松坂大輔投手~真の復活へ!レジェンドの闘い【第102回】

松坂大輔投手~真の復活へ!レジェンドの闘い【第102回】

2018年のプロ野球はペナントレースがすべて終了し、クライマックスシリーズも終えて、いよいよ広島東洋カープvs福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズの開幕を迎えようとしています。

優勝争いや個人成績とはあまり関係のない領域での話題ですが、今シーズンより中日ドラゴンズに入団した松坂大輔投手の復活がかなり大きなニュースとして扱われました。本来の力から言えば、まだ本格的に復活したとは言えないのかもしれませんが、少なくとも復活への一歩を記されたことは間違いありません。という訳で今回は、球界の宝とも言うべき、レジェンド松坂大輔投手を取りあげさせていただきます。

改めて申しあげるまでもないのかもしれませんが、松坂投手のプロフィールから紹介させていただきます。松坂投手は1980年(昭和55年)9月生まれの38歳、東京都江東区のご出身(出生地は青森県青森市)です。松坂投手の名を日本人の誰もが耳にしたのは、横浜高校のエースとして春夏の甲子園を制覇した1998年のことでした。

春のセンバツ大会で優勝した後、夏の甲子園では準々決勝のPL学園高校戦で延長17回を一人で投げ抜き250球での完投勝利、決勝の京都成章戦では史上二人目となる決勝戦でのノーヒットノーランで春夏連覇を達成するという偉業を成し遂げ、まさに世代の頂点に立たれました。そしてその年の秋のドラフト会議で、横浜ベイスターズ、日本ハムファイターズを含む3球団での競合の末、西武ライオンズが交渉権を獲得し、翌春入団されています。

西武ライオンズでは入団初年度の開幕時点からローテーションの一角をまかされ、4月7日の日本ハム戦でプロ入り初先発・初勝利をあげると、4月後半には千葉ロッテ戦で初完封、5月中旬にはまだ日本に在籍しておられたイチロー選手と初めて対決して3打席連続三振(1四球)とほぼ完璧に抑え、試合後のヒーローインタビューで「プロでやれる自信が確信に変わりました」と応えられるなど、まさに順風満帆のスタートを切られました。

結局この年は、25試合に登板(うち先発24試合)して16勝5敗、防御率2.60という成績で最多勝のタイトルと共に、ゴールデングラブ賞、ベストナイン(高卒新人としては史上初)も受賞し、併せて1966年(昭和41年)の読売ジャイアンツ・堀内恒夫投手以来33年ぶりとなる高卒新人投手としての新人王にも輝いておられます。

以降2年目・3年目も14勝(7敗)、15勝(15敗)と最多勝タイトルを獲得し、3年目は勝ち負けが同数ではあったものの、240回3分の1という圧倒的な投球回数も評価され、沢村賞という投手としての最高の栄誉も受賞されています。西武ライオンズにはメジャーリーグへの移籍まで8年間在籍されましたが、右肘の故障による長期離脱の影響で6勝止まりとなった2002年(入団4年目)を除き、すべて二桁勝利をあげると共に、年間平均180イニング近くを投げ抜き、まさに大黒柱としてチームを支えられました。

また併せて2000年シドニー五輪・2004年アテネ五輪、2006年・2009年(メジャー移籍後)のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表選手に選ばれ、2004年アテネ五輪の銅メダル、WBC二大会の金メダル獲得にも大きく貢献され、まさに日本球界を代表する選手として、日本球界を牽引されました。

2007年からはメジャーリーグのボストン・レッドソックスに移籍され、当初の二年間は15勝12敗、18勝3敗と大いに存在感を発揮されましたが、徐々に右肩や背中、首、右前腕部等の張りによって故障者リスト入りすることが増え始め、登板イニング数の減少と共に好不調の波も激しくなり、メジャー2年目の18勝を最後に二桁の勝ち星があがらなくなりました。

渡米7年目、8年目となった2013年、2014年は6年間在籍したボストン・レッドソックスを離れ、クリーブランド・インディアンス傘下のマイナーチーム、およびニューヨーク・メッツに在籍され、先発・リリーフの両方をこなして、それぞれの年で3勝ずつの勝ち星をあげられましたが、2014年のシーズン終了をもって米国での野球にピリオドを打ち、日本球界への復帰を決断されました。

