イチロー選手~野球の求道者が決断した自らの引き際!【第110回】

イチロー選手~野球の求道者が決断した自らの引き際!【第110回】

2019年のプロ野球が開幕しました。
3月29日の開幕戦ではセパ6試合のうち3試合が延長戦にもつれ込むなど、早速白熱した戦いが繰り広げられています。

当初は今シーズンの開幕にあたって、私が今シーズンの活躍を大いに期待している一人の選手を取りあげるべく準備を進めてきましたが、3月20日・21日の両日東京ドームで行われたメジャーリーグの開幕戦(オークランド・アスレチックスvsシアトル・マリナーズ)をTV観戦し、その試合終了後のイチロー選手の会見を耳にし、急遽今回はイチロー選手を取りあげさせていただくことにしました。

実は当コラムでは過去二回イチロー選手を取りあげています。
一度目はイチロー選手のニューヨーク・ヤンキースからフロリダ・マーリンズへの移籍が決まった時(第37回「生きるレジェンド、新天地へ!」)、二度目はイチロー選手がメジャーリーグでの3000本安打を達成した時(第63回「レジェンド、更なる次を目指して!」)です。

これだけの華々しい実績を残してきたイチロー選手ですが、多くの野球ファンがイチロー選手の現役選手としての終焉が近づいていることを薄々感じながら注目した東京ドームでの二連戦でした。

オープン戦の段階からなかなかヒットが生まれず、結局二連戦で6度打席に立つもヒットを打てず、途中交代で退かれました。
3月21日の2試合目の試合途中には、終了後イチロー選手が会見をする旨の報道がなされ、球場で観戦したファンもTV観戦のファンも、この試合が最後の試合となるであろうことを感じ取った訳です。
すると試合終了後も大多数のファンが球場に残り、イチロー選手の再登場を求める声援と拍手に球場全体が包まれました。

演劇の舞台やクラシック音楽の演奏会では、終了後にカーテンコールの拍手が鳴りやまないことはよくありますが、野球の試合会場では滅多に見ることのない感動的なシーンでした。
イチロー選手が手を振りながら場内を一周し終わった時、既に時刻は夜中の11時半。私なんぞはTVを観ながら「球場にいる人たちは、終電大丈夫なのかな?」と妙な心配までしたほどでした。

その後場所を移して行なわれた会見は深夜の12時前から1時間半近くに渡って行なわれましたが、会見の大半がメディアの記者の質問に答える形式がとられた為、前もって準備された答を読み上げる形ではないだけに、イチロー選手の素の人間性が滲み出ているようで、私はとても好感が持てましたし、含蓄と深みのあるいくつかの言葉に心を打たれました。

今回はこの引退会見で語られたことを中心に、イチロー選手の野球に取り組む姿勢、人間イチローの物の考え方、心の葛藤といったことに触れてみたいと思います。

会見の中でイチロー選手は、現役としての選手生活に終止符を打つ決断を行なったことに後悔や思い残したことはないかと問われ、つい数十分前に球場の中で繰り広げられた出来事を見せつけられたら後悔などあろうはずがないと言い切られました。

イチロー選手は2001年にシアトル・マリナーズでメジャーリーガーとしてのキャリアをスタートされた後、2012年シーズン途中にニューヨーク・ヤンキースへ、2015年にはマイアミ・マーリンズへ移籍されています。
全盛時に比べれば衰えたとは言え、ヤンキース時代は毎年100本以上のヒットを打ち、マーリンズでも最初の2年は100本近くのヒットを打っています。
しかしマーリンズ時代の3年目は打席に立つ回数も大きく減り、ヒットも年間50本にまで減少しています。

そんなイチロー選手に古巣シアトル・マリナーズはオファーを出し、2018年シーズンより6年ぶりの復帰を果たされました。
しかしシーズンが始まってもなかなか調子が上がらず、15試合に出場し47回打席に立って9安打を打った時点で、ベンチ入りメンバーから外れて会長付特別補佐に就くという異例の契約が発表されました。
2018年シーズンの試合には出場しないものの、遠征にも同行して練習を続け現役復帰を目指しながら選手をサポートするという立場です。

翌年(2019年)の開幕戦が東京で行なわれるという興行的意味合いがあったことは事実でしょうが、昨年5月の時点で自由契約という名のクビになってもおかしくない状況の中でチャンスへの道が残され、1年後の舞台に立つ為の練習をイチロー選手もやり続けた、そのことが会見の中で「どの記録よりも自分の中では、ほんの少しだけ誇りを持てたことかなと思います」という言葉に結実したように思われます。

