坂本勇人選手~夢への挑戦!ショートで三冠王【第112回】

坂本勇人選手~夢への挑戦!ショートで三冠王【第112回】

2019年のプロ野球は開幕から1ヶ月半が経過し、連日白熱した試合が続いています。
5月12日(日)の試合を終えた時点で、セリーグは読売ジャイアンツ、パリーグは福岡ソフトバンクホークスが首位に立っていますが、まだ2位以下のチームとはそれ程の差はついておらず、今後の展開が大いに楽しみです。
そんな首位の両チームの中から、今回はセリーグ首位の読売ジャイアンツ・坂本勇人選手を取りあげさせていただきます。

坂本選手は1988年12月14日生まれの30歳、兵庫県伊丹市のご出身です。
小学校1年生から野球を始め、小学生時代の所属チームであった昆陽里(コヤノサト)タイガースでは、現在ニューヨーク・ヤンキースでエースとして活躍する田中将大投手とバッテリーを組んでおられましたが、なんと当時は坂本選手が投手、田中投手が捕手だったそうです。

そして、その後高校は青森県八戸市の光星学院高校に進学されました。
1年生の秋からショートのレギュラーの座をつかみ、3年生の春の甲子園への出場を果たされましたが、チームは1回戦で岡山県の関西高校に4対6で敗れました。しかしその試合で坂本選手ご自身は3安打されています。

高校通算39本の本塁打を記録した強打の内野手として、2006年秋の高校生ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団されています。
ちなみにですが、読売ジャイアンツは当初、現中日ドラゴンズの堂上直倫(ドノウエ・ナオミチ)選手を1位指名しており、その外れ1位として指名したのが坂本選手でした。
ご本人にとっても、読売ジャイアンツというチームにとっても、何が幸いするか分からない不思議な縁のようなものを感じてしまいます。
余談ですが、坂本選手の入団時の背番号「61」番は2006年のドラフト1位にちなんでのものだそうです。

入団1年目は二軍で77試合に出場。7月には一軍に初めて昇格し、代走として初出場、9月初旬には中日ドラゴンズ戦で代打で出場し、決勝点となったプロ入り初安打・初打点を記録されています。
そして迎えた入団2年目の2008年、読売ジャイアンツでは松井秀喜選手以来となる10代での開幕スタメン入り(8番・二塁手)を果たされました。

実はこの開幕戦、当時ショートのレギュラーであった二岡智宏選手が試合中に負傷し、試合途中で坂本選手はセカンドからショートへ守備位置が変更となっています。
そんな中、以降ショートとして試合出場を続け、約一週間後の4月6日の阪神タイガース戦(東京ドーム)で一軍での初本塁打を満塁ホームランで記録するという、野球ファンの記憶に深く刻み込まれるようなホームランデビューをされました。
その後二岡選手は負傷が癒えて復帰されたのですが、もう二度と坂本選手がショートの座を譲ることはなく、この年、全試合スタメン出場を果たされています。

まさに偶然で巡ってきたワンチャンスをモノにしてしまう強運の持ち主でもあった訳です。
ちなみにですが、高卒2年目で全試合にスタメン出場したのは、中西太選手(西鉄ライオンズ)、清原和博選手(西武ライオンズ)に続く史上3人目、セリーグでは初の快挙でした。
この年はオールスターゲームにも出場して初安打も記録、埼玉西武ライオンズと戦った日本シリーズ第7戦では西口文也投手から初本塁打を放つなど、トータルでの成績(打率.257、8本塁打、43打点)はともかく、存在感を示し、大きな成長を遂げられた年でした。

併せて私自身が個人的に凄いなと思ったのは、坂本選手はこの年、オープン戦・公式戦・オールスター戦・クライマックスシリーズ・日本シリーズの172試合全てに出場されていることです。
若かったと言えばそれまでなのかもしれませんが、今日へと続く鉄人ぶりを19歳のシーズンに既に示されていたことを素直に評価したいと思いました。

以降13年目となる今シーズンまで、ずっと読売ジャイアンツの主力選手として活躍を続けておられます。
昨シーズンこそ7月に脇腹を痛めて出場選手登録を抹消され、1ヶ月以上の戦列離脱がありましたが、それ以外は2015年の10数試合の欠場を除くと、ほぼすべての試合への出場を続けておられます。
しかも野手としては最も多くの運動量が要求され、負担も大きいとされるショートを守りながらです。(坂本選手は、そのキャリアにおいてセカンド1試合、ファースト3試合を守った以外は全てショートを守っておられます)

2012年には最多安打のタイトルを、2016年には最高出塁率と併せて首位打者のタイトルも手にされています。
守備位置がショートの首位打者はプロ野球史上3人目、セリーグでは初の快挙でした。(パリーグでは過去1956年西鉄ライオンズの豊田泰光選手、2010年千葉ロッテマリーンズの西岡剛選手が達成)
又、直接のプレーとは関係ありませんが、坂本選手は2014年12月から現在に至るまでチームの主将を務めておられます。

坂本選手の選手としての特徴ですが、インコースを打つ技術は球界でも屈指と言われています。
かつてはインコースに比べると外寄りのアウトコースを苦手とされていた時期もあったようですが、今はアウトコースをさばく技術を身につけられた上、右方向へも長打が打て、状況に応じての軽打も出来るということで、今はコース・球種の苦手が少なく相手チームのバッテリーにとっては実に攻めにくい嫌なバッターになっておられます。(千葉ロッテの捕手で現野球評論家の里崎智也氏・談)

