菅野智之投手~リスクの先に見い出す光明【第134回】

菅野智之投手~リスクの先に見い出す光明【第134回】

2020年のプロ野球が3ヶ月遅れで6月19日に開幕して、早や1ヶ月が経過しました。各チームとも20数試合を消化し、日々熱戦が繰り広げられています。今シーズンの開幕戦となった6月19日、私はTV観戦のチャンネルを回している中で、読売ジャイアンツvs阪神タイガースの試合における、読売ジャイアンツ菅野智之投手の投球フォームが昨シーズンまでとかなり変わっていることに気づきました。

読売ジャイアンツについては、シーズン前のオープン戦や練習試合をほとんど観ていなかった私には新鮮な驚きでした。当コラムでは、菅野投手が2年連続の沢村賞を受賞された2018年のシーズンオフに一度取り上げさせていただいたことがあります。今回はこんな大きな投球フォームの改造に取り組まれた背景に何があったのかを知りたく、もう一度読売ジャイアンツの菅野智之投手を取り上げさせていただくことにしました。

通常であれば、取り上げさせていただいた選手については紹介プロフィールから始めさせていただくのですが、そこは前回の菅野投手の項である第104回「完成の域から更なる上へ!」をご参照いただければと思います。前回の第104回を前編とし、今回はその後編という位置づけで書かせていただきます。第104回と併せてお読みいただければ幸いです。

第104回の後段で菅野投手の言葉を引用し、私はこんなことを書いています。「今シーズンの沢村賞について菅野投手は『昨年(2017年)の段階で今年(2018年)は沢村賞を狙って取ると公言して取れたので、今年の方が達成感は格段にある。来年一番こだわりたいのは勝ち星。20勝したい』と語られました。もし20勝して3年連続の沢村賞ということになると、伝説の400勝投手・金田正一氏が1956~1958年に達成した記録に並ぶ歴史的快挙が見られることになりそうです。」

しかし結果は22試合に登板(すべて先発)して11勝6敗、防御率3.89。普通の投手であれば恥ずべき成績ではありません。というより、エースとして最低限の責任は果たした成績と言っていいのかもしれません。ただ内容を少し詳しく見てみると、防御率は自己ワースト、投球回数(136.1回)はプロ入り後初めて規定投球回数に満たず、奪三振(120)はプロ入り後最少、被本塁打(20本)はプロ入り後最多、完投数は前年の10から3へ、完封数は同じく8から1へ減少するという内容でした。

中でも2019年6月23日に東京ドームで行われた福岡ソフトバンクホークスとの試合では、1回表に4点をとられ(自責点2)、2回表に相手先発の和田毅投手に四球を与えたところで交代、1回3分の0というプロ入り後最短のKOという結果でした。先日(7/13)NHK-BS1「スポーツ×ヒューマン」という番組で菅野投手が取り上げられていましたが、その番組の中で菅野投手はこんなことを語っておられました。

「今までのことが全て無くなっちゃうんじゃないかな、と思うぐらいすごく屈辱的だった」。自らへの戒めの為に、この翌日のスポーツ新聞を自宅のリビングに貼り、いつもその新聞をながめているとも語っておられました。昨シーズン、チームは5年ぶりのリーグ優勝を果たすも、ご自身は腰痛による三度の登録抹消を味わうなど、思い描くエースの姿とは程遠いシーズンだったのだと思われます。

今年こそエースの責任を果たしたい、そんな思いを抱いて迎えられた2020年の新年でしたが、菅野投手は2月1日のキャンプインを目前とする1月中旬、福岡県で開催された鴻江スポーツアカデミーの合宿に参加されました。ここは鴻江寿治(コウノエ・ヒサオ)氏が主宰されるアカデミーですが、選手がケガをしない身体を手に入れ、個人個人に合った適正なフォームづくりを指導しておられます。

鴻江理論(元々人間の体は「うで体(猫背タイプ)」と「あし体(反り腰タイプ)」に分類されるとし、それぞれの体の特徴に合わせて動作や調整法を唱える理論)をベースに野球、ゴルフ、ソフトボール等々のスポーツのトップアスリートの能力を最大限に引き出すトレーニングサポート、トータルケアをやっておられます。

福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大投手や2008年の北京オリンピックで金メダルを取った女子ソフトボールの日本のエース・上野由岐子投手が毎年参加されているようですが、直近では昨シーズン初勝利と共に8勝2敗の好成績をあげた千葉ロッテマリーンズの種市篤暉(タネイチ・アツキ)投手等々、今年はプロ野球の投手だけで15人の参加者があったそうです。

菅野投手もこの合宿に参加された訳ですが、主宰者の鴻江氏によると、菅野投手は猫背タイプの「うで体」なのに反り腰タイプの「あし体」の動作がフオームに現れ、自分の体の特徴に合った動きが出来ていないことが腰痛をはじめとする体の不具合になったと見立てられたようです。

