長野久義選手~意地を見せろ!赤ヘルの長野【第108回】

長野久義選手~意地を見せろ!赤ヘルの長野【第108回】

2019年のプロ野球は3月29日の開幕へ向けて、今は春季キャンプの真只中です。
私自身も毎年ヒイキチームのキャンプを観に沖縄まで出向いていますが、キャンプを観るに際しての大きな楽しみのひとつは、その年に加入した選手の練習風景を観ることです。ドラフトで入団した新人選手、FAやトレードで加入した新戦力です。

今年は各チームの主力級選手のFA移籍が目立った年でもありました。具体的には広島東洋カープから読売ジャイアンツへ移籍した丸佳浩選手、埼玉西武ライオンズから東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍の浅村栄人(ヒデト)選手、オリックス・バファローズから阪神タイガースへ移った西勇輝投手といった方々です。

中でもこのFA移籍に伴い、その次の段階で大きな話題となったのが、丸選手の人的補償として読売ジャイアンツから広島東洋カープへ移籍することになった長野(チョウノ)久義選手です。
今回は、この長野久義選手を取りあげさせていただきます。

長野選手は1984年12月生まれの34歳、佐賀県三養基郡(ミヤキグン)基山町のご出身です。
福岡県の筑陽学園高校から日本大学生産工学部へ進学され、硬式野球部では2年生までは三塁手として活躍され、3年生の春のリーグ戦から打撃力を生かす為、中堅手に転向されています。4年生になって急成長され、春季リーグ・秋季リーグとも打率4割を超え、東都大学リーグで2季連続の首位打者となり、ベストナインにも選ばれました。更には日米大学野球選手権などの代表メンバーとしても活躍され、俊足・強打・強肩の外野手として、プロの注目を集める存在となられました。

大学卒業時のドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズから4巡目での指名を受けるも、読売ジャイアンツへの入団を熱望されて入団を拒否し、本田技研工業へ入社されています。2年間実業団チームのHonda硬式野球部で活躍された後、再度のドラフト会議に臨まれましたが、千葉ロッテマリーンズに2巡目で指名を受けるも再度拒否、Hondaに残留する道を選ばれました。

そして2009年の2月に読売ジャイアンツがドラフトで1位指名する方針を公表し、Honda3年目となる2009年の第80回都市対抗野球大会で打率.579で首位打者を獲得すると共に、チームを13年ぶりの優勝に導かれました。そして2009年秋のドラフト会議では読売ジャイアンツから念願の単独1位指名を受け、晴れてジャイアンツの一員となられました。

プロ入り後は、初年度の開幕前のキャンプ・オープン戦の段階で早くも首脳陣の信頼を得られ、開幕一軍メンバーとしてシーズンを迎えられました。開幕戦の試合途中に左翼手として守備からの途中出場で一軍デビューを果たすと、翌々日の第3戦では早くも2番・中堅手として先発出場の機会に恵まれるなど、プロ野球選手として順調な第一歩を踏み出されました。その後、シーズン後半の9月に不振のためにプロ入り後初めての二軍への降格といった、多少苦い経験はされたものの、一年目にして規定打席に到達し、打率.288・19本塁打・52打点の成績で新人王を獲得されています。

以降昨シーズンまでの読売ジャイアンツ在籍9年間で、2年目に首位打者、3年目に最多安打のタイトルを獲得されると共に、2年目から4年目にあたる2011年から2013年の3年連続でセリーグのベストナインとゴールデングラブ賞を受賞されるなど、読売ジャイアンツの主力選手であるのみならず、プロ野球界を代表する好打者として、侍ジャパンの日本代表メンバーにも選ばれています。

長野選手はバッターボックスでホームベースから少し離れて構えておられますが、これはアマチュア時代、外角のスライダーの見極めに難があったものを解消するために、Honda時代のコーチの助言で離れて立つようになられたそうです。これによって内角へ来るボールは鋭く踏み込んでレフトへ、外角のボールはライトへ捌く広角打法を自らの持ち味として磨きをかけてこられました。また併せて走塁面では右打者にも拘わらず一塁到達3.97秒を記録する俊足であり、送球面では遠投120メートルの強肩の持ち主でもあり、まさに走攻守を兼ね備えた好選手に他なりません。

このようにプレイの面では既に一流選手としての評価を確立されている長野選手ですが、人間的な側面でもまわりからとても高く評価されている人物のようです。長野選手には人の名前を覚えるのがとても早いという特技があるようで、メディア対応を通じて接する報道関係者にも二度目に会うと「〇〇さん、こんにちは!」と名前を呼び掛けて、とても気持ちのいい対応をされるようで、人を思いやる気持ちがすぐ相手にも伝わる好青年のようです。

