福田秀平選手~福岡から千葉へ!新天地に駆ける【第123回】

福田秀平選手~福岡から千葉へ!新天地に駆ける【第123回】

2019年のプロ野球は全日程が終了し、各種の表彰選手に対する表彰等も終わり、静かなオフを迎えています。

FAあるいはポスティングで米国のメジャーリーグへの移籍を希望されている選手についても、タンパベイ・レイズへの移籍が決定した筒香嘉智選手(元横浜DeNAベイスターズ)、トロント・ブルージェイズへの移籍が決まった山口俊投手(元読売ジャイアンツ)と、移籍先が明らかになりつつあります。

一方国内でのFA等による移籍も、一部を除きあらかたのメドがついたようです。
今シーズンオフのFA選手の中で最も多く他球団から声がかかったのは、元福岡ソフトバンクホークスの福田秀平選手でした。

元々所属していた福岡ソフトバンクホークスからの引き留め交渉も含め6球団から声がかかりましたが、何故これ程多くの球団から声がかかったのか、今回は来シーズンより新天地・千葉ロッテマリーンズでプレーすることを決断された福田秀平選手を取りあげさせていただきます。

福田選手は1989年(平成元年)2月生まれの30歳、横浜市のご出身で、右投左打の外野手兼一塁手です。

3歳の頃から水泳を始め、小学校入学の前後からはサッカー、野球もされていたようで、特に水泳では背泳ぎ部門でジュニアオリンピック代表候補となるほど成長されたようです。
最終的には野球を選ばれた訳ですが、水泳・サッカーの指導者からの引き留めに会うほど、運動能力の高い子供さんだったようです。

小学校時代は軟式野球を、中学校時代にリトルリーグで硬式野球を始め、高校は多摩大学附属聖ヶ丘高等学校へ進学されました。

学校自体に甲子園への出場歴は無く、部員も20名ほどのこじんまりとしたチームだったようですが、福田選手は1年生の秋から二塁手のレギュラーに定着、3年生の春に本格的にスイッチヒッターに転向したあたりから一気に才能が開花し、プロからも注目されるレベルの選手へと駆け上がっていかれました。

3年生の夏の甲子園を目指す西東京大会では準決勝まで勝ち上がり、ご自身はその準決勝の試合で3番を任され本塁打を放つも、チームは日大三高に敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

そして2006年秋のドラフト会議・高校生選択会議で福岡ソフトバンクホークスから1巡目指名を受け、入団されています。

余談ですが、このドラフトでは福田選手を含めて4名の平成生まれの選手が指名を受けましたが、福田選手の契約が一番最初にまとまった為、福田選手が平成生まれのプロ野球選手第一号ということになりました。

プロ入り後の初めの3年間は一軍出場は一試合もなく、ひたすら鍛錬に明け暮れた3年間でした。

ただウェスタンリーグ公式戦への出場試合数は徐々に伸ばしており、打率も着実にアップして、地味ながらも一歩ずつ成長の跡を見せておられました。

そして入団4年目の春、初めて出場選手登録され、4月30日の千葉ロッテマリーンズ戦で代走としてプロ初出場を記録されています。

入団4年目の2010年は、その後プロ入り初安打・初打点・初盗塁を記録し、最終的には44試合の出場機会は得られた(他にクライマックスシリーズ全6試合にベンチ入り)ものの、先発出場はわずか4試合でした。

そしてこの2010年のシーズンオフ、当時の秋山幸二監督の助言でスイッチヒッターから左打ちに専念すると共に、川崎宗則選手のアドバイスで、ベースラインぎりぎりに立っていた打席をベースから少し離れて立ち、外角のボールに対しては思いきり踏み込むことで苦手の左投手を克服し、ご自身の打撃のレベルを向上させていかれました。

福田選手は2006年から2019年まで13年間、福岡ソフトバンクホークスに在籍され、当初の3年間と、ケガによる手術・長期リハビリの影響で一軍出場がゼロとなった2014年を除き、実働9年間の中で規定打席に到達された年は一度もありません。

しかしこの間、2011年から2015年にかけて連続盗塁成功32という日本記録を打ち立てる(現在の連続盗塁成功記録は38。2019年にヤクルト山田哲人選手が樹立)など、選手としてのパフォーマンスを着実に上げていっておられます。

3年連続日本一に輝く強豪チームにおいて、福田選手は毎試合先発で試合に出続けるレギュラー選手ではありませんが、相手投手の状況や自軍の選手の状況によって、先発したり、代打・代走・守備固めから試合に入ったりと、監督をはじめとする首脳陣からすると、こんな使い勝手のいい選手はいません。

足が速く、守備がうまく、ホームランを打てるパンチ力を持ち合わせていて、しかも勝負強いバッティングを持ち味としている福田選手が今年7月14日に国内FA権を取得したことで、シーズン後の去就が注目されていました。

FA権というのは一軍の登録日数によって選手個人に与えられる権利ですが、これは使ってくれる監督あってのものであり、福田選手も国内FA権を取得できた時、工藤監督に御礼を言い、秋山前監督にも報告をされたようです。

また球団上層部の方からは「福田君FA権おめでとう。これでホークスの管理下ではなく、市場の選手になったね」と祝福の声を掛けてもらえたと語っておられます。
ご自身はプロ野球選手として一人前になった証しなのかなと思われたそうです。

