたことがあったようです。実は中日から阪神へのトレードがなされた時、中日ドラゴンズの監督は故星野仙一氏でしたが、移籍にあたって星野監督からは何の言葉もかけてもらえなかったそうで、そのことが当時の矢野選手の心に星野仙一氏に対するわだかまりを生んでいたようです。

「絶対星野さんを見返してやろう。中日戦だけは負けたくない」と思い詰めていた、そんな星野仙一氏が2002年に、よりにもよって阪神タイガースの監督に就任されることになります。「また星野監督に外されてしまうんじゃないか、捨てられるんじゃないか」との思いまで抱かれていたようですが、監督に就任された星野監督は気まずい素振りなど全く見せずに、矢野捕手によく話し掛けてくれたそうです。

これによって矢野選手の心も徐々にほぐれ、次第に「星野さんに認められたい。認めてもらえるように頑張ろう」と気持ちが変わっていったと後年語っておられます。この時のご経験は、後年自らが指導者となられた時の、選手やコーチとの間のコミュニケーションの大切さを学ばれる一つのキッカケになったのではないかと想像されます。

こうして矢野選手は2010年のシーズン終了をもって20年の現役生活(中日ドラゴンズ7年・阪神タイガース13年)を終えられましたが、生涯1669試合に出場し、通算安打数1347本・打率.274・570打点・112本塁打という記録を残されました。これ以上の記録を残されている選手は数多くおられますが、阪神タイガースというチームにあっては、ファンの心に強いインパクトを残した名選手だったと言って差し支えないと思われます。

矢野監督という方は、その性格をよく知る周囲の方々からは「短気」と言われる一面と「優しい」と言われる一面の両方を持つ方のようです。「短気」と言われる面については、現役選手時代に審判への暴力行為で二度の退場処分を受けたことがあったようですし、後にコーチとなられてからも試合中の乱闘事件で退場ならびに厳重注意と制裁金を科されたことがあったようで、そういう一面を指しているものだと思われます。
 
一方の「優しい」が具体的にどういう点を指してのことか詳しくは分かりませんが、ただ矢野捕手現役時代の主力投手たち(福原忍投手、安藤優也投手、下柳剛投手、藤川球児投手etc.)から絶大な信頼を置かれる方であったことは間違いないようです。投手と捕手としての信頼のみならず、人と人としての信頼関係も強かったようで、その根底には矢野監督のコミュニケーション能力の高さがあったのだと思われます。

それは読売ジャイアンツに在籍されていた頃の上原浩二投手とある年のオールスター戦でバッテリーを組んだ際に、試合後上原投手が自らのブログに「阪神で矢野さんがみんなにあんなに好かれる訳がよく分かった。すごく話しやすい人」と書かれたことを見ても分かるような気がしました。

矢野監督は2010年の現役引退後、野球解説者や野球日本代表(侍ジャパン)のバッテリーコーチを務められた後、東北福祉大学・阪神タイガースでのチームメイトでもあった金本知憲氏の阪神タイガースの監督就任に合わせて、2016年から阪神タイガースの指導者としての道を歩み始められます。

2016年、2017年は一軍の作戦コーチ兼バッテリーコーチとして、そして3年目の2018年には二軍監督に就任されました。そしてこの二軍監督時代に打ち出した方針・ビジョンこそが矢野監督の考え方・スタイルであり、それは今のチームづくりの根底を形作っています。

二軍監督として臨まれた2018年のウェスタンリーグ公式戦では「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という方針を掲げ、若手選手に積極的な走塁の意識を植えつけました。チームが勝利した試合では、勝利に貢献した選手にヒーローインタビューやファンに対するスピーチを必ず体験させ、ファンあってのプロ野球選手だということも強く意識させられたようです。

若手選手たちが伸び伸びと積極的なプレーを心掛けた結果、前年ウェスタンリーグ最下位であったチームは8年ぶりのリーグ優勝、ファーム日本一にも輝きました。特に強く意識させた走塁は、リーグ内のチーム最多記録となるシーズン163盗塁を記録するまでとなり、大きな成果を挙げることが出来ました。

ただ一方で前年2位となり、ファンからも大きな期待を寄せられていた一軍はまさかの最下位転落という結果になってしまいました。4番として期待したロサリオ選手が思うように機能しなかったという大きな要因もありましたが、この年は広島東洋カープの3連覇にあたり、読売ジャイアンツも3位に苦しんだ年でしたから、それなりにチャンスはあったはずでしたが、最後はチームが崩壊していたようにも思われました。

後にある評論家が記事の中で少し触れられたのは、2位になった時に一軍ベンチにいた矢野コーチが、二軍監督就任に伴なって一軍ベンチにいなかったことが要因ではないか、とのことでした。どういうことかと言うと強面(コワモテ)で厳しいタイプの金本監督の元では選手は常に緊張状態で、そんな選手の緊張をほぐし裏でなぐさめ励ましていたのが矢野コーチだったとのことです。そんな矢野コーチがいなくなって選手は常に緊張を強いられ、最後はチームが崩れてしまったとの見立てでした。当たっているのかどうかは、外部からは伺い知れませんが、逆説的に矢野コーチのコミュニケーション能力の高さを浮き彫りにしている話のように私には思えました。

こうして金本前監督が最下位転落の責任をとった形で辞任された後、2019年からは矢野監督が一軍監督に就任されることとなりました。二軍監督時代に続いて「超積極的」「諦めない」「誰かを喜ばせる」という姿勢を選手に浸透させることを表明し、「ぶち破れ!オレがやる」というチームスローガンを提唱されました。

