森下暢仁投手~目指せ!令和の鉄腕【第142回】

森下暢仁投手~目指せ!令和の鉄腕【第142回】

明けましておめでとうございます。
昨年はコロナ禍の中でプロ野球の開幕も大幅に遅れ、試合数も120試合に縮小となった異例のシーズンでしたが、そんな中、各チームのフレッシュな若手選手が躍動した1年でもありました。

新年第1回目の今回は、そんな若手選手の中から、圧倒的な成績でセリーグ新人王に輝いた広島東洋カープの森下暢仁(マサト)選手を取りあげさせていただきます。

森下選手は1997年8月生まれの23歳、大分県大分市ご出身の右投右打の投手です。小学校3年生で軟式野球を始め、中学校でも軟式野球部に所属し、3年生の時には全国大会にも出場されたようです。高校進学の頃までは将来のプロ野球への思いは薄かったようで、中学校の軟式野球部の友人が多く進学された大分県立大分商業高校へ進学されています。

大分商業では1学年先輩の笠谷俊介投手(現・福岡ソフトバンクホークス)、同学年の川瀬晃(ヒカル)選手(現・福岡ソフトバンクホークス)と共に、1年生の夏の時点で、甲子園出場を決めたチームのベンチ入りメンバーとして甲子園を経験しておられます。2年生からは投手兼三塁手としてレギュラーを獲得。笠谷投手の卒業後は投手兼遊撃手としてチームの主力となられるも甲子園出場は叶いませんでした。

高校3年生の夏の甲子園出場をかけた大分県予選の決勝戦ではエースとして完投するも0-1で明豊高校に敗れ、結局1年生夏にベンチ入りメンバーとなった以降、甲子園へは一度も出場できませんでした。ただ3年生の夏の甲子園終了後に行なわれたWBSC U18ワールドカップにおいて日本代表メンバーに選ばれる等、素材としての素晴らしさはもう十分に認められていたようです。

高校3年生の秋にはご本人もプロに進むか大学へ進学するかでかなり心が揺れたようですが、当時明治大学野球部の監督であった善波達也(ヨシナミ・タツヤ)氏の熱心な誘いもあり明治大学に進学されています。明治大学では1年生の春のリーグ戦から登板機会を得たり、2年生の夏には侍ジャパン大学代表にも招集される等、着実に実績を積み上げていかれました。

ただ森下投手が2年生・3年生の頃はなかなかリーグ戦で優勝できなかったようですが、4年生になって森下投手が主将に就任し、4年生中心にチームが一つにまとまったことでチーム力に変化が現われたようです。その転機はリーグ戦初戦の立教大学戦で、エースの森下投手がよもやの4失点で黒星スタートとなった後、試合後のロッカールームで森下投手自らがチーム全員の前で頭を下げ「2回戦に勝って、3回戦でもう一度投げさせて欲しい」と言ったことがキッカケになったようです。

明治大学は2回戦を4-3で勝つと、3回戦で森下投手が4安打1失点の完投勝利で汚名を返上し、きっちり勝ち点1をあげました。以降チームは勝ち進みリーグ戦に優勝すると、ひとつにまとまったチームは続く全日本大学野球選手権でも、明治大学に38年ぶり6度目の優勝をもたらしました。そしてその夏に行なわれた日米大学野球でも圧巻の投球を見せ、最高殊勲選手賞に選ばれると共に日本代表の優勝に大きく貢献し、名実共に大学球界NO1投手の立場を確固たるものとされました。

こうして迎えた2019年秋のドラフト会議でしたが、高校生球児に好素材の選手が多かったこともあり、森下投手は競合なしで広島東洋カープの単独指名を勝ち取り、ドラフト1位で入団されました。背番号は「18番」、かつて佐々岡真司投手(現 監督)、前田健太投手(現 ミネソタ・ツインズ)がつけた広島東洋カープのエースナンバーです。大きな期待を背負ってのプロへの第一歩でした。

しかしプロ1年目はキャンプ・オープン戦の後、開幕が何度も延期される中、とても難しい調整を強いられましたが、こうした状況の中で森下投手は球数を抑えた調整を続けるなど、自ら明確なプランを持って対応されていたようです。開幕直前の練習試合では乱調が心配されたものの、開幕一軍メンバーに選ばれ、開幕3試合目(6/21)の対横浜DeNAベイスターズ戦(於 横浜スタジアム)で初登板初先発のマウンドに立たれました。

ちょっと余談になりますが、一部の評論家の方は2020年シーズンの森下投手の投球全般を振り返って、開幕前の練習試合で乱調が続いたのは、自らの持ち球で通用するものしないものの見極めをされていたのだろうと述べておられますが、もしその見方が正しいのなら、並の新人では考えられないような冷静さと対応能力の高さは驚くばかりです。

さて初登板初先発のマウンドに立った森下投手ですが、勝ち負けはつかなかったものの、強打のDeNA打線を相手に7回無失点の圧巻の投球を披露してくれました。そして一週間後の中日ドラゴンズ戦(於 ナゴヤドーム)で9回途中3失点の投球でプロ初勝利を挙げられました。以降もローテーションを守ってシーズン全体を投げ抜き、故障で離脱した先輩投手たちを差し置いてチームで一番の成績を挙げられました。

