石井琢朗コーチ~プロコーチの頂点への道【第137回】

石井琢朗コーチ~プロコーチの頂点への道【第137回】

2020年のプロ野球は3ヶ月遅れの開幕から既に2ヶ月以上が経過し、各チームとも80試合程度を消化しています。パリーグは上位2球団の優勝争いとなっていますが、セリーグは読売ジャイアンツの独走状態となっており、既に優勝へのマジックナンバーも点灯しています。

原辰徳監督の手腕が光っており、9月11日には読売ジャイアンツの歴代監督の最多勝利(川上監督の1066勝)を更新する1067勝を記録される等、マネジャーとしてまさに円熟の境地に差し掛かっておられます。そんな中、今回は今シーズンよりチームに加入された外様の新任コーチを取り上げさせていただきます。その方の名は石井琢朗野手総合コーチです。

石井コーチは1970年8月生まれの50歳、栃木県佐野市のご出身です。栃木県立足利工業高校時代、2年生の夏に投手として甲子園に出場されています。しかし高校3年生の秋(1988年)の時点では東洋大学への進学が決まっていた為、ドラフトではどこの球団からも指名されなかったのですが、石井投手の球の速さとキレに惚れ込んだ横浜大洋ホエールズのスカウトが口説き落とし、半ば強引な形でドラフト外でプロの世界へ踏み出されています。

投手としてプロ入りされた時点では石井忠徳(イシイ・タダノリ)という本名で登録されていました。高卒1年目の春に早くも一軍登板の機会を得て、その年の秋には初先発初勝利を達成するなど、将来を嘱望される存在でした。しかし二軍では好投するも一軍で結果を残せない状態が続き、3年目のオフに自ら野手への転向を申し出て、1992年からは野手として登録されています。そしてその時点で登録名を石井琢朗(イシイ・タクロウ)に変更されています。

内野手転向後の2年目(1994年)からレギュラーに定着し、以降遊撃手、三塁手として2008年まで20年間チームに在籍されました。この間盗塁王(4回)、最多安打(2回)のタイトルを獲得すると共に、ベストナインに5回、ゴールデングラブ賞を4回受賞する等、常にチームの主力として貢献してこられました。

しかし38歳となった2008年、チームの若手起用の方針から出場機会が減り、シーズンの終了間際に球団から引退勧告を受けるも石井選手は拒否。自由契約を申し出た後、国内外を問わずでの移籍先を探す中、広島東洋カープから声がかかり、現役を続行されることとなりました。余談ですが、広島への移籍が決定した後、自費で横浜スタジアムを借り切り、ファンへの感謝を表わすイベントを開催されています。3500人のファンが参加されたそうです。

その後4年間広島東洋カープに在籍され、2012年に現役を引退されました。通算24年間の現役生活で2432安打(歴代14位)、打率.282、102本塁打、670打点、358盗塁という記録を残されました。走攻守のバランスがとれた名選手であったと思います。そして引退後はそのまま広島東洋カープのコーチに就任され、現在に至る名コーチとしての階段を歩む第一歩を記されています。

広島東洋カープでは最初一軍内野守備走塁コーチに就任されましたが、2016年のシーズンからは一軍の打撃コーチに就かれています。すると前年はチーム打率リーグ5位であったカープ打線は、この年から2年連続で打率・得点とも断トツ1位の強力打線に変貌し、チームは37年ぶりのリーグ制覇、この年からリーグ三連覇の偉業を達成する礎を築かれました。

この間、鈴木誠也選手をはじめ、丸佳浩選手、菊池涼介選手、田中広輔選手らを手塩にかけて育て上げ、打撃コーチとしての名声を確立されました。ご家庭の事情で広島東洋カープが二連覇を達成した2017年のシーズン終了をもって、選手・コーチとして9年間在籍された広島東洋カープを退団されました。

退団が発表されたのは広島東洋カープが出場するクライマックスシリーズの開催前でしたが、これはCS・日本シリーズ終了後の発表では他球団の翌年のコーチ編成が決まってしまう為、功労者である石井コーチに対する広島球団の温かい配慮であったと言われています。すると早速東京ヤクルトスワローズから打撃コーチのオファーが入り、やはりご家庭の事情から同時期に広島東洋カープのコーチを退団された河田雄祐コーチ(現・外野守備走塁コーチ)と一緒に入団されました。

東京ヤクルトスワローズでは、前年のチーム打率がリーグワーストの.234だったものがリーグトップの.266に改善され、総得点も前年より200点近くも多い658点まで増えています。その結果チームは前年の最下位から一気に2位にまで躍進しました。しかし石井コーチの東京ヤクルトスワローズでの2年目となった昨シーズンは、チーム打率が.244とリーグワーストに低迷し、再び最下位に逆戻りする一因ともなった為、2年の解約満了となった昨シーズン末をもって退団されました。