FA宣言することを決められたのは、日本シリーズが終了した2日後だったそうです。

FA宣言する為には日本シリーズ終了後7日間以内に申請しなければならないというルールがあり、「あと7日しかない」という切羽詰まった状況の中で、むしろ宣言してしまえばじっくり考えられるという思いで、思い切って行動に移されたようです。

FA宣言すると、その選手が所属する球団の中での年俸順位によってランクが決まります。
外国人選手を除きチーム内年俸上位1~3位の選手がAランク、4~10位の選手がBランク、11位以下の選手がCランクとなります。

Aランク、Bランクの選手を獲得した球団は、その選手が所属していた球団に自軍の選手の中から人的補償として選手を差し出す義務を負います。
福田選手はソフトバンクにおけるCランクの選手であった為、獲得球団は補償の必要がないという点でもとても魅力的に映ったはずです。

そもそも福田選手がFA宣言しようと思い立ったのは、一部メディアで報じられた「より多くの出場機会を求めて」ということより、客観的に自分がプロ野球選手として、どのような位置にいて、どう評価されているのかを純粋に知った上で、自分を必要としてくれる球団で来シーズン以降プレーをしたかった、というのがご自身の正直な気持ちだったと語っておられます。

こんな福田選手に対し、強烈に引き留めに入った福岡ソフトバンクホークスをはじめ、中日ドラゴンズ、東京ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズ、東北楽天ゴールデンイーグルス、埼玉西武ライオンズの6球団が手をあげました。

そしてオファーを出した各球団は総じて守備力と足を高く評価してくれていたとご本人がインタビューで答えておられます。

例えば「代走で出て、ここぞの場面で走れる思い切りの良さ」「状況に応じて慎重な判断ができること」「一塁ランナーとして相手バッテリーにプレッシャーをかけられること」etcが具体的に挙げられたそうです。

又バッティングについては、各球団ともデータで示したところが多かったそうで、「打球速度の平均が前年より8㎞上がっている」とか「色々な球種を万遍なく打てている」とか「防御率3.30以下の好投手から打率3割以上打てている」といった、ご本人も気づいていない細かいデータまで提示されて驚いたと語っておられます。

そして年俸についても今シーズンの推定年俸3600万円に対して、引き留めに入った福岡ソフトバンクホークスが4年・総額5億円を提示、他の5球団はすべてそれ以上の提示をしたとメディアでは伝えられています。

そんな中で福田選手が最終的に決断した球団は千葉ロッテマリーンズでした。

金額の提示が一番高かったということではなかったようです。
福田選手の心を動かした一番大きな決め手は、2018年からロッテでコーチを務める鳥越裕介ヘッドコーチの存在だったようです。

実は福田選手は入団2年目の2008年、19歳の時に実父を心筋梗塞で亡くしておられます。
ショックが大きく、当時プロ野球のレベルに全くついていけず、もう野球を辞めようとまで思われていたようです。

そんな福田選手に、厳しい練習でグラウンドの上では少なくとも悲しみを忘れさせてくれ、プロ野球選手として生きていく覚悟を決めるキッカケを作ってくれたのが、当時ホークスの二軍内野守備走塁コーチであった鳥越コーチであったそうです。

今回の交渉の過程の中で鳥越ヘッドコーチから電話で5回以上にわたって「今のロッテには秀平の力が必要だから新たな環境で一緒に挑戦しよう」と説得され、併せて一度はその電話口におられた井口監督からも具体的な今後のチームの展望や福田選手の特性、評価を直接伝えられ、自らの中にチャレンジしたい気持ちが芽生えたそうです。

そしてこれまでの野球人生を振り返った時に、周りの支えがあってここまで来られたことに思いを馳せ、辛い時に励まし支えてもらった恩人に声を掛けてもらえたことが今回の決断につながったと語っておられます。

福田秀平選手は間違いなく福岡ソフトバンクホークスに鍛えられ育てられた選手です。
この選手が価値ある選手であることは、パリーグ6球団のうちの4球団が手を挙げたことからも明らかです。

こうして育てあげた選手が他球団に移籍することは痛手に違いありませんが、すべてが決着し退団の意思を正式に伝えた福田選手に対し、三笠杉彦取締役球団統括本部長(ゼネラルマネージャー)は「うちで育った選手が6球団も手を挙げられるまでに成長したことが嬉しい」と話されたそうです。

選手個人が獲得した権利であるFA権を行使することに対し、球団幹部が気持ちよく送り出し、移籍した選手が移籍先のチームで思う存分実力を発揮できるなら、それがリーグ全体を、ひいては日本のプロ野球界を活性化させることは間違いありません。

来シーズンは3月20日が開幕戦となりますが、早速福岡ソフトバンクホークスと千葉ロッテマリーンズが開幕戦で激突します。

多分開幕投手が予想される千賀投手―甲斐捕手のバッテリーに、先発メンバーに名を連ねるであろう福田選手がどう立ち向かっていくか、今からこの対決は大いに楽しみです。

2020年シーズン、福田選手がレギュラーの座を勝ち取り、初の規定打席到達を成し遂げ、チームの躍進へ向けて大いに活躍されることを心よりお祈りしたいと思います。

(おわり)
2019/12/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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