森友哉選手~24歳の大黒柱、まだ進化の途上!【第124回】

森友哉選手~24歳の大黒柱、まだ進化の途上!【第124回】

明けましておめでとうございます。
2020年のプロ野球は東京オリンピックの開催期間中、公式戦が休止される為、両リーグとも開幕が例年より約10日ほど早くなり、開幕戦は3月20日(金)と発表されています。

既に年も明け、各球団の選手は自主トレーニングを開始しています。
今年はどんな戦いが繰り広げられるのか、大いに楽しみですが、新年の一回目ということで、今回は昨シーズンのパリーグMVP・埼玉西武ライオンズの森友哉(トモヤ)選手を取りあげさせていただきます。

実は森選手を取りあげさせていただくのは二回目です。(第46回「若き天才、大輪の花を!」
プロ入り2年目、20歳になる直前の森選手について書かせていただきましたが、その時から約4年半を経て、大きく成長された姿を見ていただけると思います。

それでは改めて森選手のプロフィールから簡単に触れさせていただきます。
森選手は1995年8月生まれの24歳、大阪府堺市出身の右投左打の捕手です。
高校時代は、大阪桐蔭高校の2年生時に藤浪晋太郎投手とバッテリーを組み、春夏の甲子園を制覇されています。

ご自身が3年生となった翌年は、主将として春夏の甲子園に出場されましたが、共に三回戦で敗退されました。
ただこの二年間、四度の甲子園出場で14試合に出場し、打率.473、5本塁打という素晴らしい成績を残し、強打好守の捕手として2013年秋のドラフト会議で埼玉西武ライオンズから一巡目で指名され、入団されています。

入団1年目の2014年こそ開幕から7月後半まで二軍生活を送られましたが、7月末から一軍で起用され始めると3試合連続ホームランを打つなど、打つことに関しては評判どおりの力量を発揮、入団2年目の2015年には指名打者として開幕スタメンに名を連ね、規定打席にも到達して打率.287、136安打・17本塁打と高卒2年目の打者としては信じられないような対応力を発揮され、長足の進化を見せておられます。

ただ一方で守備に関してはプロの一流レベルにはほど遠く、入団からの3年間で286試合の出場機会は手にされたものの、守備機会は捕手として50試合、外野手として72試合に過ぎませんでした。

捕手という最も経験を必要とする難しいポジションであったことは勿論ですが、当時の森選手は攻撃面ではチームにとって欠くことの出来ない貴重な戦力である一方、守りに関してはどう活用すべきか、首脳陣をも迷わせる、まだアンバランスな状態の時期であったように思われます。

そんな森選手の身に転機が訪れます。
2017年に前年までの田辺徳雄前監督から辻発彦現監督へ監督の交代が行なわれ、併せて一軍のバッテリーコーチに秋元宏作現コーチが二軍コーチから就任されました。

その秋元コーチからシーズン前に「今年は正捕手で頑張れ。正捕手を死ぬ気で獲りににいけ!」と発破をかけられたそうですが、これまでの6年間のプロ生活の中で、この時に掛けてもらえた秋元コーチからの言葉が一番忘れられない一言だったと2019年シーズン終了後に語っておられます。

ところが好事魔多し、正捕手を目指して頑張ろうと意欲に満ちていた直後の2017年3月5日、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)強化試合の対キューバ戦で左肘に死球を受け骨折、一軍への復帰は8月中旬までかかりました。

そのリハビリ期間中も折れた左手の握力がなかなか戻らず、持ち味のフルスイングが出来ないことで相当イライラした期間を過ごされたようです。
二軍の試合にも帯同できない中で黙々と汗を流す日々を過ごされました。

そしてようやく迎えた8月15日の復帰一戦目(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)、7番DHで先発出場した森選手はいきなり3打数2安打3打点の活躍で勝利に貢献。

公式戦では初めて一緒にベンチに入った辻監督は、この日の森選手の活躍を「復帰戦で3打点とは、やっぱり持っている選手ですよ。雰囲気のある選手ですね」と語られました。

監督就任1年目でチームを前年の4位から2位に躍進させた辻監督は、2018年シーズンを迎えるにあたり、森選手を「捕手として育てたい」という方針を立てられ、その言葉どおり81試合で捕手として出場させておられます。(シーズントータルでは136試合に出場、残りは指名打者として出場)

炭谷銀仁朗捕手(現読売ジャイアンツ)、岡田雅利捕手との併用ではありましたが、捕手としての出場機会はチーム内トップであり、もう外野手としての出場は一試合もありませんでした。

辻監督は2018年シーズンを振り返り、こんなことを語っておられます。
「友哉にはどうしても正捕手になって欲しくて、ある程度辛抱して起用しました。自分の要求と逆のコースにボールが来て打たれても、自分の責任だと受け止めてくれるキャッチャーになって欲しいんです。キャッチャーというのはそれぐらいの覚悟で務めるポジション。ピッチャーは孤独です。必死に一人で戦っているんだから、その思いを汲んで引っ張っていけるぐらいの選手でなければ正捕手にはふさわしくない。だから森に対する要求は高くなるんです。」

埼玉西武ライオンズは2018年・2019年と2年連続でパリーグを制覇していますが、この間のチーム防御率は両年ともリーグ最下位、失点は両年ともリーグ最多となっており、こんな投手陣をリードする森捕手のご苦労も並大抵とは思えません。

