三浦大輔監督~ハマの番長、いざ出陣!【第146回】

三浦大輔監督~ハマの番長、いざ出陣!【第146回】

2021年のプロ野球は、2月1日に始まった春季キャンプ、その後に続いたオープン戦のすべての日程を終え、いよいよ3月26日の開幕を待つばかりです。これから半年以上に渡る長いペナントレースでどんなドラマが繰り広げられるのか興味は尽きませんが、今回は今シーズンより新監督としてチームの指揮をとられる横浜DeNAベイスターズの三浦大輔新監督を取りあげさせていただきます。

三浦新監督は、親会社が変わったことでチーム名称は変わっている(横浜大洋ホエールズ → 横浜ベイスターズ → 横浜DeNAベイスターズ)ものの、ずっと横浜一筋で現役生活(25年間)を送られ、現役引退後の指導者生活(一軍投手コーチ、二軍監督)も横浜でのみのご経験と、まさに「横浜一筋」27年、生粋の横浜ブランドの方です。まずは三浦大輔新監督のプロフィール並びに現役時代のご紹介から始めさせていただきます。

三浦監督は1973年12月生まれの47歳、奈良県橿原市のご出身で右投右打の投手でした。小学校時代に地域のリトルリーグのチームで野球を始め、高校は奈良県大和高田市の大和高田市立高田商業高等学校に進学されました。3年生の夏の甲子園を目指す県大会では惜しくも天理高校に決勝で敗れ、甲子園出場はなりませんでしたが、その年の秋のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから6位指名を受け、背番号46番でプロへの第一歩を記されました。

高卒ドラフト6位という位置づけでの入団であったにも拘らず、入団1年目のチーム最終戦となった1992年10月7日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)に3番手投手としてプロ初登板のマウンドを踏み、篠塚和典選手から初奪三振を奪うなど、2回打者6人を完璧に押さえる上々のデビューを果たされました。ちなみにですが、この試合が「横浜大洋ホエールズ」としての最後の公式戦であったようです。

その後2年目には3勝、4年目には自己最多の8勝と地道かつ着実に力をつけていかれました。後年、当時を振り返って三浦監督はこんなことを語っておられます。「僕は飛び抜けた球がなかったから、そのかわりキャンプで350~400球の投げ込みをしたり、“こんなに走っても球は速くはならない”とは思いながらもとにかく走りました。だから25年も現役を続けられたんでしょうね。今の選手にあの当時の僕と同じことをさせたら、多分壊れますね」。まさに地道な練習・鍛錬こそが三浦投手を作り上げたようです。

三浦投手の投手としての特徴は、通算与四球率2.42(1試合に与える四球の数を9イニングで換算)という抜群の制球力、豊富なスタミナを活かした完投能力、2005年には最多奪三振のタイトルも獲った三振を奪う能力、併せて25年間の現役生活で3276.0投球回700守備機会でわずか9失策(守備率.987)という堅実なフィールディング能力といったことが挙げられます。

ここで野球とは直接関係のない余談に触れさせていただきます。三浦投手・三浦監督のトレードマークと言ったら「リーゼント」のヘヤースタイルですが、これはドラフト6位という低位評価でプロ入りした三浦投手の自己主張であり、覚悟の自己表現だったようです。

元々坊主頭が当たり前だった中学・高校時代に漫画「ビー・バップ・ハイスクール」に夢中になり、大好きだった歌手の矢沢永吉氏の影響もあって、髪が伸びたらリーゼントにしたいという憧れがあったようです。プロに入ってすぐ、矢沢永吉氏の自伝「成りあがり」を読みポマードで髪を固められたようですが、当時のコーチ陣からの心証は悪く「髪を切るか罰金を払うか、どちらかを選べ」と迫られ、三浦投手は当然のように罰金を選択されたようです。

