鈴木誠也選手~まだ進化の途上。更なる頂きへ!【第122回】

鈴木誠也選手~まだ進化の途上。更なる頂きへ!【第122回】

2019年のプロ野球は日本シリーズの終了後も、今年は第2回WBSCプレミア12の大会が行なわれ、日本代表チーム(侍ジャパン)は韓国を破って優勝することができました。
特に韓国との決勝戦は初回の3点のビハインドを跳ね返した、見応えのある試合でした。

だがしかし、この大会に野球発祥の国として参加している米国チームが最強メンバーで臨んでいない為、日本の優勝=世界一と言われても、何か釈然としない気持ちも少しだけ残りました。

*WBSC=世界野球ソフトボール連盟(World Baseball Softball Confederation)

ただそれは出場した選手には何も関係ないことで、一人一人の選手は大会を通じて高い技術と闘志を見せてくれ、日本野球ここにあり、という心意気を見せてくれました。

特に大会MVPに輝いた広島東洋カープの鈴木誠也選手の活躍は実に見事なものでした。
という訳で、今回は鈴木誠也選手を取りあげさせていただきます。

鈴木選手は1994年8月生まれの25歳、東京都荒川区のご出身です。
小学校2年生の時に荒川リトルで野球を始め、中学校時代は荒川シニアに所属されていました。

二松学舎大学附属高校へ進学後は1年生の秋からエースとして活躍されるも、2年生・3年生の夏の甲子園の予選となる東東京大会では共に準決勝で敗退し、春も含めて甲子園出場の経験はありません。

ただ投手としては最速148㎞のストレートを投げ、打者としても対外試合で通算43本塁打を放った逸材でした。

当時の広島東洋カープの尾形佳紀スカウトが打力と走力を高く評価し、2012年秋のドラフト会議では内野手として2巡目での指名を受け、入団されました。

背番号は小さい頃からの憧れでもあった同姓のイチロー選手と同じ51番が与えられました。

プロ入り1年目・2年目は主に二軍で鍛錬し、ウェスタンリーグで経験を積みながら、一軍でもそれぞれ11試合、36試合の出場経験を得ておられます。

そして3年目、ポジション登録を内野手から外野手に変更し、東京ヤクルトスワローズとの開幕戦には「1番右翼手」として初の開幕スタメンを果たされました。

結局この年は97試合に出場し、打率.275、5本塁打、25打点、出塁率.355という成績を残されています。
レギュラーポジションの確保や規定打席の到達までには至らなかったものの、確かな足跡を残された1年となりました。

そして4年目の2016年、鈴木誠也選手の名が全国に知られることとなった出来事が起こります。

6月の交流戦、オリックス・バファローズとの三連戦で、第1戦・第2戦でサヨナラホームラン、第3戦では決勝ホームランを打つという神がかり的な活躍を、当時の緒方孝市監督が「神ってる」と表現されたことで、この言葉と共に鈴木選手の名前は一気に全国へ広がりました。

ただこの当時、鈴木選手は「“神ってる”って、どこかまぐれのように感じませんか? まだ実力じゃないみたいな。“神ってる”と言われない選手になりたいと思います」と心の中の葛藤を語っておられます。

ただその後もシーズン終了まで活躍は続き、プロ入り後初めて規定打席に到達して打率.335(リーグ2位)、29本塁打(チームトップ)、95打点、16盗塁の成績をたたき出し、チームの25年ぶりのリーグ優勝に貢献されると共に、ゴールデングラブ賞とベストナインを初めて受賞されました。

まさに押しも押されもしないチームの主力選手の一人へと大ブレークされました。

そして入団5年目・6年目となる2017年、2018年も安定した打撃成績でチームに貢献し、2016~2018年のリーグ三連覇に多大な貢献をされると共に、2017年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞し、2018年には3年連続でベストナインに選ばれる等、チームの顔という段階からリーグを代表するバッターのお一人となるまでに成長していかれました。

迎えた今シーズン、広島東洋カープは丸佳浩選手のFAによる読売ジャイアンツへの移籍、チームの精神的支柱でもあった新井貴浩選手の引退という状況を受けての4連覇を目指しての戦いでしたが、チームとしての好不調の波が激しく、結局4位に転落。

そんな中でも鈴木選手は首位打者(打率.335)、最高出塁率のタイトルを獲って、4年連続のベストナインに輝くなど、大いに奮闘された1年でした。

鈴木選手の選手としての特徴は、50メートルを5秒8で走る俊足、投手として最速148㎞を計測したこともある強肩を備えた外野守備力、打撃では右打席から逆方向(ライト方向)へ長打を打つ技術の高さです。

近年日本球界でも打者を評価する指標としてOPS(出塁率+長打率)が使われるケースが増えていますが、鈴木選手は今シーズン両リーグ12球団で唯一OPSが10割超えとなる1.018を記録されました。

