新井貴浩選手~苦難の末につかんだ、愚直な男の花道【第100回】

新井貴浩選手~苦難の末につかんだ、愚直な男の花道【第100回】

9月も半ばが近づき、2018年のプロ野球もいよいよ大詰めが近づいてきました。パリーグは最終決着まではもう少し時間がかかりそうですが、セリーグは広島東洋カープが着々と優勝マジックを減らし続けており、もうまもなく決着がつくものと思われます。

そんな広島東洋カープから、チーム最年長の新井貴浩選手の今シーズン末をもっての現役引退というニュースが飛び込んできました。決して才能に恵まれていた訳ではなく、厳しい練習を自らに課し、決してあきらめないという不屈の闘志で今日の地位を築かれました。今回はそんな新井選手を取り上げさせていただきます。

実は新井選手を取り上げさせていただくのは二回目です。前回は広島東洋カープが25年ぶりのリーグ制覇を成し遂げ、新井選手ご自身もセリーグのMVPを獲得された2年前でした。(第69回「フォア・ザ・チーム 不惑の現場リーダーの存在」)それから2年、チームはリーグ三連覇を目前とする強豪チームに生まれ変わり、今まさにセリーグは広島東洋カープにどのチームが迫っていけるか、という展開になっています。

新井選手ご自身の成績も二年前MVPを獲得した時に比べるとかなり落ちていますので、もう戦力としての期待値というよりも、他の中心選手や控え選手が自らの能力を目一杯発揮し、チーム力を最大限発揮する為の精神的な支柱、監督コーチといった首脳陣と選手のつなぎ役、ベンチの中のムードの活性化といったことに力を尽くしてこられた二年間であったように見受けられます。

そしてその役割も終え、自ら後進の為に道を譲ろうという気持ちになっての引退表明であったように思われますが、それは引退会見での「今、すごく若手が力をつけていますし、2、3年後、5年後のカープを考えた時に、今年がいいんじゃないかと考えました」という言葉に言い尽くされていたように思いました。

ここで新井選手のキャリアを簡単に振り返ってみたいと思います。1977年(昭和52年)1月生まれの41歳、広島県のご出身で広島工業高校・駒澤大学を経て1998年秋のドラフトで広島東洋カープから6位での指名を受け入団されています。以来今日まで広島東洋カープに13年(最初の9年+再入団後4年)、阪神タイガースに7年、計20年のプロ野球人生でした。

この間2005年には本塁打王、2011年には打点王を獲得し、他に一塁手として二度のベストナイン、ゴールデングラブ賞を一度受賞し、前述した通り2016年には2000本安打、300本塁打も達成され、一時代を築かれました。

功成り名を遂げ、自らの引退時期を自らの意志で決められるまでの選手となった新井選手ですが、プロ入りの前後は真逆の評価を受けるレベルの選手だったようです。大学時代の恩師である駒澤大学野球部元監督の太田誠氏は「もともと体は強いが打てないし、ウドの大木のような選手だった。大学時代の新井を知っている人で誰が2000本安打を達成すると思っていたか。ただどんなに厳しいノックを受けても、走らせても、いくら怒られても素直で明るく、自分から駄目だとは言わない選手だった。だから打てなくても試合に使いたくなる、そんな選手だった」と語っておられます。

また新井選手の入団時の監督であった、現福岡ソフトバンクホークス・ヘッドコーチの達川光男氏は「可能性のある限り努力し続ければ、いいことがあると新井に教えてもらった。3年以内に必ずクビになると思っていたけど、20年もやって2000本も打った。これほど努力した選手は見たことがない。普通ならご苦労さんだけど、ようここまで20年間やったのぉ~と言ってあげたい」と話されています。

さらに1998年ドラフト同期入団である現広島東洋カープの東出輝裕打撃コーチは新井選手について、こんな感想を持っていることをある記者が自らのコラムの中で紹介しておられます。東出コーチは、新井選手が幸せな野球人生だったね、と多くの人から言われるのに対し、その「世間の認識」に少しだけ違和感を覚えておられるようです。

