西川遥輝選手~覚悟を決めた2020年の船出!【第127回】

西川遥輝選手~覚悟を決めた2020年の船出!【第127回】

2020年のプロ野球は春季キャンプを終え、開幕へ向けてのオープン戦真只中の時期を迎えています。とは言うものの2月初旬より日本でも影響の出始めた新型コロナウィルスの感染者が今も増え続けており、小中高校の休校や極力外出を控えるようにとの政府からの通達もあって、オープン戦はプロ野球史上初めての無観客の状態で開催されています。

開幕を控えた各チームの選手の調整期間という意味では、オープン戦を無観客で実施することにほとんど違和感は感じませんが、果たして3月20日の開幕がどうなるのか、現時点では全く見通せません。

そんな訳で今シーズンがどういう状態で進んでいくのかも分からない状況ではありますが、今回は私自身が以前から取りあげてみたかった一人の選手を取りあげさせていただきます。その選手の名は北海道日本ハムファイターズの西川遥輝(ハルキ)選手です。

西川選手は和歌山県紀の川市のご出身、1992年4月生まれの27歳(まもなく28歳)、右投左打の外野手(かつては内野手で登録されていた時期もありました)です。社会人まで野球をされていた父親の影響で小学校1年生から野球を始め、中学校2年生の時には所属するチームで全国大会での優勝も経験され、高校は智辯学園和歌山高等学校に進学されました。

智辯和歌山高校では1年生の春から1番・遊撃手に抜擢され、春季大会で3試合連続を含む4本塁打を記録するなど、早い時期から頭角を現しておられます。1年生の夏には、夏の甲子園出場を決めたチームに唯一の1年生メンバーとしてベンチ入りし、準々決勝まで進出したチームの9番・三塁手として、4試合で13打数6安打の記録を残されました。

その後も2年生の夏、3年生の春夏と高校時代は4回甲子園への出場経験を持っておられます。ただ高校時代は非凡な才能の一端を見せてはおられたものの、繰り返しのケガの影響もあって全国的に注目を集める存在ではありませんでした。

しかしそんな西川選手を北海道日本ハムファイターズは2010年秋のドラフト会議で内野手として2巡目で指名されています。ちなみにその時の1位指名は早稲田大学出身で、かつてハンカチ王子として一世を風靡した斎藤佑樹投手でした。

プロ入り初年度の2011年は右肩故障の影響もあり、イースタンリーグ公式戦ではもっぱら指名打者に専念し、一軍公式戦への出場はありませんでした。しかし80試合の出場で300回超の打席を経験し、ファーム内でのチーム最多の14盗塁を記録するなど、着実に階段を上っていかれました。

そして西川選手の入団2年目に新監督として就任された栗山英樹監督のもとで、一軍選手としての本格的な歩みが始まります。

ただ2年目・3年目となる2012年・2013年シーズンは、自らの故障による戦線離脱等もあって完全に一軍に定着するところまではいきませんでしたが、4年目の2014年にはほぼ全試合に近い143試合に出場し、安打数・四球数でチームトップを記録し、43盗塁で初の盗塁王のタイトルも獲得し、名実ともにチームの主力選手としての立場を手にされています。

着実な進化を見せる中で迎えた入団6年目となる2016年は、レギュラーシーズンの序盤は不調でしたが、交流戦の後あたりから打撃のスタイルを一新し、長打を捨てて単打と出塁に徹することで打率・出塁率共に大幅に上昇し、1番・左翼手の定位置を掴み取ると共に、シーズン通算で打率.314、出塁率.405、41盗塁という好成績で、4年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献されました。

この2016年の優勝は最大11.5ゲーム差を逆転してのリーグ優勝でしたが、クライマックスシリーズでも逆転した福岡ソフトバンクホークスを再び破り、更には日本シリーズで対戦した広島東洋カープを4勝2敗で下しての日本一でした。

この日本シリーズでは2勝2敗で迎えた第5戦(札幌ドーム)、1対1の9回裏2アウト満塁のチャンスに西川選手が満塁ホームランを打ってのサヨナラ勝ちで王手をかけ、最終戦となった第6戦も初回と4回に二本の三塁打を打った西川選手の活躍が光りました。

この日本シリーズでは惜しくもMVPはブランドン・レアード選手に譲りましたが、西川選手も優秀選手に選ばれています。シーズン終了後には、初のパリーグベストナインにも選出されました。

