和田毅投手~この時期にこそ、必要とされる選手とは?【第117回】

和田毅投手~この時期にこそ、必要とされる選手とは?【第117回】

8月も後半になり、2019年のプロ野球もいよいよ大詰めが近づいています。
8月上旬にはセリーグ、パリーグ共に首位と2位チームの差が0.5ゲーム差まで接近した時期がありましたが、その後首位に立つ読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークスが盛り返し、今はリーグ制覇というゴールへの階段を力強く駆け上がっています。

そんな状況の中、パリーグの首位に立つ福岡ソフトバンクホークスの今シーズンは、シーズン序盤からケガ・故障等による主力選手の戦線離脱が相次ぎながら、一時期調子を落とす時期はあったものの決して大崩れせず、さすがとも思える層の厚さを見せつけてくれています。
ここへきて主力選手が戦線へ戻りつつあり、更に戦力を充実させつつあります。

今回はそんな選手のお一人として、和田毅(ツヨシ)投手を取りあげさせていただきます。

和田投手は1981年2月生まれの38歳、学年として同じになる1980年生まれは、俗に言われる松坂世代であり、名選手を数多く輩出した黄金世代です。

和田投手の球団に登録されている出身地は島根県出雲市ですが、生まれは母親の実家である山形県、幼少期は愛知県江南市で過ごし、野球を始められたのも愛知県江南市の藤里小学校1年生の時だそうです。
その後10歳の時に島根県出雲市へ転居し、高校は父親の実家に近い同県浜田市の島根県立浜田高等学校へ進学されています。

浜田高校では2年生と3年生の夏にエースとして甲子園出場を果たされています。
2年生の時には初戦敗退でしたが、3年生の夏はベスト8まで進出されています。

ただこの段階では「プロなんて考えたこともなかった」そうで、開会式で同世代のスーパースター松坂大輔投手(現中日ドラゴンズ)に和田投手からお願いをして一緒に写真に収まり、これで一生の自慢になる、と思われたそうです。

その後、父親から神宮球場で試合をする大学野球の話を、小さい頃からよく聞かされていた影響もあり、早稲田大学に進学されています。

余談になりますが、和田投手の父・雅之氏は日本体育大学野球部の出身で、首都大学リーグで首位打者1回、ベストナインに二度選出されている好選手だったようです。
また実弟も立教大学で活躍された後、2016年に浜田高校硬式野球部の監督に就任されています。

早稲田大学ではひたむきに練習に取り組み、めきめき力をつけていかれました。
特に走り込みの量は半端ではなかったようで、ご本人が言われるには「大学2年生のゴールデンウィーク頃が人生で一番走った時期」だったそうで、朝9時から夕方5時まで走りっ放しだったそうです。
併せて投球フォームを科学的に分析してのフォーム改造にも徹底して取り組まれました。

当時プロで速い球を投げる代表的な投手のお一人が松坂大輔投手だった為、左投げの和田投手は右投げの松坂投手のフォームを参考にする為、鏡で反転させてチェックをされたそうです。
その結果、ボールを投げない逆の腕(グローブをはめている腕)をぐっと引き、軸足にしっかり力をためて前に出ようとする体を逆の腕で止めていることが分かったそうです。

その後シャドウピッチングを繰り返すことで感覚を掴んだ結果、120キロ台しか出なかったストレートの球速が一気に15キロ以上増し、併せてとてつもないキレを生み出し、空振りのとれるストレートが出来上がったようです。

2年生の春から先発陣の一角に仲間入りすると群を抜くペースで三振を奪い続け(それまでの法政大学・江川卓投手の東京六大学リーグ奪三振記録443を更新し、通算476奪三振を記録)、リーグ戦通算では62試合に登板して27勝13敗、防御率1.35という成績を残されました。

己に厳しくひたむきな練習姿勢が下級生の鳥谷敬選手(現阪神タイガース)、青木宣親選手(現東京ヤクルトスワローズ)らに好影響を与え、早大野球部史上初の4連覇達成の元となりました。

卒業後は当時存在した自由獲得枠で福岡ソフトバンクホークスへの入団を決断されましたが、決め手は秋山幸二選手の引退試合での、福岡のファンの温かい声援に感動されたからだったそうです。

入団後は1年目(2003年)から先発ローテーションの一角を担い、チームの優勝に貢献。14勝5敗の好成績で新人王を満票で獲得すると共に、阪神タイガースと戦った日本シリーズでは、3勝3敗で迎えた第7戦に先発し、史上初の新人投手の完投勝利を成し遂げる等、大いに存在感を発揮されました。

以降2007年までの5年連続で二桁勝利を挙げられましたが、これは前身球団であった南海ホークス時代の杉浦忠投手以来45年ぶりの記録だったそうです。

その後2008年・2009年は二桁勝利を挙げられず、調子の上がらないシーズンを過ごされました。
特に2009年は最終成績4勝5敗とプロ入り後ワーストの成績に終わりましたが、翌2010年は力強く復活し、17勝8敗の成績で最多勝のタイトルを獲得し、チームの7年ぶりの優勝に大きく貢献すると共に、初のMVP・ベストナインにも選出されています。

