和田康士朗選手~観る者をワクワクさせる、異色の韋駄天!【第136回】

和田康士朗選手~観る者をワクワクさせる、異色の韋駄天!【第136回】

8月も終わり、3ヶ月遅れで開幕した日本のプロ野球はちょうど60試合程が消化され、これからいよいよ後半戦となります。今シーズンは開幕の遅れや、それに伴なう調整期間の変更があった影響なのか、球界全体を見渡すと、これまで活躍してこられたベテラン選手と若さ溢れる気鋭の若手選手の入れ替わり時期に差し掛かっているような印象を受けています。

今回はそんな若手の中から、とても印象に残る異色の若手選手を取り上げさせていただきます。その選手の名は千葉ロッテマリーンズの和田康士朗外野手です。なんとこの選手は、高校野球の選手登録がされていなかった選手であり、それだけでも日本のプロ野球の世界ではかなり異色です。

和田選手は1999年1月生まれの21歳、埼玉県東松山市のご出身です。球団の公式情報によると身長185㎝、体重77㎏、左投左打の選手です。小学校4年生で野球を始め、地元の中学校で軟式野球をやっておられたのですが、中学2年生の時に股関節を負傷されたことが原因で一度野球を断念し、その後進学された埼玉県立小川高校では陸上部に所属し、走幅跳と短距離の選手をされていたようです。

ただ高校1年生の夏にテレビの高校野球中継の画面に映る友人の姿を見て、野球への思いが断ちがたくなり、その年の冬に陸上部を退部されています。そして小川高校の硬式野球部の部員数が少なかったこともあって、地元のクラブチームである都幾川倶楽部硬式野球団というチームに入部し、高校生活はそのまま続けながら社会人チームで野球を行なうという、かなり特異な道を歩んでおられます。

このチームの監督であった荻野真之氏によると、社会人チームの中にいる高校1年生なので、まだほんの子供だったが、足の速さと肩の強さには目を見張るものがあったとのことです。高校卒業後の進路選択では少し悩まれたようですが、たまたま同チームの先輩で独立リーグのチームへ進んだ事例があること知り、荻野監督の薦めもあって独立リーグであるBCリーグのトライアウトを受験されたようです。

BCリーグの富山GRNサンダーバーズで当時監督であった吉岡雄二氏(現・北海道日本ハムファイターズ二軍打撃コーチ・現役時代は巨人、近鉄、楽天に在籍)の目に留まって同球団に入団し、左翼手のレギュラーとして活躍されました。富山GRNサンダーバーズでの1シーズンを終えた2017年秋のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから育成1位指名を受け、背番号122番でプロへの第一歩を記されました。

入団1年目の2018年はイースタンリーグの公式戦で94試合の出場経験を手にするも打率.167、1本塁打、3打点の成績しか上げられず、売り物となるべき足も6盗塁は記録されましたが、一方で盗塁失敗が7個あり、盗塁成功率が5割を下回るような状態でした。

2年目の昨シーズンはチーム生え抜きの福浦和也二軍ヘッド兼打撃コーチの下で打撃フォームの矯正に取り組んだ結果、イースタンリーグで103試合に出場して打率.264、6本塁打、20打点の成績を残すまでになられました。そして走塁の面でもリーグ2位タイの23盗塁をマークされました。

もともと和田選手は体がねじ切れそうなほどのフルスイングを持ち味とする選手だそうです。一般論として、スピードタイプの選手の育成・指導を任されたコーチはフルスイングを止めさせ、出塁率を高める為にコンパクトなスイングへの改造をしがちなものらしいです。

ところが福浦コーチは「フルスイングも和田の持ち味」と捉え、「打ちにいく時に猫背になっているから、そこだけは直せ」とだけ指示をされたようです。この背筋を伸ばす微調整の結果、和田選手の打撃力は大きくアップし、そして迎えた今シーズン、開幕延期による難しい調整を強いられる中、しっかり結果を残し、6月1日に晴れて支配下登録を勝ち取り、背番号も二桁の63番に変更となりました。

シーズン開幕直前に行なわれた、東西に分かれての練習試合では7盗塁をマーク(2位の同僚荻野貴司選手が4個)してアピールに成功し、開幕一軍メンバーに選ばれました。6月19日の開幕戦(福岡PayPayドームでの福岡ソフトバンクホークス戦)の9回表、0-1の1点ビハインドの局面で代走に起用され、プロ公式戦へのデビューを果たされました。

相手投手は抑えのエース森唯斗(ユイト)投手、捕手は日本一の強肩と謡われる甲斐拓也捕手、二死後果敢に盗塁を試み、甲斐捕手の矢のような送球をかいくぐって盗塁成功。その後中村奨吾選手のヒットで一時は同点となる得点を上げられました。残念ながらチームは敗れはしたものの、味方にも敵にも大きな衝撃を与えたデビュー戦でした。