併せて菅野投手の場合、骨盤の右側がやや前に出て、その分左側が後ろに引けている為、軸足(右足)にのってボールを投げるまでに体が開きやすいという特徴があるようで、両腕を右に振ることで、その開きは最小限に抑えられる為、鴻江氏は菅野投手に投球フォームの改造を提案されたようです。

即ち、足を上げる前にグラブを右耳の後ろまで持ってくる。そのことによって上半身がよりひねられる為、軸足に重心が乗り、より効率的にボールに力が伝わる。まさに今シーズンの菅野投手の投球フォームそのものです。ただ菅野投手はこれまで自分のフォームにこだわりながら自らの投球術を磨いてきたという自負を持っておられます。変えないことも最大の強味とも思ってこられました。

読売ジャイアンツのエースであるばかりか、日本球界のエースとしてのプライド、しかし昨シーズン味わった屈辱、菅野投手の心の中で様々な葛藤があったであろうことは容易に想像がつきます。先述したNHK-BS1の「スポーツ×ヒューマン」の中では、この場面でソフトボール界のレジェンド・上野由岐子投手が「転機だと思う。今(フォームを)変えるチャンスだと思う。自分もそうやって乗り越えてきた」と話されるシーンがありました。

その後、番組の中では菅野投手と上野投手がお二人で話をされるシーンが映りましたが、菅野投手が「去年は何をしてもダメでした。調子が良くても打たれ、もちろん調子が悪かったら打たれ、悪いなりの対処をすることが出来なかった」と話されたのに対し、上野投手はこんなことを話されました。

「自分はめっちゃポジティブな人間なんです。出来る出来ないじゃなくて自分でやったかどうか、これが全てなんです」。ここで菅野投手が「もしうまくいかなくて失敗しても?」と質問されると「もっとやるしかない、ということですよね」と答えられ、「すべてのことはどう自分が受け止めるか、受け入れるか、これしかないんです」。

TV番組の中では、翌日菅野投手の表情は変わりフォーム改造の決意をした、とのナレーションが流れました。菅野投手は「フォームを変えることはすごく勇気のいる決断です。上野さんはその変化を恐れずにやってきたので今の自分があると話されていました」と語られると共に、上野投手から新しいことに挑戦するタイミングはそう多くない、とのアドバイスも受け、自分自身でも「今しかない」と判断し、決断しましたと話されました。

変えたことによって良くなると信じて今年はやってみるとの強い決意を口にされると共に、キャンプ期間中は右耳の後ろに持ち上げてくる両腕をどういう角度で運んでいくか、いくつかのパターンを作り、試行錯誤を繰り返しながら新しいフォームを固めていかれました。

こうして迎えた今シーズン、7月19日現在で4試合に登板して3勝0敗、防御率2.36がここまでの成績です。7月3日の中日戦では1安打完封勝ち(両リーグ一番乗り)という素晴らしい投球もありましたが、一方で負けこそつかなかったものの5失点の試合もありましたし、まだ絶好調という状態にはなっておられないように映ります。今後更に調子を上げていかれるものと思います。

人間は年齢を重ね実績を重ねるに従って、心のどこかにそれを守りたいという気持ちが芽生えたとしても、そのことを誰も責めることは出来ません。実績がまだ伴なっていない時には、良かれと思うことは何でも挑戦できるものです。そこに必要なものはちょっとした勇気だけです。

しかし大きな実績を手にし、その実績に見合う高額の報酬を手にする立場になると、その報酬に見合う実績を出すことに考えが及んでしまうかもしれません。菅野投手の昨年の実績は、ご本人の中では納得できていなくてもプロ野球の投手として決して恥ずべきものであったとは思いません。

もう少しだけ成績をいい方向にアップできるのなら、今の菅野投手の報酬でも誰も文句は言えませんし、過去の実績やチームへの貢献度を考えれば、フォーム改造という大きなリスクまで賭けなくても、という考え方もあったのかもしれません。しかし菅野投手が敢然とフォームの大改造に立ち向かったことに、私は言い知れぬ凄みを感じましたし、この投手が目指しているものは常人が推し測るよりはるかに高いところにあるような気がしました。

そしてチームの大黒柱であるエースがリスクを賭けてこんなチャレンジをしているということが、チームの若手選手にどれほどポジティブな影響を与えるのかとも思いますし、レギュラークラスの主力選手の心の中から慢心や奢りといった気持ちを排除することにもつながるような気がします。まさに強いチームの、上に立つリーダーがとるべき理想の姿勢を菅野投手が示してくれているようにも感じます。

こんなエースの背中を見ながら戦うチームが生み出す一体感。セリーグの他の5球団は心して戦わなければいけません。アンチジャイアンツファンである私は、こんなジャイアンツを倒してこそ、その先に歓喜の栄光がやってくるのだと信じ、残り90試合強を一喜一憂しながら楽しみたいと思っています。
菅野投手の今シーズンのご活躍を心よりお祈りしたいと思います。 

(おわり)
2020/07/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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