こうした姿勢はチームの選手間のコミュニケーションでも遺憾なく発揮されていたようで、読売ジャイアンツの中でも野手・投手、若手ベテランを問わずに声をかけ、チーム内の潤滑油の役割を果たしておられたようです。選手からの信頼も厚く、今回の移籍にあたっては読売ジャイアンツの選手の間にはある種の喪失感のようなものが広がったという報道がなされたほどでした。

ただ近年は好不調の波が激しくなり、徐々に出場機会が減っていたことも事実であり、昨シーズンはプロ入り後初めて、規定打席に到達しないシーズンとなってしまいました。とは言え、116試合に出場して打率.290、111本のヒットを打ち、13本塁打・52打点という成績は恥ずべき成績ではありません。特に8月以降の終盤での活躍は素晴らしく、読売ジャイアンツの土壇場でのクライマックスシリーズへの出場には大きな貢献をされました。にも拘わらず、丸選手のFA移籍による人的補償で、長野選手は28人のプロテクトされる対象に選ばれなかったため、読売ジャイアンツのファンの方の中にかなり大きな衝撃を受けた方がおられたことは、容易に想像できます。

少し余談になりますが、このFAに伴なう補償制度について簡単に説明させていただきます。FA制度を行使しての移籍が確定した場合、その選手の元の所属球団での年俸順位(外国人選手は除く)に応じて、1~3位の選手はランクA、4~10位の選手はランクB、11位以下はランクCと区分されます。ランクCの選手については、移籍先の球団は補償をする必要はありません。

補償対象はランクAとランクBの選手であり、更にこの補償は人的補償と金銭補償に分かれます。人的補償というのは、移籍元の球団が移籍先の球団から選手を一人獲得できる権利です。ただしこの場合、移籍先の球団は手放したくない選手を28人選択し補償の対象外とします。28人のプロテクト枠と呼ばれますが、今回の長野選手は読売ジャイアンツが手放したくないとして選んだ28人の枠からはずれた訳です。ちなみにですが、プロテクトされた選手以外の中に、移籍元の球団にとって必要戦力がいないと判断された場合は金銭の支払いが行なわれます。

こうして長野選手にとって、ひょっとしたら青天の霹靂のような、思いがけない移籍であったのかもしれませんが、移籍が発表された際のコメントでは「3連覇している強い広島カープに選んでいただけたことは選手冥利に尽きます。自分のことを必要としていただけることは光栄なことで、少しでもチームの勝利に貢献できるように精一杯頑張ります」と発表され、広島ファンの心を鷲掴みにし、広島の街では号外まで配られたそうです。

読売ジャイアンツにとって今回の丸選手の獲得は、センターラインの強化と中期的なチーム強化の観点から、どうしても譲れない必須事項であったことは容易に想像できます。4年間優勝から遠ざかる読売ジャイアンツにおいて、2019年シーズンより三度目の監督に就任される原辰徳監督にとっても、優勝への最大の鍵が2年連続セリーグMVPの丸選手の獲得であったと思われます。そして中期的なチームの若返りという観点からも、5歳年上で同じ外野手の長野選手を28人のプロテクト枠から外すことは、かなり理にかなった行動であったように思われます。

一方広島東洋カープの側からみると、セリーグ3連覇は成し遂げたものの、その間一度も日本一には成り切れていない現状を考えると、読売ジャイアンツで日本一を経験している長野選手の加入が大きな意味を持ってきます。また滅多にない4連覇を期待するファンの熱い声援に応えるためには、丸選手の抜けた穴を即戦力で埋め合わせる必要があったことも考えると、長野選手の加入は広島東洋カープにとっても必然であったのかもしれません。併せて昨シーズン末をもって引退された新井貴浩選手が果たしておられた、精神的バックボーンのような目に見えない役割を長野選手に期待されている一面もあるのかもしれません。

レギュラーとして迎え入れられている丸選手、一方レギュラーとしての確約はなく、自らポジションを奪い取ることが要求されている長野選手の違いはあるものの、共にチームの戦力を整えていく上での大きなカギを握る存在であることは間違いありません。両選手の活躍いかんが両チームの今シーズンの浮沈を握っているという点では、極めて大きな要素を含んだ移籍であったと言えましょう。

チーム編成に対する考え方、中期的なチーム強化のあり方までが浮き彫りになってくるような今回の移籍劇ですが、そんな背景を考えると、この両選手がどんな活躍を見せてくれるのか興味が尽きることはありません。伝わってくるキャンプの報道では、両選手とも順調に仕上がっているようです。長野選手には意地を見せてもらい、少なくとも40歳超のシーズンまで、あと数年間は第一線でバリバリのレギュラー選手であり続けていただきたいものです。3月29日の開幕戦、マツダスタジアムでの広島vs巨人戦が今から本当に楽しみです。

(おわり)
2019/2/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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