浅村栄人選手~4番が紡ぐ、期待への回答【第133回】

浅村栄人選手~4番が紡ぐ、期待への回答【第133回】

2020年のプロ野球がようやく6月19日(金)に開幕しました。
ゲーム数を120試合に縮小し、交流戦、オールスター戦を中止とし、無観客ながら同一リーグ内のペナントレースの消化を優先するシフトが組まれています。セリーグはこれまで通り3試合を一節とするカード編成が行なわれていますが、パリーグではコロナ禍の影響で移動を極力少なくする為、6試合同一カードが続けられるという、これまでに例のない試みがなされています。

6月28日(日)でその最初の6連戦が終了しましたが、ホームで戦うチームが優位という結果が浮き彫りになっています。投打ががっちり噛み合い、開幕からの9戦を8勝1敗(初戦のサヨナラ負けの後を8連勝)と素晴らしいスタートを切ったのは千葉ロッテマリーンズでしたが、同じくホームで戦った東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズも順調に滑り出しています。

今回はそんな好調な滑り出しを見せたチームの中から、東北楽天ゴールデンイーグルスで今シーズンより4番をまかされた浅村栄人(ヒデト)選手を取り上げさせていただきます。

浅村選手は1990年11月生まれの29歳、大阪市東淀川区出身の右投右打の野手です。小学校4年生からソフトボールを始め、中学生になると大阪市内のボーイズリーグのチームで硬式球で野球を始め、高校は大阪桐蔭高校へ進学されています。ただ入学当時はそれ程目立つ選手ではなく、西谷浩一監督の目には、将来のプロ野球選手とまでは映っていなかったようです。

ただプロ・アマを問わずOBがグラウンドに戻って練習を行なう機会の多い大阪桐蔭高校で、当時千葉ロッテマリーンズのスター選手だった西岡剛選手からの「プロに行きたいようだけど今のままでは難しい。プロはそんな甘いところではないよ」というメッセージを監督経由で聞かされてから意識が大きく変わり、3年生夏の急成長につながったようです。

3年生の夏に出場した夏の甲子園では、1番遊撃手として全試合に出場し、打率.552、2本塁打の打撃に華麗な守備で、チームの全国制覇に大きく貢献されました。この活躍で全国に名が知れ渡り、2008年秋のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから3位指名を受け、入団されています。

入団後、1年目は1軍での出場機会はありませんでしたが、2年目に30試合の出場経験を得た後、3年目の2011年に開幕スタメン入りを果たし、レギュラーの座を1年間守り通されました。ただ守備位置は固定されず、1塁・2塁・3塁・レフト・ライトの各ポジションについておられます。そして入団5年目となった2013年には、打率.317、27本塁打、110打点(打点王のタイトル獲得)の成績で、1塁手としてゴールデングラブ賞に輝き、ベストナインにも選ばれています。

同期の大卒選手が入団してこられた年、22歳で一流選手としての礎を固められた浅村選手でしたが、その後紆余曲折はあったものの、チームの中心選手として、攻撃面では主軸をまかされ、守備面では要の2塁手として、2016年以降昨シーズンまで4年連続で2塁手のベストナインに選ばれるなど、まさにリーグを代表する選手のお一人としての立場を固めていかれました。

浅村選手の選手としての特徴ですが、打撃面では初球からでも積極的に振っていくタイプで、ご本人も「ファーストストライクから思い切りバットを振っていくのが自分の長所」と語っておられます。また広角に長打を打てる点も魅力です。守備面では入団当時から動きの良さを高く評価されており、内外野問わずどのポジションでもソツなくこなせるのは、元々の守備能力の高さを証明しているのだと思われます。

浅村選手は入団10年目となった2018年、打率.310、32本塁打、127打点(二度目の打点王も獲得)を記録し、球団に所属する日本人選手として初の「3割30本塁打100打点」の達成者となられました。そしてここを区切りに国内FA権の行使を決断されました。所属する埼玉西武ライオンズの他に福岡ソフトバンクホークス、東北楽天ゴールデンイーグルス、オリックスバッファローズが獲得に手を挙げ、激しい争奪戦の結果、東北楽天ゴールデンイーグルスへの移籍を決められました。