この特徴を持つがゆえに、坂本選手は極めて死球が少ない選手でもあり、過去規定打席に到達して死球ゼロというシーズンが三度ありましたし、2014~2016年にかけては1747打席連続で死球がありませんでした。
坂本選手が俊敏であることに加え、インコースを打つことを得意としている坂本選手相手には身体に近いボールを投げづらい為です。
ただいくらインコースに強いと分かっていてもアウトコース一辺倒では簡単にやられてしまう為、インコースの使い方がとても重要になる訳ですが、ひとつ間違うとやられてしまいますから、投げる投手の側の技術の高さとボールの質が要求されることになるようです。(前述の里崎氏・談)

こんな坂本選手に、今まさに進行形の新たな勲章がひとつ加わりました。
5月12日(日)のヤクルト戦で開幕からの連続出塁試合記録(安打か四球で出塁)を36試合とし、1997年に広島カープ在籍時の金本知憲選手が打ち立てた35試合というセリーグ記録を破る新記録を打ち立てました。
プロ野球記録は1983年に西武のスティーブ選手の打ち立てた40試合だそうですが、うまくいけば5月18日(土)にプロ野球タイ記録を、5月19日(日)にプロ野球新記録を打ち立てておられるかもしれません。

バッターとして更なる進化を見せておられる坂本選手ですが、今シーズンについて言うと、広島東洋カープからFAによって読売ジャイアンツに入団された丸佳浩選手の存在もいい影響を及ぼしているようです。
5月12日までで読売ジャイアンツは36試合を消化していますが、うち20試合が坂本選手2番・丸選手3番の組み合わせ、16試合が坂本選手1番・丸選手2番の組み合わせです。
いずれにしろ坂本選手・丸選手の打順は連続する打順が組まれています。後ろに丸選手が控えることで、相手バッテリーは坂本選手を簡単に歩かせることが出来ず、きわどいコースを突きながらもある程度勝負をしていかざるを得ない状況が打順によって作られている訳です。

5月12日(日)現在、坂本選手は打率.349、13本塁打、30打点という成績を残されていますが、これはすべてにおいてセリーグ1位の成績です。
現時点におけるセリーグ三冠王ですが、坂本選手はかつて一度だけ年間31本塁打という記録を残されたことがあります。
ただショートを守る選手で年間30本以上のホームランを打ったことのある人は、過去坂本選手を含めてたった5人(延べ13回)しかいませんが、ホームラン王をとったケースは、1984年の宇野勝選手(中日ドラゴンズ)の一例があるだけです。

坂本選手の打撃の進化は飛距離も伸ばしており、今のペースならホームラン王も決して不可能とは言い切れません。
ショートを守る選手のホームラン王、思っただけでワクワクしてきます。
ただし前述した里崎氏によると、1番ないし2番を打つ坂本選手の前には9番の投手が入る為、打点王になるという意味では、かなり厳しい状況が予測されるようです。

一方坂本選手はこれまでゴールデングラブ賞を二度(2016年、2017年)とっておられます。
広い守備範囲と一塁への送球に定評がありますが、遠投110メートルの強肩を生かした三遊間の打球処理に強みを発揮しておられます。
ただかつてはセリーグの遊撃手の最多失策数を4年連続で記録したこともあったようで、チームメートの一部からは確実性重視の守備を、との声があがったこともあったようです。

しかし坂本選手は「消極的に守ることに何の意味があるのか分からない。逃げるような真似はしたくなかった」ということで、広い守備範囲を重視する守りにこだわりを持ちながら守備面も進化してこられたようです。
捕手の配給、サインで守備位置を変えたり、打者が打つ前の段階の準備として、一歩目の動きを常に想定した備えをする等、我々ファンの目線には入ってこないところで名手への階段を一歩ずつ上がっておられます。

読売ジャイアンツという球団は豊富な資金力で常に選手の補強を怠らない球団です。
それについての賛否は野球ファンの間でも分かれるところではありますが、しかしこの球団はいつの時代にも球団生え抜きの中心選手を持とうとしてこられましたし、記憶の中では常に求心力のある中心選手をチームの中核に据え続けようとされてきました。

古くは長嶋茂雄選手、王貞治選手、原辰徳選手、近年では松井秀喜選手、高橋由伸選手、阿部慎之助選手といった方々です。
これら生え抜き中心選手に外部から招聘した外国人選手、FAで加入した日本人選手を組み合わせてチームの戦力を整え、ファンにとっての魅力あるチームづくりを常に心掛けてこられたように映ります。
30歳という若さでありながら、打撃面・守備面で円熟の境地に入りつつある坂本選手は、まさに前述した名人級の生え抜き中心選手の列に加わろうとされているように思われます。

ショートという最も華麗で最も難しいポジションにつきながらの三冠王挑戦。
ジャイアンツファンにとっては心が躍るような光景でしょうし、アンチジャイアンツファンにとっては「ストップ・ザ・サカモト」を掲げて一段と応援に熱のこもる光景に違いありません。
双方のその熱気がプロ野球の更なる発展につながっていくことは間違いなさそうです。

坂本選手には目前に迫る「開幕からの連続出塁試合記録」の日本記録を達成していただきたいですし、もし首尾よく日本記録が達成できた暁には、「開幕から」に限らない連続出塁試合記録である1994年のイチロー選手の日本記録(69試合)に挑戦していただきたいものです。

ショートというポジションで身体に負荷をかけ続けておられる坂本選手には、ケガをすることなく試合に出続け、更なる活躍をしていただくことを願ってやみません。まだまだこれから佳境に入っていく2019年のシーズン、大いに楽しみたいものです。

(おわり)
2019/5/13

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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