新井選手が順調だったのはラスト数年だけであり、中堅の時には阪神へ行って苦労しましたし、若い頃からずっと一番苦労して一番辛い思いをしてきたのも新井選手だったと語っておられます。新井選手・東出選手の1年目にはバッキャもやらされたそうです。バッキャ? バッティングキャッチャーの略だそうで、文字通りバッティングピッチャーが打者に投げる球を捕球する役回りだそうで、それも春・秋のキャンプの話ではなく、シーズン中での練習のことだったそうです。

この練習をさせた当時の大下剛史ヘッドコーチは、主力打者の野村謙二郎選手の打撃を、一番近い捕手の位置で見させる親心であったのかもしれません。しかし高卒1年目の東出選手にはそんな風には見えなかったようで、そんな事をさせられている若手は他には誰もいないこととも相まって、新井選手がバカにされて、コケにされて・・・と感じられたようで、それぐらい苦しい経験をしてきたからこその今であり、一言で「幸せな・・・」というのは少し違うと違和感を感じておられるようです。

強い組織(チーム)というのは、個々のメンバー(選手)が果たすべき役割をしっかり果たし、少々のケガ人や故障者が出ても、代わって出場する選手がその穴を補い、戦力低下を感じさせない選手層の厚さが備わっているものです。そのかわり、チーム内のポジション争いは熾烈を極め、常にチーム内はいい意味の緊張感に溢れています。

併せてメンバーが心の支えと感ずるようなベテラン選手が存在するチームはなおのこと強いのではないでしょうか。練習では決して手を抜かず、常に全力疾走、ベンチでは率先して声を出し、常にチームメートを鼓舞していく、まさに新井選手はそんな選手であり、新井選手の背中を見てチームはひとつにまとまっているようです。ヒットを打ち、ホームランを打ち、打点をあげる、これが野手としてのチームに対する最大の貢献なのですが、新井選手を見ていると、そうではない貢献の仕方が間違いなくあることを教えてくれているようです。

今は敵将である阪神タイガースの金本知憲監督は、新井選手の引退表明に対して「今の常勝カープの礎にあるのは新井の存在だ」と強調されましたし、かつて選手と打撃コーチとして共に戦った現野球評論家の小早川毅彦氏は「とにかく実直、素直、まじめで憎めない。主力になっても後輩からイジられるのだが、それでいて締めるところは締める。こんなリーダーシップの持ち主は新井以外に見たことがない。良い意味で唯一無二の選手だった」と賛辞を贈っておられます。

引退会見の際、一番頭に浮かぶシーンは、と問われた新井選手は、初めて優勝した時のことを挙げられ、東京ドームで黒田博樹投手と抱き合った時のことが一番思い出に残っていると話されました。そしてファンへの思いを問われると、広島に戻ってきた時、まさかここまで応援していただけるとは思っていなかったので、帰ってきての初めての開幕戦、ヤクルト戦での代打の打席は生涯忘れることが出来ないし、こんな声援を送って下さるファンの方に喜んでもらいたいという気持ちがあってこそ、ここまで体が動いてくれたんじゃないかと思います、と述べられました。

広島へ戻るに際して10分の1の年俸を黙って受け入れ、過去の実績や栄誉のすべてを捨てて、ゼロから若手選手と一緒に泥にまみれてポジション争いをする新井選手の覚悟に対して、広島ファンは最初の打席から温かく大声援で迎え入れた訳ですが、これはファンが新井選手を迎え入れたという意味合いと共に、私には新井選手の野球に取り組む姿勢、もっと言えば人としての新井選手の生きる姿勢が、ファンの心を動かしてしまったように思えてなりません。

新井選手の野球人生の中で唯一欠けているピース、それは日本シリーズを勝ち上がっての日本一の栄冠です。クライマックスシリーズがどんな結果になるのかも分かりませんし、日本シリーズで戦うパリーグのチームがどこになるのかも全く分かりませんが、広島東洋カープが日本シリーズに進出し、現役最後の新井選手の活躍で日本一に輝く、そんなシーンが現実となることを願ってやみません。

関連記事『新井貴浩選手~フォア・ザ・チーム 不惑の現場リーダーの存在【第69回】

(おわり)
2018/9/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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