そして翌2011年もフル稼働で16勝をあげ、チームのリーグ連覇と8年ぶりの日本一に貢献された後、この年に取得された海外FA権を行使してのメジャーリーグへの移籍を決断されました。

先発として投げられることを優先して移籍先を選択し、ボルチモア・オリオールズとの間で2年総額800万ドル強での契約を結ばれました。

ただアメリカへ渡ったばかりのスプリングキャンプで左肘に違和感を訴え、これが後に左肘にメスをいれるトミージョン手術を受けることにもなり、結局オリオールズでは一試合もマウンドに立つことが出来ませんでした。

アメリカへ渡って3年目・4年目はシカゴ・カブスとのマイナー契約から這い上がり、メジャーデビューは果たされるも、2年間通算で5勝5敗という成績しか残せず、日本へ戻ることを選択されました。

和田投手のそれまでの日本での実績を考えると、不本意な思いの残る米国での4年間であったと思われますが、和田投手はこの米国での4年の間に次への布石も打っておられたようです。

それはカットボールとツーシームのマスターであり、投球の際のプレートの立ち位置を日本時代の一塁側から三塁側へ変えることだったようです。

メジャーの強打者はギリギリまでボールを引き寄せて芯でとらえようとしてくる為、芯を外すようなボールをマスターしないと球数を減らすことも出来ないということで、カットボール、ツーシームを覚えられたようです。
右バッターから見るとカットボールは食い込み、ツーシームは外へ逃げていく、つまり両方向へボールを散らすことで芯を外す技術を身につけられたとのことです。

ここで和田投手の投手としての特徴を述べさせていただくと、前述した通り三振のとれる投手です。

スピードメーターの表示だけではそれ程速くはないのですが、球持ちが長く、ボールの初速と球速の差が小さく、ボールの回転数もプロの平均値を大きく上回っている為、打者の手元ですごく伸びてくるボールを投げられるのが特徴だそうです。
これは受けておられる捕手、対戦相手の打者が異口同音に指摘しておられます。

併せて、投げる瞬間のリリースのタイミングを微妙にずらした投球をされているのも大きな特徴のようです。
これは球団専属のカメラマンがリリースの瞬間の写真を撮ろうとしても思うようにファインダーにおさめることが出来ないと証言されています。
普通の投手は何球か投げているうちに段々タイミングが合ってくるらしいのですが、和田投手の場合は最初から最後までタイミングが合わない、カメラマン泣かせの投手だそうです。
これが相手バッターからすると球の出所が分かりづらい厄介な投手という印象になっているようです。

米国からの帰国後、古巣福岡ソフトバンクホークスと契約し、2016年シーズンより再びマウンドに立っておられます。

2016年シーズンは一年を通して15勝5敗の好成績で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得されるも、シーズン終盤の9月後半に左肘痛で抹消となり、ポストシーズンに投げることは出来ませんでした。

そして復帰2年目の2017年シーズンは6年ぶり4度目の開幕投手を務め勝利を挙げるも、直後に再び左肘の不調で抹消となり、8月後半までの長期離脱となってしまいました。

結局このシーズンは終盤に復帰して4勝0敗、翌2018年シーズンは左肩痛の為、一軍公式戦で投げることは出来ず、二軍公式戦での2試合の登板に終わってしまいました。

そして大幅減俸(推定年俸4億円から1億円+出来高へのダウン)を飲み、再度の復活をかけて臨んだ今シーズン、6月5日の本拠地での交流戦・中日ドラゴンズ戦で今シーズンの初登板を飾り、以降先日の8月12日まで7試合に登板し、36回3分の1イニングを投げて3勝2敗、防御率2.97という成績を残されています。

かつての和田投手の実績からすると決して満足のできるものではないかもしれませんが、何度も何度も左肘、左肩に故障を発症した和田投手の体調を考慮し、工藤監督をはじめとする首脳陣が登板間隔、登板イニング数、登板場所(和田投手の登板はほとんどが本拠地のヤフオクドーム)に配慮しながら起用しておられる様子が観る者にも十分伝わってきます。
それもこれも、この先に控えるクライマックスシリーズ、日本シリーズで大きな戦力としての活躍を期待すればこそ、と思われます。

これだけ実績のある選手が自らの復活をかけて、前向きかつ真摯に練習に取り組む。
その姿勢がチームの若手選手たちに与える影響は甚大なものがあるに違いなりません。

更に「思考派」と言われるぐらい、考えてそして工夫を重ねる和田投手の姿勢がまわりに与える影響は計り知れないものと思われます。
推定年俸を4分の1に引き下げた選手が、まわりにこれだけの好影響を与えてくれれば、それだけでも大きなメリットです。

私は、こういう選手を大事にしていく球団の姿勢こそが強い組織(チーム)を作り上げていく目に見えない力となっているように思えてなりません。

この球団の姿勢に応えるべく選手が発揮するパフォーマンスは、これからのシーズン最終盤の戦い、その先に控えるクライマックスシリーズ、日本シリーズでこそ発揮されるべきものです。
和田投手にとっての今シーズンは、まさにここからが本当の戦いの場になるはずです。

和田投手の円熟味を増した投球術を、ここから先の真剣勝負の場で観せてもらえることを、今から大いに楽しみに待ちたいと思います。

(おわり)
2019/8/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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