ここで少し森下投手の投球そのものに触れてみたいと思います。森下投手は上体を反らすようにして真上から投げ下ろすオーバースローの投手ですが、最速154㎞のストレート、緩急をつけたカーブ、チェンジアップ、カットボールなどの変化球を操ります。中でもタテに大きく割れるカーブが実に効果的で、バッターからすると、とても打ちにくい厄介な投手のようです。

元広島東洋カープの捕手であり、後に広島の監督もされた野球評論家の達川光男氏は、好投手の条件として「スピード」「コントロール」「何種類かの変化球」「スタミナ」の四つを備えていることと述べておられますが、森下投手はこのすべてを備えている上に、クイックモーションが出来て、フィールディングもうまく、更にバントやバッティングもうまいと、先発投手として勝てる要素をすべて持っていると絶賛されています。

また広島東洋カープ、読売ジャイアンツで投手として活躍された評論家の川口和久氏は、森下投手は打者の左右に関係なくインコースを突いた投球が出来ること、これこそが最大の武器だと述べておられます。こうした森下投手の投球術は、2020年シーズンのセリーグ先発投手のクォリティースタート(QS)数に如実に示されています。

QSというのは先発投手が6回を自責点3点以下に抑えることですが、森下投手は18試合に先発してQSが14試合でした。これ以上のQS数を挙げたセリーグの投手は、阪神タイガースの西勇輝投手(17回)、中日ドラゴンズ大野雄大投手・読売ジャイアンツ菅野智之投手(各16回)の三人だけです。しかも森下投手は14試合のQSのうち10試合は、ハイクォリティースタート(投球回7回を自責点2点以下)というレベルの高さです。

これだけのQS数値を可能としているのは、しっかりとストライク先行の投球が出来ているからと思われます。更に対戦打順別の成績を見ていると、森下投手が最も抑えている打順(主に投手が入る9番を除いて)は、なんと4番打者という結果が出ています。中でも東京ヤクルトスワローズの村上宗隆選手、読売ジャイアンツの岡本和真選手には1本のヒットも打たれていません。

勿論ホームランを警戒しますから四球は与えていますが、奪三振も多く、長打を打たれない慎重な投球が出来ているのだと思われます。更にもうひとつイニング別の成績を詳細に見てみると、森下投手は6回~8回をいずれも防御率0点台としっかり抑えており、多くの投手がスタミナ切れを起こす後半の勝負どころで力を入れ直して抑える術を1年目にして既に身をつけておられることが分かります。

こんな森下投手の2020年ベストピッチは、10月24日の敵地での横浜DeNAベイスターズ戦でした。この試合は終了後にラミレス監督の退任会見が予定されていたこともあり、横浜の選手たちも闘志をみなぎらせていたはずです。しかしそんなDeNA打線を、森下投手はロペス選手に日米通算2000本という記念のヒットは打たれたものの、一度も先頭打者を出塁させず、わずかヒット4本に抑えての完投勝利、しかも2点目となる決勝点は自らのタイムリーヒットという、まさに圧巻の投球でした。

この試合に勝って9勝目、読売ジャイアンツ戸郷翔征(ショウセイ)投手との新人王争いでも一歩先に出ると共に、セリーグ5球団のすべてから勝利を記録されたことにもなりました。シーズン最後の登板となった次の試合(対中日ドラゴンズ戦)でも8回を無失点に抑えて10勝目を挙げると共に、規定投球回数にも到達、更には防御率も1.91と1点台にまで押し上げることとなりました。

森下投手の2020年シーズンは18試合に登板し、122回3分の2イニングを投げて10勝3敗、防御率は前述のとおり沢村賞を獲得した中日ドラゴンズ・大野雄大投手に次ぐリーグ2位の1.91、新人投手が「規定投球回」「2桁勝利」「防御率1点台」の三つを達成したのは、1966年の堀内恒夫投手(読売ジャイアンツ)以来54年ぶりの快挙でした。

この成績をもって森下投手はセリーグの新人王に選ばれましたが、誰も文句のつけようのない堂々の受賞であったように思われます。ただ来シーズン以降、森下投手が背負う責任の重さは格段に増してきますし、対戦相手は徹底的に森下投手を研究してきます。この重圧と他チームからの包囲網をはね返して初めて、森下投手が真のエースと呼ばれる圧倒的な存在となられる道が開けるのだと思われます。

所属する広島東洋カープはセリーグ三連覇を成し遂げた以降、ここ2年は4位・5位と再び低迷の時期へ入りかけているようにも見受けられます。チームの再浮上の為にも森下投手の更なる活躍が求められていることは言うまでもありません。ただ一ファンとしては、決して無理使いをして欲しくないと思いますし、ケガ・故障をさせない十二分のケアをチームとして施していただきたいなと願って止みません。

私は来シーズンの森下投手にぜひ達成していただきたいなと秘かに願う記録があります。それは新人から2年連続での防御率1点台という記録です。この記録を達成している唯一の日本人投手が1956~57年の稲尾和久投手(西鉄ライオンズ)です。くしくも同郷大分県の出身者であり、鉄腕と呼ばれた昭和の大投手です。

この記録が達成されれば勝ち星、QS等々の記録は間違いなくついてきます。そして人々が森下投手を「令和の鉄腕」と呼び始めるのかもしれません。来シーズン以降の益々のご活躍を心よりお祈りしたいと思います。

(おわり)
2021/1/5

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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