高卒6位入団という注目されない立場だったことから「目立ちたい」という気持ちもあったようですが、「リーゼントだから」と周りに言われぬよう、「リーゼントにする以上は、野球だけはちゃんとやらないかん」と覚悟を新たにされるキッカケにもなっておられたようです。

現役引退会見も今回の監督就任会見もリーゼント姿で登壇されていますし、TV出演や球団の公式行事も今やリーゼント姿が当たり前となっておられます。リーゼントについては成績が伴うにつれて周りも何も言わなくなり、ファンはいつしか親しみを込めて三浦投手を「ハマの番長」呼ぶようになりました。

更に、三浦監督には現役時代もうひとつこだわったことがありました。それは背番号18番です。プロ野球界では一般的に18番はエースナンバーと受け止められていますし、三浦投手もそういう思いを抱いておられたようです。オフの契約更改の席では背番号18番が欲しいと何度か訴えられたようですが、なかなか取り合ってもらえず「実績が伴ったらな」と一蹴されていたようです。

1997年に初の二桁となる10勝3敗という好成績をあげて初めて、背番号18番が認められ、ここに「リーゼント・ハマの番長・18番」の個性的キャラクターが確立され、長くファンに愛されることになります。背番号18番をつけてマウンドに立った1998年シーズンは権藤博監督のもと、三浦投手も主力投手陣の一角として38年ぶりのリーグ優勝、日本一に大きな貢献をされました。

こうして三浦投手は25年間のプロ生活で通算535試合に登板(うち先発が488試合)し、172勝184敗、2481奪三振、防御率3.60という記録を残されました。またこの間、一軍公式戦23年連続勝利のNPB最長タイ記録を樹立したり、一軍公式戦で122本の安打を打っておられますが、これが24年連続安打として「プロ野球の公式戦で投手が安打を放った最多連続年数」というギネス世界記録として認定も受けておられます。

こうして2016年シーズンをもって現役を引退された後は、2017年~2018年は野球解説者としての活動の傍ら横浜DeNAべイスターズのスペシャルアドバイザーも務められました。その後2019年シーズンからは再び現場へ復帰し、2019年は一軍投手コーチ、2020年は二軍監督として指導者としての経験も積んでこられました。

そして昨シーズンの4位という成績の責任をとってラミレス前監督が辞任された後を受け、昨年11月17日に監督に就任されることが発表されました。球団生え抜き監督としては2003年の山下大輔氏以来、球団生え抜きの投手出身監督としては1976年の秋山登氏以来の監督就任となります。監督としての背番号は18番から81番に変更されることも併せて発表されました。

その就任会見で三浦新監督は「結束」という言葉を何度か発せられました。自分一人の力は微々たるもの。コーチやスタッフに支えられ、助けてもらってこその監督。ひとつのチームとして結束して戦っていきたい。併せてファンの方と一緒に戦い、一緒に感動したいとも語られました。就任会見に同席された三原球団代表は、三浦新監督は人柄的な部分で支持者が多く、彼を男にしようという者が多くいるのがこのチーム、ということを話されました。

監督としてチームを預かるにあたって、三浦監督はまずはこれまでの固定観念を捨て、個々の選手あるいはチーム状況をフラットな目で見ていきたい、と語っておられます。このことは采配についても固定観念は持たず、場合によってはラミレス前監督が多用された「8番・ピッチャー」だってやらないとは言いませんと述べられ、采配に“自分はこれをやる”という特別な方針はありません、とも語っておられます。
 
「監督と言っても僕ひとりでは何もできませんからね。技術を教えるのはコーチ。プレーをするのは選手。僕は飾りでいいんです。神輿(みこし)として皆に気持ちよく担いでもらえるように、選手やコーチ、球団、色々な人たちと積極的にコミュニケーションをとる。チーム内の風通しをよくして、普段から信頼を積み重ねていく。そういう基本的なところだけは大事にしていきたいと思っています」。