実に重い意味合いを持った言葉でした。
持続力・粘り強さの裏にあるイチロー選手ご自身の意志の強さが表われており、まさにこうしたものが45歳まで現役を続け、これだけの数々の記録を打ち立てた原動力となっていたのであろうことに感銘を覚えざるを得ません。

凡人(の選手)にはあの記録は打ち立てられません。しかしあの持続力・粘りは、それぞれの人(選手)の中でやろうと思えばやれるはずです。イチロー選手は単なる天才ではありません。会見の中で自身の生き方を語られた項からも見てとれます。

会見の中では自分自身の生き方について、こんなことを語られました。
「自分は人より頑張ることなんてとても出来ないんです。あくまで秤は自分の中にあり、自分なりにその秤を使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。だから少しずつの積み重ねしか自分を超えていくことは出来ないと思うんです。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがあり過ぎて、それは続けられないと僕は考えているので、地道に進むしかない。自分がやると決めたことを信じてやっていくしかないんです。でもそれが正解とは限らないんですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんです。でもそうやって遠回りをすることでしか本当の自分には出会えないという気がしているので。そうやって自分なりに重ねてきたことを、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなと。今日のゲームの後のファンの方の気持ちですよね。本当に嬉しかった。」

イチロー選手が毎年200本超のヒットを打ち続けておられた頃、あまりにも簡単そうにヒットを打つ姿を見て、この選手はメジャーリーグの中でも別格の天才選手なんだと勝手に思っていましたが、自身で語られた生き方を聞き、この選手は実は地道な努力を究極まで積み重ねることの出来る求道者だったんだと改めて思い知らされました。

東京で引退会見を開いたことで、アメリカのファンへのメッセージは? と問われたイチロー選手は、アメリカのファンの方々は最初は厳しかった、最初の2001年のキャンプの時には「日本に帰れ」としょっちゅう言われたと語る一方で、結果を残した後の敬意の示し方というのは、なかなか迫力があるなという印象を持っておられたようです。

一方で日本人のファンに対しては、これまでなんとなくの印象として、日本人は表現するのが苦手なのかなと感じておられたようですが、今回の東京遠征の2試合を通じて、その印象は完全に覆ったようです。内側に熱い思いがあり、それを表現した時の迫力は今まで想像も出来ないぐらいのものだったようです。
イチロー選手の気持ちの中では、あの試合後のカーテンコールはそれぐらい衝撃的な出来事だったようです。

また会見の中ではイチロー選手の感じておられる本来のあるべき野球観についても語られました。
野球というゲームは頭を使わないと出来ない競技のはずなのに、野球発祥の地のアメリカではそうじゃなくなってきていることに気持ち悪さを感じ始めておられるようです。

従って日本の野球はアメリカの野球に追従する必要は全くなく、日本の野球は頭を使う面白い野球であって欲しい。日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなければいけないことを大切にして欲しいとも語られました。

会見では他にも現役時代のイチロー選手を支えてこられた弓子夫人と愛犬・一弓(イッキュー)への労いと感謝の思いが語られたり、大谷翔平選手の今後の活躍への期待、イチロー選手の引退のゲームでメジャーデビューを果たされた同僚の菊池雄星投手への親しみを込めたエール等々、人間鈴木一朗の実像の一端を垣間見ることが出来るようないい会見であったように思います。

イチロー選手の昨年5月から引退を表明されるまでの10ヶ月間の足跡は、私には組織と個人のあるべき関係性が体現された実例のように思えます。

組織と個人がお互いに持たれ合わず、組織は個人に一定レベルのパフォーマンスを求め、個人はその要求に応える為に努力を重ね、打ち立てる実績で応えていく。
結果が残せれば組織は次のステージという場を用意し、逆に個人が結果を残せなければ、その結果に対して責任を負うという実にシンプルな関係性です。

イチロー選手はキャンプの最終盤の時期に自らの進退を決断されたようです。
あのイチロー選手にして、実戦の打席に立たない10ヶ月間の影響がそれ程までに大きかったということであり、打撃技術というものの奥深さ、繊細さを思い知らされた気がしました。

イチロー選手は我々日本の野球ファンに、というより日本人全体にアメリカのメジャーリーグの野球を身近な存在として意識させてくれました。
プレーヤーとしての活躍ぶりをもう二度と見ることは出来ませんが、我々の心の中にずっとその華麗なプレーが生き続けるものと思われます。
イチロー選手、長い間ご苦労様でした。現役プレーヤーから離れた第二の人生でのご活躍をお祈りしています。

(おわり)
2019/4/1

「福山義人のプロ野球に学ぶ組織論」一覧に戻る

筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

※福山義人氏への講演依頼はこちらから