それ以降も2017年・2018年に盗塁王のタイトルを獲得すると共に、2017年には二年連続のベストナイン、2017年から2019年にかけて3年連続でゴールデングラブ賞を獲得するなど、今やパリーグを代表する選手のお一人と言っても過言ではない存在となっておられます。

ここまで見てきてお分かりいただけるように、西川選手は走攻守のいずれにも優れた選手ですが、中でも俊足である点が最大の武器となっています。

三度の盗塁王を獲得されていることは前述したとおりですが、特に優れているのは、その盗塁成功率です。昨シーズン末時点でのトータル245盗塁に対して盗塁死はわずか38回、盗塁成功率86.6%となっています。

この成功率は200回以上の盗塁を記録している歴代76名の中のNO1です。キャリアを重ね、もっと盗塁数が増えると率は下がる(ちなみにですが、盗塁の通算最多1065の記録を持つ元・阪急ブレーブス福本豊氏の生涯成功率は78.1%です)のかもしれませんが、西川選手の走る能力の高さを示すデータであることは間違いありません。

更にもうひとつ、西川選手は昨シーズン終了時点で通算982試合の出場に対して併殺打が19回しかなく、これも走る能力の高さを如実に示すデータとなっています。

西川選手は昨年の契約更改の席上、FAを待たずポスティングシステムを活用して、早ければ今シーズン終了時点でのメジャーへの移籍希望を表明されました。

まだ球団は態度を明らかにはされていませんが、北海道日本ハムファイターズという球団は、これまでチャレンジしたい若者を応援して送り出してきた歴史がありますから、これから1年間の状況次第では球団が送り出してくれる可能性はゼロではないと思われます。

ただフライボール革命によってホームラン数の増えているメジャーリーグでは、どのバッターに対してもあるレベル以上の長打力は求められるそうですから、脚力と選球眼、守備力に優れている西川選手がメジャーの中でどんなスタイルで戦いを挑んでいこうとされているのか、そういう危惧を伝える評論家やメディアがいることを百も承知で挑もうとされている、西川選手の覚悟を陰ながら応援してあげたいなと思います。

西川選手は2020年のシーズンよりチームのキャプテンに就任されることが決まりました。
栗山監督はこのことについて次のようなコメントを発表しておられます。

「遥輝が本当にいつも一生懸命取り組んでいることはみんなが知っています。その姿を見ればチームを引っぱっていける。一つ一つの言葉が選手たちの心にスッと入っていくと思います。チームが勝つ為に遥輝がキャプテンを務めることが良いと思うし、絶対的な信頼感があります。勝つ為に思い切って託しました。」

キャプテンとして春季キャンプを過ごされた西川選手は、立場が変わり心構えも変わったと自ら語り、こういう立場を与えてくれた監督に感謝しているということを口にされています。

中でも最も収穫があったのはポジションの枠を飛び越えて意思疎通を図れたことのようで、キャプテンの立場で投手陣、外国人選手たちともコミュニケーションの機会が増えたそうです。まだシーズンの始まる前ではありますが、西川選手を輪の中心にチームがひとつにまとまりつつあることが伝わってくるようです。

西川選手が一軍選手として活躍してこられたこの8年間は、栗山監督の就任以来の期間である8年間とそのまま重なっています。栗山監督の8年間はAクラス5回、Bクラス3回、うちリーグ優勝2回(うち1回は日本一)という成績です。それなりに立派な成績ではあるのですが、近年福岡ソフトバンクホークスに押され気味であることは否めません。

入団10年目という区切りの年を迎えた西川選手にとっては、メジャー挑戦を広言し、キャプテンという重責を担っての今シーズンは、まさに自らを追い込んでの人生をかけた戦いの年になるのだと思われます。しかしそのことがチームを引っぱる原動力にもなるに違いありません。

シーズンのプレーを通じて西川選手が存在感を発揮することが、そのまま今シーズンの北海道日本ハムファイターズの成績に直結する気がいたします。この原稿の執筆時点(3/8)では今シーズンの開幕がどうなるのかはまだ不明ですが、西川選手の大いなるご活躍を心からお祈りしたいと思います。

無観客試合として行なわれているオープン戦をTV観戦していると、多くのファンの歓声と熱狂がいかに試合を盛り上げているかを改めて思い知らされます。新型コロナウィルスの災禍が早く収まり、また元の平和な日々が戻ることを祈りたいと思います。 

(おわり)
2020/03/09

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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