日本では2014年12月に福岡ソフトバンクホークスと3年総額12億円(推定)の大型契約を結んで入団されたのですが、ソフトバンク時代の3年間は満足に投げられる身体を取り戻すことが出来ず、結局公式戦のマウンドに立ったのは3年間で一試合だけという結果で、福岡ソフトバンクホークスを退団されました。

そして今年のキャンプがまもなく始まるという1月下旬、ナゴヤ球場の屋内練習場で完全非公開のもとでテストが行なわれ、即日合格の発表が行なわれ、中日ドラゴンズへの入団が決まりました。年俸は1500万円(推定)プラス出来高払いの1年契約、1月31日付で支配下登録がなされ、松坂投手の復活への第一歩が始まりました。

中日ドラゴンズ入団後の松坂投手は、投手コーチの経験もある森繁和監督をはじめとする首脳陣のバックアップもあり、十分間隔をあけての登板日の設定や、広くて長打の出にくいナゴヤドーム中心の登板機会の設定(今シーズンの先発登板11回中9回はナゴヤドームでの登板)がなされてきました。松坂投手ご自身もかつてのような豪速球でねじ伏せるような投球が出来ない以上、カットボールを中心に手元で動く球での組み立てをする等、現状の力に見合った投球面での工夫をされたようです。

そしてもうひとつ大きなポイントは、松坂投手のナゴヤドームでの登板日は明らかに観客動員数が増えており、チーム全体から「松坂さんに勝たせたい」という雰囲気がはっきり出てきていることのようです。若い選手にとっては、自分たちの子供の頃のヒーローでありスターであった松坂投手が、復活をかけて必死に闘っている姿をチームメートとして目の当たりにすることは、間違いなく何かを感じさせているはずです。

中日ドラゴンズは、強豪の名を欲しいままにしていた落合監督時代、一試合あたりの観客動員数が3万人を超えるのは当たり前の状況でした。しかし現在の低迷状態となってからは一試合あたり3万人を集めるのは極めて厳しい状況となっていたのですが、今年は松坂効果なのか、8年ぶりに3万人を突破したようです。併せて松坂グッズの販売を通じて球団の営業成績にも大きなプラス効果をもたらしており、松坂投手の年俸額との見合いから考えても、球団の経営面にもたらした影響は想像をはるかに超える大きなものであったと思われます。

と同時に、高校時代に世代の頂点に立ち、西武ライオンズ時代、そしてボストン・レッドソックス時代の前半期まで、あの輝いていた伝説の名投手が復活をかけて投げる姿に、中日ドラゴンズファンのみならず、多くのプロ野球ファンの共感が集まっているのだと思われます。私は今シーズンの松坂投手を見ていて、こんな野球の楽しみ方もいいもんだなとつくづく感じました。一人のレジェンドが紡ぐ野球文化の奥深さかなとも思った次第です。

1980年生まれのプロ野球選手は「松坂世代」と呼ばれます。その松坂世代と呼ばれる選手たちも今年38歳、プロ野球選手としては晩年の域に差し掛かっておられます。この世代の選手たちの中から、今シーズン末をもって、読売ジャイアンツの杉内俊哉投手、オリックス・バファローズの小谷野栄一選手、横浜DeNAベイスターズの後藤武敏選手、、北海道日本ハムファイターズの矢野謙次選手、昨年読売ジャイアンツを退団し、今シーズンはBCリーグ・栃木でプレーされた村田修一選手らが引退を表明されました。

松坂投手は、これら同世代の引退選手に対して「僕はもう少し頑張ってみる」とコメントされましたが、来シーズンこそ本当の意味でチームの大きな戦力となられるような復活を期待したいものです。今シーズンは11試合の先発をされましたが、投球回数は55回3分の1でした。来シーズンは先発投手として100イニング以上の登板を期待したいですし、今シーズンは巡り合わせの関係で登板機会のなかった強打の広島戦、ヤクルト戦での登板も見てみたいものです。

日本球界の宝として、レジェンド松坂投手が1年でも長く、元気に活躍を続けられることを一プロ野球ファンとして祈っています。

(おわり)
2018/10/23

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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