田中和基選手~新人王をステップに、更なる高みへ!【第106回】

田中和基選手~新人王をステップに、更なる高みへ!【第106回】

明けましておめでとうございます。

新年の一回目は、昨年無名に近い存在からパリーグの新人王に輝いた東北楽天ゴールデンイーグルスの田中和基選手を取りあげさせていただきます。球団創設15年目となる東北楽天ゴールデンイーグルスからの新人王は、2007年の田中将大投手(現ニューヨーク・ヤンキース)、2013年の則本昂大(タカヒロ)投手に次ぐ3人目、野手では初めての快挙でした。

それではまず田中選手のプロフィールからご紹介させていただきます。田中選手は1994年8月生まれの24歳、福岡市出身の右投両打の外野手(身長181㎝、体重75㎏)です。プロを目指すような野球エリートの選手が歩まれる道とはかなりかけ離れた道を歩んでこられました。中学時代は軟式野球部に所属し、高校は福岡県有数の私学の進学校である西南学院高校に進学しておられます。そこでも当初は理系クラスに在籍し、成績も優秀だったそうです。

高校時代は両打(スイッチヒッター)の3番・捕手として、3年夏の福岡県大会は3回戦で敗退。全国どころか、九州地区でもそれほど目立つ存在ではなかったようです。その後、指定校推薦で立教大学法学部へ進学され、ここで初めて本気で野球に取り組む環境に身を置かれました。ちなみにですが、田中選手が立教大学を選択されたのは、立教だけが指定校推薦や一般入試で入学した選手でもベンチ入りメンバーに選ばれリーグ戦に出場している例があり、自分にもチャンスがあると思われたからのようです。

立教大学硬式野球部では、当初四軍扱いのD班からスタート。東京六大学野球リーグ戦へのベンチ入りを許されるA班へ昇格されたのは2年生の夏でした。2年生秋のリーグ戦から左翼手のレギュラーに定着、一時期は左打ちに専念し、俊足強肩でホームランの打てるバッターとして頭角を現し始めました。4年生の春季リーグからは更に上を目指すために両打に戻し、1シーズンに両打席での本塁打を打つなど、東京六大学の強打者としてプロのスカウトからも注目を集めるほどの存在となられました。そして2016年秋のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから3位指名を受け、入団されています。

プロ入り後は、1年目にあたる2017年5月16日に入団後初めて出場選手登録され、翌17日に9回表に中堅の守備に入ってプロデビュー、すると2日後の19日の試合では9回表に代走起用されプロ入り初盗塁、更にホームへ帰ってきて公式戦初得点も記録されました。そして翌20日の千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)では、9番・右翼手として公式戦で初めてスタメン起用されると、最初の3打席はすべて三振でしたが、延長10回表に右投手から公式戦初安打(二塁打)を打ち、延長12回表にまわってきた第5打席では左投手から右打席で決勝となる2ランホームラン(プロ入り初ホームラン)を打ち、初打点も記録されました。

たった二日間で初盗塁・初得点・初スタメン・初ヒット・初ホームラン・初打点をマークし、一気に注目を集めましたが、これが継続できるほどプロの世界は甘くはなく、結局一年間トータルの成績は、51試合に出場して59回打席に立ち、54打数6安打、打率.111、1本塁打、2打点、7盗塁(チーム1位タイ)という成績でした。ホームランと打点は、結局初HR、初打点を記録した5月20日の試合が最初で最後でした。

これだけ打てない田中選手が1年目に51試合の出場機会を得ることが出来たのは脚力と守備力があったからであり、チームがパリーグ3位となって戦う機会の巡ってきたクライマックスシリーズでも、ファーストステージ(対西武戦)、ファイナルステージ(対ソフトバンク戦)それぞれで2試合ずつ出場する機会を得られました。課題は山ほど見つかったものの、貴重な経験も積まれたプロ入り1年目でした。そして一軍の通算打席数60打席以内という資格要件を満たし、新人王の資格を持って2年目のシーズンに臨まれることとなりました。

プロ入り2年目となった2018年の開幕を一軍メンバーとして迎えられましたが、4月5日には出場選手登録を抹消され、イースタンリーグでも打率が1割台前半にまで低迷するほどの打撃不振の状態でした。元々田中選手の魅力は、右でも左でもフルスイングできる思い切りの良さなのですが、それ故に粗さも目立っていました。二軍時代から田中選手を指導する栗原健太打撃コーチは「田中はタイミングの取り方が上手じゃなく、動き出しからステップのタイミングがバラバラで、それ故にボールをしっかり見極められなかったんです」と語っておられます。

プロに来るような選手はちょっとしたキッカケがあると化けることがあります。打者で言えば、バットを構える角度やトップの位置、足の上げ方などがそれにあたるそうですが、田中選手の場合はステップでした。池山隆寛二軍監督(当時・2018年10月に退団)の勧めで大谷翔平選手(ロサンゼルス・エンゼルス)のようなノーステップ打法を取り入れたのですが、これがフルスイングを身上とする田中選手の打法にピタッとハマったようです。

