金子弌大投手~新天地で甦れ!究極の投球術【第109回】

金子弌大投手~新天地で甦れ!究極の投球術【第109回】

球春間近!2019年のプロ野球は3月29日の開幕へ向けて、今はオープン戦の真只中です。
ドラフト指名を受けて各球団に入った新人選手の中にも、開幕一軍メンバーに名前を連ねそうな人が出てきています。一方大きな話題と共にFAで新しいチームに加入した注目の選手たちも順調な仕上がりを見せてくれています。

そんな中、昨シーズンまで所属された球団を自由契約となり、新天地を求めて移籍された選手もおられます。
そんな選手の中に、私が今シーズンの活躍を大いに期待している選手がおられます。かつてプロ野球界の投手が受賞する最高の栄誉である沢村賞を受賞したこともあり、今シーズンより心機一転、登録名も変更して再出発されようとしている選手です。今回はその選手を取りあげさせていただきます。その選手の名は、北海道日本ハムファイターズの金子弌大(チヒロ)投手です。

金子投手は昨シーズンまではオリックス・バファローズの選手として、登録名は本名の金子千尋(チヒロ)をそのまま名乗っておられましたが、プロ入り以来お付き合いのある風水の先生から「この名前をつけた方がいい人生になる」と勧められたこともあり、移籍と同時に千尋を弌大に変えられました。ちなみにですが、「弌」という字は「一」の古字にあたります。

さて金子投手のプロフィールですが、1983年11月生まれの35歳、新潟県三条市で生まれた後、小学校4年生の時に長野市へ転居されています。そして高校は長野県立長野商業高等学校へ進学され、2年生の春のセンバツで甲子園に出場され、一回戦は勝ち上がったものの、残念ながら二回戦で敗退されています。高校卒業時には強豪大学の野球部からの誘いもあったようですが、社会人野球のトヨタ自動車に入社されました。

トヨタ自動車では3年目に抑えとして頭角を現し、都市対抗野球大会でも好投しておられます。金子投手の社会人3年目となった2004年はプロ野球の再編問題が起こった年ですが、当時のオリックス・ブルーウェーブの担当スカウトがトヨタ自動車野球部の練習を視察した際に金子投手が投じた「キャッチャーがいなければ果てしなく伸びるようなストレート」に魅了され、球団首脳部に「今は肘を故障しているが、治れば来年のドラフト会議には複数球団が間違いなく上位で指名する。ただ、今なら合併するオリックス・バファローズが単独で獲れます」と力説し、当時あった自由枠での指名にこぎつけたようです。

こうして大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併によって誕生した新生オリックス・バファローズの1期生として入団されたプロ1年目は、前述した故障の影響もあり、医師や理学療法士を交えたリハビリを優先。その影響で一軍公式戦での登板機会はありませんでしたが、シーズン後半から二軍のウェスタンリーグではしっかりした成績を残され、翌年には中継ぎを中心に一軍公式戦で21試合に登板、救援で一軍公式戦での初勝利も記録されています。

そして3年目には中継ぎ要員として初めて開幕一軍メンバーに名を連ね、先発に転向したシーズン後半の8月以降は、先発としての初勝利に続き、初完封勝利もあげられました。結局シーズン終了までを先発投手として6連勝で終え、入団後3年を経てチーム内での戦力としての立ち位置を自らの力で明確に示されることとなりました。

そして迎えた入団4年目となる2008年の開幕戦で、自身初の開幕投手に指名され勝利をあげると、以降先発ローテーションの軸に定着。自身初の規定投球回数に到達しての二桁勝利(10勝9敗)をあげ、チームの9年ぶりのAクラス入り・初のクライマックスシリーズ進出に貢献されました。以降2011年まで4年連続の二桁勝利をあげると共に防御率も安定し、エースへの階段を着実に上っていかれました。

その後、春季キャンプ中から右上腕部の張りや腰痛を発症し、シーズン中にも右肘の張りを訴えた2012年のシーズンだけは、わずか9試合63イニングしか登板出来ず、4勝3敗の成績に終わりましたが、故障が癒えた2013年・2014年は、それぞれ15勝8敗・16勝5敗(最多勝)、防御率2.01・1.98(最優秀防御率)、奪三振数200(最多奪三振)・199という素晴らしい成績をおさめ、2014年には沢村賞を受賞すると共に、チームがリーグ優勝を逃したにも拘わらず最優秀選手(MVP)にも選出され、まさにプロ野球界を代表する投手となられました。

よく投手をタイプ別に分類し、本格派・技巧派という言い方がなされます。大谷翔平投手のような160㎞を超える豪速球を投げる人を「剛」と例え、多彩な変化球を操る投手は「柔」という言い方もなされます。当時の金子投手はまさに本格的な技巧派であり、「柔」の極みとも言える投手でした。カーブ・スライダー・チェンジアップ・カットボール・シンカー・スプリットボール等々、七色の変化球を投げ分け、どの変化球でもすべてストライクが取れ、すべてがウィニングショットにもなる、当時のパリーグのバッターからは本当に厄介な対戦相手と思われていたようです。