和田選手がチーム内で最も果たすべき役割は走塁ですから、毎試合の出番はありません。主に試合後半で代走として起用されるケースが大半です。盗塁を成功させ、後続打者のヒットでホームに還ってくることが出来れば大成功ということなのだと思われます。そんな和田選手にプロ入り初の先発出場の機会が巡ってきました。

それは8月16日(日)、本拠地のZOZOマリンスタジアムでの北海道日本ハムファイターズ戦でした。1番センターとして出場されましたが、ロッカールームでこの日の試合のメンバー表に自分の名前が載っているのを見た時には頭の中が真白になったと語っておられます。頭の中が真白のはずなのに第一打席で記念すべきプロ入り初安打を放つとすぐさま盗塁を成功させ、後続のヒットでホームに還ってこられました。

第二打席でも同じパターンでヒット・盗塁・得点を記録。第三打席では盗塁をアウトと判定されるも井口監督のリクエストでセーフに判定が覆ると、やはりホームに生還して3得点目。結局この日は5打数3安打3盗塁3得点という大活躍でした。私も何度も映像を見ましたが、こんなことが実際に起こるんだなと思わせてくれるほど、痛快なシーンでした。

そして3日後の8月19日にはこんなシーンもありました。やはり1番センターで先発出場された和田選手は、初回四球で出塁されると、二番中村奨吾選手の4球目に出たヒットエンドランのサインでスタートを切り、センターのやや右に飛んだ単打で一気に本塁まで生還してこられました。いくらスタートを切っていたとは言え、あまりのスピードの速さに、異次元のシーンを見たような思いでした。

試合後敵将の工藤監督はこのシーンについて「本塁には行かれないという考えが守っていた野手にはあったのかもしれません。ただ走者は常に先を狙っているという意識を持っておかないと・・・」と悔しさをにじませたコメントをされていました。それぐらいプロの世界でも異次元と思わせるようなシーンであったのだと思われます。

8月30日現在、和田選手の16盗塁はパリーグNO.1、セリーグを併せてもNO.1です。盗塁のスピードの速さはもう誰もが認めるところとなり、敵チームは投手がクイックモーションを取り入れ、場合によってはストライクゾーンからわざと大きく外すボールを投げさせたりと、和田選手の盗塁阻止にはかなり神経を使っていますが、盗塁失敗は現在までのところ1個しかありません。今や和田選手の足と捕手の肩比べが、パリーグの野球を観るファンの大きい楽しみにもなってきています。

和田選手は8月16日の初先発出場以来、外野手として先発出場する機会も増えていますが、これだけの脚力を持った選手ですから、当然外野の守備範囲も広く、右に左に前に後ろにと、外野のフィールドを駆け回っておられます。和田選手の守備の映像を紹介する動画も公開されていますが、華麗なスライディングキャッチやダイビングキャッチも含めて、守備を観るだけでこんなワクワクさせてくれる選手はなかなかいないのでは、と思わせてくれます。

50メートル5秒8の俊足、遠投107メートルの強肩という素材としての素晴らしさは持ち合わせているものの、高校野球も経験していない選手がプロ野球の一軍選手であること自体が驚きに他なりません。そんな選手を育成契約とは言え、プロ野球の世界に連れてきた千葉ロッテマリーンズ球団の選手を見出す眼の確かさは驚くばかりです。

一軍デビューからわずか2ヶ月半で盗塁を含めた走力と外野の守備力では既に一定レベル以上の能力を持ち合わせていることを自らの力で証明されました。ただ現在の立ち位置から、いつも試合に出るレギュラー選手となる為には、試合に出続ける為の体力を身につけ、その上で一定レベル以上のアベレージを残せるか、もっと平たく言えばどれだけ打てるようになるかに全てがかかっています。

和田選手ご本人の努力は無論のこと、和田選手の類まれな才能をチームの最大の戦力に仕立て上げる為、この選手を打てる選手に育てあげられるか、まさに千葉ロッテマリーンズの育成力が問われる局面がやってきています。

ホームランやエースの圧倒的な投球は野球の大きい魅力ですが、圧倒的なスピードで塁上を駆け回り、外野のフィールドを縦横無尽に走り回る野手の躍動感も負けず劣らずの魅力です。観る者をワクワクさせてくれる和田選手の益々のご活躍と将来の大成を心からお祈りすると共に、現在パリーグの2位につける千葉ロッテマリーンズの今シーズン後半戦の躍進もお祈りしたいと思います。

(おわり)
2020/09/01

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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