巷間伝えられているところによると、報酬面の条件は福岡ソフトバンクホークスの方が良かったそうですし、主力の浅村選手を手放したくない埼玉西武ライオンズはそれこそ誠心誠意の引き留めを図られました。元々、報酬の多寡がチーム選択の重要なポイントとはなっていなかったようで、最後の決め手は石井一久GMの「来てくれるだけで楽天のためになる」という言葉だったようです。石井GMが発する言葉のひとつひとつが浅村選手の胸に刺さり「このチームの力になりたい」という気持ちになったと語っておられます。

こうして迎えた移籍1年目の昨シーズン、チームで唯一の全試合出場を果たし、キャリアハイとなる33本塁打を打ち、4年連続となるベストナイン、二度目となるゴールデングラブ賞(2塁手部門)も獲得するなど、一見順調なようにも見えるシーズンでしたが、ご本人の中では今までやってきたことがなかなか出来ない、とても苦しいシーズンだったとのことです。

FA移籍でチームに加入されたことを自らも意識し、「楽天に来たからには、チームの優勝に貢献することしか考えていない」「圧倒的な数字を残してみせる」と春季キャンプの時から自らを鼓舞するように言い続けてこられました。しかし浅村選手ご自身の感覚と現実の打撃の微妙な誤差に、ずっと気持ち悪さのようなものを感じ続けておられたようです。

「今までやってきたことがなかなか出来ない。苦しい時期をどう脱していいかも分からなかった。試合ではファンが凄い声援を送ってくれて本当にありがたかったけど、それがプレッシャーにもなり、正直苦しかったです。『これが移籍したことの難しさかな?』って感じながら、本当の自分を見せられないままシーズン終盤まできてしまいました。」

しかしシーズン最終盤になって、打撃練習での浅村選手の好調のバロメーターである「外角のボールを強い打球で逆方向に打てている」状態を取り戻し、感覚的な誤差も解消されたようです。その結果は、自らの打撃でシーズン最後の10試合で千葉ロッテマリーンズを競り落として3位に食い込み、負けはしたものの、続く福岡ソフトバンクホークスとのCSファーストシリーズでも打ちまくった(3試合で4本塁打を含む12打数6安打7打点)実績で証明されました。

昨シーズンオフには結婚をされ、コロナ禍による自粛期間中には自主トレーニングを強いられる難しい調整期間を経ての3ヶ月遅れの開幕でしたが、9試合が終了した時点で打率.389(リーグ3位)、13打点(リーグ1位タイ)、3本塁打(リーグ4位タイ)という成績を残されています。

中でも3本のホームラン(すべて2カード目の北海道日本ハムファイターズとの6連戦において)が実に効果的でした。第1号はスコア0-0からの先制ホームラン、第2号は5回裏スコア1-2からのライトスタンドへの逆転3ラン、第3号は5回裏スコア2-4からのレフトスタンドへの逆転3ランと、打って欲しい場面でチームを勝利に導く、まさに4番打者の打撃でした。

強い輝きを放ち2020年シーズンをスタートされた浅村選手ですが、プロ入り後はコツコツと自らの努力で技量を磨き上げてきた選手です。今日の姿となる基礎を作り上げたのは、間違いなく埼玉西武ライオンズというチームです。その力をチームの主砲である4番打者として発揮する場が東北楽天ゴールデンイーグルスというチームで整えられました。

2013年に田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)を擁し、故星野仙一監督のもと優勝を成し遂げた時期から、的確な補強と若手の育成により、優勝争いを公言できるレベルにまで体制が整ってきたように思えます。浅村選手にとっては得点力アップの要として、まさにチームの浮沈を左右する重責を担ってのシーズンとなります。

「ここで打って欲しい、いやきっと打ってくれるに違いない」、そんな信頼感に裏打ちされた期待を込めてファンは試合を見つめています。いやファンだけでなく監督・コーチといった首脳陣もチームメートでさえも、そんな期待を込めて試合を見つめておられるのかもしれません。

その期待に対し、ホームランあるいは長打で勝利に結びつく打点をあげた時、その期待は確固たる信頼に変わります。「期待と信頼」、それに応える「結果という回答」、浅村選手はそんな回答を高い確率で出せる領域にすでに足を踏み入れ始めておられるように思えます。

野球のある日常、これがこんなに素晴らしいものであることを改めて実感しています。11月の日本シリーズまで心ゆくまで楽しませてもらおうと思っています。浅村選手をはじめNPBに所属する全選手の皆さんのご活躍を心よりお祈りしています。

(おわり)
2020/07/01

「福山義人のプロ野球に学ぶ組織論」一覧に戻る

筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

※福山義人氏への講演依頼はこちらから