石井コーチの指導者としての原点は、野球人生を大きく変えた横浜大洋ホエールズでの4年目からの野手転向にあったそうです。アマチュア時代に色々な教えを受けて野手としてプロに入ったのではなく、転向した際に多くのコーチから付きっきりで指導を受け、そこでコーチとはこういうものだという感覚が芽生えたそうです。ゼロから野手としての基本を構築していったことが、コーチとしての今の僕の原点ですと語っておられます。

広島時代、ヤクルト時代を通じて石井コーチが力を入れておられたのが「得点へのこだわり」と「走塁への意識」だったようです。打者はどうしてもキレイにヒットを打ちたい、ホームランを打ちたいと考えがちですが、1点をもぎ取る為に、個人個人じゃなく、8人9人が束になって攻めていくという意識と姿勢だそうです。

具体的には、先頭バッターが四球を選ぶことが出来たら、盗塁とその次の打者の右方向へのゴロで1アウト三塁のシチュエーションが作れます。三番目の打者が外野フライを打つことが出来ればヒット無しで1点をもぎ取ることも可能です。仮に凡打で倒れても走者を先の塁に進める意識を徹底することがチーム全体の得点力をアップさせるという考え方です。

石井コーチの指導を受けるようになった東京ヤクルトスワローズでは、選手たちが「意味のある凡打」というフレーズをたびたび口にするようになったそうです。仮に凡打に倒れたとしても走者を先の塁に進め、時にはホームにかえすことが出来た場合には、ベンチに戻ってきた選手を総出で迎え、ミーティングの場で石井コーチが改めて称えることもあったようで、これがチームの得点に対する意識を大いに高めることにつながったようです。

また石井コーチの打撃指導は個々の選手の個性や特徴に合わせ、同時にその選手の成長過程に合わせた指導がなされているようで、その端的な例が昨シーズン高卒2年目で大ブレークされた村上宗隆選手のケースです。村上選手の最大の魅力である長打力を消してしまわないようにとの思いから「今年は打率と三振は気にしなくていい」と言い続け、どれだけ三振をしても「何でも(三振でも)一番を目指せ」と逆にハッパをかけ続けられたようです。その結果が昨年の好成績であり、石井コーチは既に退団されましたが、今シーズンの村上選手の長足の進化にもつながっているのではないかと思われます。

東京ヤクルトスワローズの退団が発表された石井コーチに対して、即座に読売ジャイアンツからオファーが入りました。実は石井コーチは子供の頃のクラスの文集に「巨人にドラフト1位で入りたい」という夢を記すほどのジャイアンツファンであり、そのジャイアンツからの打診を受けた時は特別な思いで受け止めると共に、これまで以上のプレッシャーを感じたと胸の内を語っておられます。

石井コーチが読売ジャイアンツから受けたオファーは野手総合コーチであり、野手の走攻守のすべてに関わるポストです。昨秋の宮崎キャンプから実演を交えながら指導にあたっておられたようですが、ジャイアンツでもやはり走塁面を重視した指導を行なっておられます。中でも相手のスキをついて「単打で三つ先の塁(ホーム)を狙う意識」の重要性を説かれているようです。

走者一塁から単打で三塁に行くのは当たり前。外野手がファンブルしたり、中継でもたついた時にワンヒットで一塁からホームにかえってこられるか。大事なことは、三塁でストップだと決めつけず、何かあったら本塁へ行ってやろうという気持ちで全力で三塁ベースを回ると、ホームでのアウトかセーフかという間一髪のクロスプレーの際に2~3歩分の差が出てくる、という指導をされているようです。

プロ野球の世界におけるコーチの力量差はチームの外からはほとんど分かりません。現役時代に所属したチームとは無縁のチームから複数回に渡ってオファーを受けるコーチは、プロ野球界の中で能力と力量を認められたコーチと言って差し支えないのかもしれません。そういった意味では3球団目でコーチを務める石井コーチも既にプロコーチとしての立場を固められつつあるのかもしれません。

好素材の若手野手が揃う読売ジャイアンツでは、若手選手間の競争も実に激しいものがあります。しかし一軍のベンチに入ることが出来れば、若手選手にも積極的に出場機会を与える原監督の起用方針によって、若手選手にもチャンスが大きく広がります。そこへ石井コーチによる1点をもぎ取る意識改革が今以上に浸透すれば、アンチジャイアンツファンにとっては本当に難儀なことだと思わざるを得ません。

マジックナンバーが着実に減りつつあり、多分読売ジャイアンツのセリーグ優勝で決着がつくのでは、と思われます。願わくは今年こそセリーグ代表として日本シリーズを制覇していただきたいものです。そして石井コーチにはプロコーチの立場を確固たるものとしていかれる中で、チームの強化を通じて日本のプロ野球のレベルアップにも貢献していただきたいと願っています。これからの益々のご活躍をお祈りしています。

(おわり)
2020/09/23

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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