野球というゲームは基本的には勝利は投手のおかげ、打たれたらキャッチャーの責任と言われるようですから、投手陣が打ち込まれた際の森捕手のリードについては評論家から厳しい指摘を受けたり、メディアを通じて叩かれたり、といったことがよくあったようです。

ただ2018年に14勝4敗の成績を挙げた菊池雄星投手が米国のメジャーリーグへ移籍し、2018年16勝5敗(最多勝タイトル獲得)の多和田真三郎投手、11勝4敗であった榎田大樹投手が共に2019年は不調で、それぞれ1勝(6敗)、4勝(3敗)の成績しか挙げていない現実の中では、素人の目には森捕手のリードやインサイドワークの拙さだけが原因であったとは思えません。

森選手は打たれた投手と何故打たれたかを話し合い、次へ向けてどう改善していくか、常にコミュニケーションを重ねてこられたようです。

2018年・2019年と2年連続でパリーグの捕手部門でベストナインに選ばれている森捕手ではありますが、捕手としての“プロでの経験不足”という課題を秋元バッテリーコーチとの二人三脚で乗り越えてこられたようです。

2019年シーズンの埼玉西武ライオンズは最大8.5ゲーム差をひっくり返してのリーグ制覇でしたが、これはシーズンの序盤にあった大量失点をする試合が減ったからであり、秋元コーチは「これは友哉が本当に頭を使いながら地道にやってきたからこそであり、終盤にきて本当に成長したと思いますよ」と語っておられます。

このことは抑えのエースであり、2019年のリーグ優勝を決めた試合で胴上げ投手となった増田達至投手も「投手が打ち込まれた時期も、友哉がいろいろ気を配って、できるだけ投手陣とコミュニケーションを取ろうとしてくれました。そのおかげで野手と投手の信頼関係が崩れることは一度もなかったですね」と、森捕手の地道な努力に感謝の言葉を述べておられます。(ちなみにですが、増田投手・森捕手が2019年のパリーグ最優秀バッテリー賞を獲得しています)

森選手は2019年シーズンを振り返って「正直しんどかったです。使い続けていただいたので、結果を出したいと思ってきました。守りと打撃は別のスポーツだと思うようにして切り替えてきました。今シーズンはその切り替えがしっかり出来たんじゃないかと思います」と語っておられます。

埼玉西武ライオンズは打ち勝つことでリーグ二連覇を達成されましたし、森選手も攻撃の重要な担い手のお一人だった訳ですが、森捕手の成長とその地道な努力の積み重ねこそが二連覇の隠れたポイントではなかったのかなと思われます。

2019年シーズン、森選手はリーグMVPに輝くと共に打率.329で首位打者のタイトルも獲得されました。

実は捕手で首位打者を獲得されたのは、野村克也選手(元南海ホークス等)、古田敦也選手(元ヤクルトスワローズ)、阿部慎之助選手(元読売ジャイアンツ)に次いで歴代4人目です。
また捕手がMVPを取るのは今回で13回目、人数では今回の森捕手が8人目(野村克也氏が5回、古田敦也氏が2回受賞)となります。

こうやってみると高校卒業後6年という短期間で、そのすごい成長を遂げておられることに驚きを禁じ得ません。

森選手が元々類いまれなる才能を持ち合わせた選手であったことは間違いありません。
特に打撃面に関しては天才的な能力を持った選手であることを何人もの野球評論家が語っておられます。

しかし守備に関しては、努力に努力を重ね、地道にここまで這い上がってきた選手、というより今も進化の途上にある選手のように思えます。
辻監督が捕手として育てたいと覚悟を決め、機会を与えて使い続けたことで持っていた才能が花開きました。

その陰では秋元バッテリーコーチの支えがあってのものであり、まさに辻監督、秋元コーチという指導者と巡り合ったことが守備の面での才能を開花させたのだと思われます。
指導者がその選手の持つ才能・適性をいかに見抜き、我慢して使い続けることがいかに大切か、ということを示す好事例のように思えます。

埼玉西武ライオンズは一昨年浅村栄斗(ヒデト)選手が東北楽天ゴールデンイーグルスへFA移籍し、昨年暮れには秋山翔吾選手の米国シンシナティ・レッズへの移籍が決まりました。

これからはベテランの中村剛也選手も含め、森選手・山川穂高選手がチームの主力として引っ張っていく体制となります。

2020年シーズンからは森選手は選手会長にも就任されます。実績や立場はまさにチームの大黒柱的な存在ですが、とは言えまだ24歳、これからの伸びしろを考えると数年後はどんな選手となっていかれるのか、限りない可能性を感じさせてくれると共に、一野球ファンとして先行きがとても楽しみです。

2年連続のリーグ制覇は成し遂げたものの、福岡ソフトバンクホークスの厚い壁に阻まれ、埼玉西武ライオンズは日本シリーズの舞台にさえ立っていません。

2020年シーズンはリーグ制覇、そして日本一の奪還を成し遂げていただきたいものです。その中心に、チームの扇の要の捕手として、主力打者として、選手会長として君臨している森友哉選手の雄姿を見てみたいものです。

(おわり)
2020/01/09

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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