シーズンの途中に新しい打法を取り入れた当時の心境を田中選手は「打撃の調子が悪かった当時の状態で上(一軍)に上がっても打てる気がしなかったんで『だったら割り切ろう』って。思い切りスイングをして、ダメだったらダメでしょうがないだろうって」と語っておられます。

5月の後半に故障したオコエ瑠偉選手の交代で一軍に復帰すると、5月下旬から6月上旬にかけて11試合連続安打を打ったり、8月1日には日本人7人目(16度目)となる1試合両打席本塁打を放っての二桁本塁打(第10号・第11号)を記録するなど、春先の打撃不振がウソのような大変貌を遂げられました。

6月半ばに成績不振の責任をとって退任された梨田昌孝前監督の後任として平石洋介監督代行が就任されて以降、田中選手は1番・センターで定着し、以降の試合にフル出場して規定打席にも到達し、シーズン通算で105試合出場、423打数112安打、打率.265、18本塁打(チーム2位、チーム日本人1位)、45打点、21盗塁(チーム最多)という成績をあげられました。この成績が評価され、シーズン終了後に開催された2018日米野球の日本代表(侍ジャパン)メンバーの一員にも選ばれると共に、前述したパリーグ新人王の栄誉にも輝かれました。余談になりますが、立教大学出身の野手の新人王は、あの長嶋茂雄選手以来60年ぶりだそうです。

2年目のシーズン、大きな飛躍を遂げられた田中選手ですが、これだけ多くの試合に出たのも初めてなら、規定打席に到達したのも初めてということで、田中選手ご自身はこの成績が良かった悪かったということよりも、自身の中でひとつの基準が出来たという捉え方をされているようです。ひとつの基準ができた中で見えてきた課題としては、田中選手は打球速度などでまだまだ良い数字を残せておらず、ホームランを打てるバッターのスピードとしては物足りないそうです。でも昨シーズン、その状態でも18本打てたのなら、トレーニングをしたらもっとホームランを増やせるのではないか、そういう思いで今はスイングスピードと打球速度を上げるためのウェイトトレーニングを行っているとのことでした。

こんな田中選手を評して栗原打撃コーチは「田中は頭がいいんです。僕らコーチとの会話をすべて真に受けるんじゃなく、自分でも考える。発想は独特なんですけど、しっかり会話が出来るんです。そこが田中のいいところじゃないですか」と語っておられます。独特の発想・思考の例として、田中選手は打てなくなっても、彼の根幹であるノーステップ打法だけは変えなかったそうです。

ノーステップ打法は続けていると下半身がきつくなってくるそうで、田中選手も実際疲れて思うように動けなくなる時期があったそうです。そういう状態になるとウェイトトレーニングで鍛えることで、不振から脱出しようという考え方をする選手が多いようですが、田中選手はあえてウェイトトレーニングはやらなかったそうです。それをやることでフォーム全体のバランスを崩してしまったり、ケガをするかもしれないリスクを避けることを優先されました。昨年のシーズンはコンディショニングを最優先に、試合には自然体で臨むことしか考えなかったそうです。これでシーズンを乗り切ったことで、この経験が田中選手の中でひとつの基準として蓄積されたものと思われます。

そんな田中選手は来シーズンの目標として、1番・センターというポジションを全力で取りに行き、最低限143試合のすべてに出場することを掲げておられます。2018年シーズンで最下位に沈んだ東北楽天ゴールデンイーグルスが浮上するひとつの鍵は攻撃力のアップでしたが、昨年パリーグで優勝した埼玉西武ライオンズからFAで浅村栄人(ヒデト)選手(2018年・2013年打点王)の加入が決まったことにより、軸がしっかり固まりました。多分3番か4番を打つ浅村選手の前で、長打力があって脚も使える1番打者の田中選手が相手バッテリーにプレッシャーを与え続けることで、チームの得点力は大きくアップすることが予想されます。そういった意味では、田中選手の成長はチームの戦う形を左右するほどの影響力を持ち始めていると言えそうです。併せて若い選手の成長のキッカケに果たすコーチや監督の存在の大切さについても改めて教えられた気がしました。

優勝チームから最下位チームに打点王というタイトルホルダー(浅村選手)が移籍したことで、来シーズンのパリーグはチーム力が拮抗し、面白い展開が期待できそうです。そんな中で東北楽天ゴールデンイーグルスの更なる躍進と、田中選手の全試合出場されての更なる飛躍を楽しみに見守らせていただきます。併せて近い将来には、3割・30本・30盗塁というトリプル3を狙えるような選手に育っていかれることを期待したいものです。

(おわり)
2019/1/11

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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