一軍監督としての「5ヶ条」(①チームの勝利 ②勝利プラス1 ③喜怒哀楽 ④裏方への感謝 ⑤球団と一体となったチーム作り)を提示し、就任後初めて迎えた春季キャンプでは、自分で考える力を選手に植えつけるべく、自主性を重視しながら相応の結果も求めていくという方針を打ち出されました。

シーズンが始まると、試合に敗れてもナイン一同でグラウンドに出て観客に一礼したり、感情を抑えながらインタビューには応じるなど、ファンに対する真摯な姿勢を貫いていかれます。一方で味方の選手が活躍した際には満面の笑みでガッツポーズを見せる姿が「矢野ガッツ」と呼ばれるようにもなりました。これに対しては「監督としての重みがない」とか「監督として軽すぎる」といった批判があったことも事実ですが、自分が喜べば選手も嬉しいし、ファンも喜んでくれて、チームの士気を鼓舞することにもなると、全く気にはされていないようです。

徐々に徐々に矢野監督の考え方や姿勢がチーム内に浸透していく中で、投手陣はチーム防御率で12球団トップに立ちましたが、野手陣の得点力不足や守備の乱れはいかんともしがたく、シーズン最終盤の6連勝でかろうじて3位に滑り込み、クライマックスシリーズの第一ステージを勝ち上がるところまでは持ち込みましたが、第二ステージでは読売ジャイアンツにあえなく敗退し、日本シリーズ進出はなりませんでした。

そして矢野監督の2年目となった昨年は、新型コロナの影響で開幕が大幅に遅れた上に、移動を制限する為に開幕5カードが全てビジターゲームという変則日程の影響もあったのか、開幕の読売ジャイアンツ戦の3連敗を皮切りに4カード連続の負け越しでスタートし、しかも年間を通して対読売ジャイアンツ戦8勝16敗という大幅な負け越しが最後まで尾を引き、追い上げてのセリーグ2位までは持ち込みましたが、クライマックスシリーズのないシーズンは何か消化不良の形で終わってしまいました。

そして迎えた今シーズンですが、矢野監督が一軍監督として戦った過去2年間の成績を『超』えて『頂』(優勝)に『挑』むというニュアンスを込めて、「挑・超・頂ー挑む 超える 頂(いただき)へー」というチームスローガンが設定されています。今シーズンの阪神タイガースは素人の眼にもかなりチーム力は底上げされているように映ります。

それはチームの編成段階でチームの若返りがスムーズに移行し、昨年から在籍していた外国人選手の中で残すべき選手とリリースする選手の見極めが極めて的確になされた上に、今年即戦力期待として入団させたドラフト入団の大学・社会人出身者の中から早くもレギュラー選手クラスの活躍を見せる選手が出てきていることです。(例えば1位入団の佐藤輝明選手、2位入団の伊藤将司投手、6位入団の中野拓夢選手ら)

ほんの2~3年前までの中心選手だったベテラン選手に代わって、ここ数年の間に入団した30歳前後の中堅選手(例えば梅野隆太郎捕手、岩崎優投手、岩貞祐太投手、糸原健斗選手、大山悠輔選手、近本光司選手ら)、今年入団した新人選手、投打の要を担う外国人選手がうまく噛み合い、チームとしての総合力がうまく発揮されるようになってきています。

それはチーム成績にも如実に反映されており、5/18現在、打撃面では打率リーグ2位(以下同)、得点1位、失点5位(少ない方から2番目)、盗塁1位、ホームラン2位、投手部門でも防御率3位とかなりバランスのとれた状態となっています。ただ数年来の課題である守備力は今も問題を抱えており、失策数はリーグ最多、12球団最多の状態から脱しきれていません。

併せてチーム内のポジション競争が実に激しくなっており、試合に出る為にそれぞれの選手が自らの課題に必死に取り組み、一度試合出場のチャンスを掴んだ選手は、それを二度と手放すまいと出場した試合で全力を尽くす、プロ野球選手なら当たり前と思えることをベンチの選手が一丸となって当たり前のようにやれる集団になりつつあるように思われます。

これは2018年の二軍監督就任以来、矢野監督が地道にチーム内に植えつけてきた意識改革の成果が、当たり前の意識として定着してきた結果のように思えてなりません。それは走塁に対する姿勢に伺えます。投手も一塁まで全力まで走りますし、決して足の速くない外国人選手も次の塁を狙って必死の形相で走っています。

私は、もし阪神タイガースの16年ぶりのリーグ制覇が実現するなら、それは昨シーズンまで9年連続で負け越している読売ジャイアンツとシーズン終盤まで五分の戦いを繰り広げられるかが鍵だと思っています。そういう意味では、5/14(金)~5/16(日)に行なわれた東京ドームでの読売ジャイアンツとの三連戦を2勝1敗と勝ち越せたことは、2021年シーズンの今後を占ううえでも意味のある戦いだったと思います。

まだシーズンは序盤が終わったばかりですが、まもなくセリーグの各チームがどちらかと言うと苦手としている交流戦も始まります。選手の疲労もかなり蓄積されてきています。まだ残り100試合ほど続くペナントレースにはこの先も紆余曲折が予想されますし、最終決着がつくまでには、当然首位交代の場面が起こることも予想されます。

個々の選手の体調や状態を見極め、チーム状態を最適に保ちながら、どう最大のパフォーマンスを発揮させていくか、これからがまさに矢野監督の指揮官としての腕の見せ所です。矢野監督のご活躍を心よりお祈りすると共に、阪神タイガースの今シーズンのさらなる躍進も期待しています。

(おわり)
2021/5/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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