このOPS1.0超がいかに凄い記録かというと、0.9超の選手がセリーグにたった5人(鈴木選手含む)、パリーグにたった4人しかいないことを見てもお分かりいただけると思います。

要するに高い出塁率があって、その上に長打力を持っていないとOPSの数値は上がりません。
出塁率を上げる為には、ある程度以上の四球を選べる選球眼が必要となりますし、それに加えて二塁打・三塁打・ホームランが打てる長打力も兼ね備えておく必要がある訳です。

ちなみに40本塁打を打ち、セリーグMVPに輝いた読売ジャイアンツの坂本勇人選手のOPSは0.971であり、1.0には届いていません。
こんなOPS1.0超をプロ入り7年の間に鈴木選手は今シーズンを含めて既に三回記録しており、これはヤクルト山田哲人選手、ソフトバンク柳田悠岐選手に並ぶ回数です。

年々打撃力、打撃技術に凄みを増しつつある鈴木選手ですが、ご本人は個人記録には関心が薄いようで、チームが勝つことが一番、チームがもっと良くなる為には何をすべきか、そういったことへの関心が強いようです。

丸選手が抜けた後の外野陣のリーダーとして、内野手からコンバートされセンターを守ることの増えた同学年の西川龍馬選手との連携で、徹底したサポートをしたり、若手選手の面倒もしっかり見るかわり、ダメなものはダメとビシッと指摘するなど、チームリーダーとしての自覚が周囲にもはっきり見えるようになってきたようです。

鈴木選手がプロ野球選手としてのステップを着実に上げていく中で、大きな転機となったのは、福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手に自ら弟子入りを志願し、一緒に自主トレを行なうようになったことと言われています。

元々バットを振る能力の高さと体の強さを持ち合わせていた鈴木選手は、内川選手の打撃技術をプラスすることで自らの打撃技術を高めると共に、チームリーダーのあり方といったことも学ばれたのだと思われます。

既にプロ野球界の中で一定レベル以上の立場を築かれた鈴木選手ですが、今も内川選手のところへは通い続けておられます。

自らを客観視し、まだ内川選手から学ぶことをがあると思えばこそ通われるのでしょうし、昨年のオフには高卒3年目で非凡な打撃センスが評判の坂倉将吾選手を同行するなど、自分のことだけでなく、まわりにもいい意味での影響力を及ぼしておられます。

鈴木選手がチームで4番を任されるようになったのは入団5年目の2017年からですが、当初は凡打してベンチに戻った際に、大きな声で叫び、打撃用手袋をたたきつけて感情を爆発させるようなことがあったようです。

そんな行為を、当時チームの長老的存在でもあった新井貴浩選手から「そういう姿勢は自分を落ち着かせることにはなってもチームにいい影響は与えない」とたしなめられたそうですが、こういうことからもチームの主力選手のあるべき姿勢を学ばれたものと思われます。

こうした事例を見るにつけ、鈴木誠也という選手は、広島東洋カープというチームが育てた逸材であることが分かります。

打撃、守備という技術面はご本人の資質とたゆまぬ努力で形成されてきたことは間違いありませんが、それ以上にチームの中心選手としての自覚、あるいは振る舞い、チームの勝利の為に一人一人が為すべきことは何なのか、といった組織マインドは広島東洋カープというチームが持つ風土の中から育まれたものでしょうし、新井貴浩選手が鈴木選手をたしなめたように、鈴木選手たち今の中心選手が次の選手たちへ語り継がれるのだと思われます。

走攻守を兼ね備え、特に強肩という武器を持つ鈴木選手には、近い将来メジャーリーグへの移籍の話が出てくる可能性は十分あるように思われます。

鈴木選手がメジャーで活躍されるのなら、その勇姿をぜひ見てみたいと思いますが、もし将来に渡って国内でのプレーを望まれるのなら、一ファンとしては広島東洋カープの選手としての道を全うし、将来は広島の指導者として第二・第三の鈴木誠也を育てて欲しいなとも思います。

元広島東洋カープの選手で、2018年シーズンの終了をもって引退された、現野球評論家の天谷宗一郎氏は鈴木選手のことを、同じフィールドに立っていてもワクワクさせてくれるし、常に何かやってくれるのではないかと期待させてくれる、そんな選手だと語っておられます。

来シーズンは途中に東京オリンピックという大勝負が入ります。4番を打たれるのか3番を打たれるのかは分かりませんが、日本チームの主力打者として金メダルへの強力な推進力となっていただくことを期待したいと思います。

鈴木選手の年齢はまだ25歳、しかし既に風格が漂い始めています。
打撃技術はまだ進化の途上と思わせるものがあり、近い将来にはトリプルスリー、三冠王の可能性も彷彿とさせてくれます。

広島東洋カープの大黒柱であることは無論のこと、侍ジャパン・トップチームの大黒柱として、観る者を思わずワクワクさせてくれる、そんなご活躍を心からお祈りしたいと思います。

(おわり)
2019/11/29

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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