監督にも色々なタイプがあるのだと思われます。監督自らが機関車のように先頭に立ってチームを引っ張っていこうというスタイルもあるのでしょうが、三浦新監督は個々の選手やコーチ、裏方スタッフがそれぞれの役割を果たし、それが集約された、チームとしての最大のパフォーマンスを発揮させることこそが監督の役割とお考えになっておられるように見受けられます。

またキャンプ中のインタビューで「監督として最初に取り組まないといけないと思ったことは・・・」と問われて、「やはりバント、バスター、エンドラン・・・。得点につなげるために、繋ぐ選手が重要かな」と答えておられます。昨シーズンチーム打率、ホームラン数はリーグトップにも拘らず、得点力は3位、盗塁数は6位であったことから、打撃力をどう得点に繋げるかという点に課題を感じておられるのだと思われます。

得点力を高めるために進塁打をきっちり打てること、盗塁を含めた走力の向上といったことにも力を入れていかれるようですが、これは昨シーズン二軍監督として取り入れておられた作戦ともかなり重なり合うところがあるのかもしれません。シーズンが始まってから三浦監督がどんな采配を振るっていかれるのか、大いに注目したいところです。

昨シーズンまで5年間のラミレス前監督時代、私は横浜DeNAベイスターズはどちらかと言うと打力優位のチームという印象を受けていました。ただこの2年間、かつての主砲筒香嘉智選手は米国メジャーリーグ(タンパベイ・レイズ)へ移籍し、昨シーズン末にはホセ・ロペス選手、スペンサー・パットン投手が退団、昨季1番を打ち打率リーグ2位の成績を挙げた梶谷隆幸選手、主力投手の一人でもあった井納翔一投手は共に読売ジャイアンツへFA移籍するなど、精神的支柱でもあった主力・ベテラン選手がチームを去っています。

更にエース今永昇太投手は手術明け、ストッパー山崎康晃投手は調子が上がらないまま昨シーズンを終え、このキャンプも二軍からのスタートと、昨季の初頭に比べて少し不確定要素が大きくなっているようにさえ思えます。そこへ輪を掛けたように、新型コロナの影響で今シーズンより日本球界に参加する新外国人選手の入国が遅れ、開幕には間に合わない状況になっています。

ただ、先日3月18日に外国人選手の入国が認められる旨の発表がありましたので、まもなく外国人選手不在の状況は解消されますが、横浜DeNAベイスターズの場合は、詳しい理由は不明ながら新外国人選手のみならず、昨シーズン在籍した外国人選手の入国も出来ない状況となっています。チームにとっては大きな痛手ですが、これは他の選手にとっては願ってもないチャンスの到来です。

主力の外国人選手の穴をどう補い、シーズン1年間を見据えた観点から、セリーグ内で他チームから大きく引き離されない位置でチーム成績を整えながら戦い抜く、まさに監督・コーチのチーム掌握力とマネジメント対応力が横浜DeNAベイスターズの序盤の戦いを左右するものと思われます。

しかしこの状態を乗り越え、代替戦力が本当の力を身につけられれば 、中盤以降横浜DeNAベイスターズはセリーグに波乱をもたらす存在としてのし上がっていけるのではないでしょうか? 三浦新監督の采配とチームマネジメントを期待をもって見つめさせていただきたいなと思います。

DeNAが親会社になってから横浜DeNAベイスターズの集客に対する努力は本当に素晴らしいものがあります。今やチケット入手が極めて難しい人気球団となっています。近い将来、横浜DeNAベイスターズがリーグ制覇を成し遂げた際には横浜中がどんな歓喜に包まれるのか、想像するだけでも楽しくなってきます。

都会っ子のスマートな横浜ファンの方々が狂喜乱舞して喜びに浸る、そんな熱狂のシーンを楽しみに待ちたいと思います。ハマの番長・三浦新監督のご活躍と横浜DeNAベイスターズの躍進を心よりお祈りしたいと思います。

(おわり)
2021/3/22

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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