2014年のシーズンが終了した段階では、ポスティングシステムを行使してのメジャーリーグ移籍も頭にあったようですが、球団はポスティングの行使は認めず、ご本人もシーズンオフに右肘骨棘(こっきょく)の除去手術を受けたこともあり、メジャーへの移籍願望を胸にしまい、4年契約・推定年俸総額20億円+出来高の条件でオリックス・バファローズへの残留を決断されました。

しかしここからの4年間は金子投手にとって苦難とも言える4年間となってしまいました。4年間トータルで30勝30敗、二桁勝利は2017年の一度だけ(12勝8敗)、規定投球回数に届いたのも二度だけ、あれだけ正確であった制球面で苦しむようになり、直近4年間の防御率はすべて3点台、特に4年契約の最終年となった昨年(2018年)は首から背中にかけての張りに苦しみ、8月中旬以降は登録抹消からの復帰もかなわず、そのままシーズンを終えて4勝7敗・防御率3.87、わずか17試合・100イニングの登板と、不本意な結果となってしまいました。

広島東洋カープの黒田博樹投手の現役引退後は球界最高年俸(6億円)となっていた金子投手に対し、オリックス球団は野球協約の減額制限(1億円超は40%)を大幅に超える5億円減の年俸1億円を提示し、金子投手からの自由契約申し入れを受け入れました。自由契約が公示された2日後には北海道日本ハムファイターズへの入団が発表されています。

この電光石火の入団が実現した裏では、栗山監督の是が非でも来て欲しいという熱烈なラブコールがあったようで、金子投手も栗山監督や球団の方のすごい情熱に心を打たれましたと率直に語っておられます。栗山監督は金子投手の投球だけでなく、野球に取り組む姿勢も高く評価されているようで、これまで長年に渡って金子投手が培ってこられたものが若いチームに様々な波及効果をもたらしてくれるであろうことを期待すると共に、ものすごく大きな化学変化が起こるはずとも語っておられます。

長年の経験から金子投手は投球に対してこんな考え方を述べておられます。「通常投手は自分の一番いいボールを投げたいと考えている。僕も昔はそうでした。重要なのはバッターにとって打ちづらいボールを投げるということ。凡打してベンチの戻る時“どうしてあのボールが打てなかったのか”と悔しがるようなボールこそ、投手は投げるべきなのです。究極の理想は、全部真っすぐの回転でバッターの手元にきて、最後だけ勝手に変化する。そんなボールを投げてみたいんです」。

併せて「得意なボールを作ってはいけない」、「ピッチングのスタイルを確立させてもいけない」とも語っておられます。それは何故かと言うと「一ついいボールがあるとキャッチャーはそれに頼りたがる。当然バッターはそれを狙ってくるし、ピッチングのスタイルを確立すると相手はそれに合わせた対策を練ってくる。“金子はこうだ”と思われるのがイヤなんです」。まさに名人の域に達した人だからこそ言える言葉なのかもしれません。

今回の金子投手の移籍は、功成り名を遂げ、球界最高年俸となるところまで上り詰めた選手が、その地位を維持し続けることの難しさを感じさせてくれます。しかし身につけた技術に衰えがなく、故障が癒え体力さえ整えば復活は可能と本人も思うのなら、所属するチームを変えることが最善の方法なのかもしれません。

年俸の大幅引き下げを受け入れ、その上で新しいチームに新戦力として加わることが出来れば、そして年俸に見合った成果が出せたなら、それは本人にとってもチームにとっても最も望ましい形ではないでしょうか。栗山監督がどうしても欲しかった、という形で迎え入れ、そんな北海道日本ハムファイターズに一から出直す覚悟で入団を決めた金子投手、一般的にピークを過ぎたかと思われている選手と組織の関係構築という意味で、私の目には理想の形のように映ります。

2013年・2014年に見せた芸術的とも思える投球術を駆使しての戦力としての貢献ももちろんですが、金子投手の存在がチームにどんな化学変化を起こしていくのか、それを現場の指揮官である栗山監督がどうチーム力としてまとめ上げていかれるのか、そんな点を注視していきたいなと思います。

併せて、今はトレーニング技術も進み、40歳超のプロ野球選手が全く珍しくない時代になっています。金子投手にもあと数年、40歳超まで息長く投げ続けてもらいたいものです。2013年・2014年に球界のマエストロとまで言われた技巧派投手の真骨頂を、これぞプロの投手の投球術と言える「技」を見せてもらいたいものです。これから始まる2019年シーズン、金子弌大投手の新天地でのご活躍をお祈りしています。

(おわり)
2019/3/8

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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