偉大な野球人、星野仙一氏を悼む【第88回】

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偉大な野球人、星野仙一氏を悼む【第88回】

明けましておめでとうございます。

2018年の年明けを迎え球春も間近と思わせるところへ、一人の野球人の訃報が飛び込んできました。星野仙一氏です。中日ドラゴンズの投手として、中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として、野球ファンのみならず、それ程野球にご興味のない一般の方々にも強いインパクトを与えた個性溢れる方でした。私は当コラムの中で一度星野氏のことを書かせていただいたことがあります(第7回「楽天・星野監督に学ぶ人心掌握術」)が、今回は星野氏を偲び、氏のこれまでの足跡をたどる中で野球にかける思いやチーム作りに対する考え方を振り返らせていただきます。

私は「星野仙一」という名を耳にすると「闘志」あるいは「強いものに立ち向かう反骨精神」といったイメージが頭の中に浮かんできます。現役時代の星野投手は宿敵読売ジャイアンツに対して、中でもONと称せられた王選手・長嶋選手に対して異様なまでの闘志をむき出しにして立ち向かっていかれる姿が強く印象に残っています。また星野監督になられてからは、厳しい監督・怖い監督のイメージそのままに、戦う集団を先頭に立って率いる闘将そのものであったように思われます。星野氏のこうした姿は、生い立ちからプロ入りに至るまでの経緯の中に、その背景が窺われます。

星野氏は1947年(昭和22年)1月生まれ、岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)のご出身です。星野氏が生まれる前に父親が亡くなられた為、姉二人と共に母子家庭の環境の中で育たれました。岡山県立倉敷商業高校では、甲子園を目指して鍛錬を積むも高校3年の最後の夏の予選で当時存在していた東中国大会の決勝戦で米子南高校に敗れて甲子園の夢は叶わず、明治大学進学後は1年生の時から一軍メンバーとして活躍し、東京六大学リーグで通算63試合に登板して23勝をあげ、防御率1.91、199奪三振と立派な成績をあげられるも、当時「法大三羽ガラス」と言われた田淵幸一選手、山本浩二選手、富田勝選手の主力が率いる法政大学や矢沢健一選手・荒川尭選手らを擁する早稲田大学に阻まれ、一度もリーグ優勝を果たさぬまま大学を卒業しておられます。

そしてプロ入りにあたっては、元々読売ジャイアンツへの入団を希望されていたようで、読売サイドからも田淵幸一選手を1位指名出来なかった場合は外れ1位で指名するという内々の約束があったにも拘わらず、読売ジャイアンツが1位指名したのは高校生の投手でした。この時の、約束を反故にされたとの思いが、1位指名で入団した中日ドラゴンズのエースとして強いジャイアンツを倒すことに執念を燃やす反骨精神溢れる星野投手を育んだようです。ただこの話には後日談があり、星野氏は現役引退後、当時読売ジャイアンツの監督であった川上哲治氏から、あの時ドラフト1位指名を回避したのは星野投手が肩を壊しているという情報を入手した為であった(実際に星野投手が肩を痛めておられた時期があったようです)と聞かされ、それ以降読売ジャイアンツに対するわだかまりは消えたと自著に記しておられます。

星野氏はあるインタビューに答えて「弱いチームを強くすることが監督としてのロマンなんや」と述べておられます。野球評論家の野村克也氏は監督には二つのタイプがいるが、一つは与えられた戦力でやりくりするタイプ、もう一つは編成も兼ねてチーム強化に乗り出すタイプで、自分は前者のタイプ、星野氏は後者のタイプと語っておられます。弱いチームを強くするのが監督のロマンとは言っても、あてがわれた戦力のままでは強くなれないというのが星野監督の考えであり、チーム戦力の補強に積極的に関わっておられます。

星野監督は三つのチームで四度のリーグ制覇を成し遂げられましたが、それぞれの優勝に象徴的な戦力補強が行われています。例えば1988年の中日ドラゴンズでの最初の優勝の際には、その前年(1987年)にロッテオリオンズで三度三冠王に輝いた落合博満選手を1対4のトレードで獲得、2003年の阪神タイガースでの優勝の際には広島東洋カープでFA宣言をした金本智憲選手を口説きに口説いて入団させ、2013年の東北楽天ゴールデンイーグルスでは、優勝の立役者となったアンドリュー・ジョーンズ選手、ケーシー・マギー選手を獲得するなど、必要と思われる戦力を見極めると共に、獲得に必要となる資金を球団経営幹部との間で詰め切る交渉力、対応力という点でも類まれな能力を発揮できた方だったと思われます。

こうした外部から補強した中核戦力に頼るだけではチームは強くなりません。チームの中で育てた生え抜き選手をうまく組み合わせ、戦力として最大の力を発揮できるチームづくり、組織づくりに長けた方だったように思われます。そしてこうしたチームづくりの陰ではコーチの果たした役割が極めて大きかったように思います。このたびの訃報で、星野監督のもとでコーチを務めた何人もの方が新聞やネットにコメントを出しておられますが「星野監督のもとでは、任せると決めたら本当に任せっぱなしだった。信頼され権限を与えられると嬉しく思う反面、自分自身の判断に対する責任の重さも痛感していた」という趣旨の発言をしておられます。ここに星野監督のマネジメントに対する考え方・姿勢が透けて見えるような気がします。

星野氏は監督として中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団で計17年(中日で5年+6年、阪神で2年、楽天で4年)指揮をされましたが、その間にご自身の年令も40歳から67歳へと推移され、監督としてのマネジメントスタイルもだいぶ変わっていかれたようです。

中日ドラゴンズの第一次監督時代の頃(40~44歳の5年間)は、どこまでが本当の話なのかはわかりませんが、ベンチ裏で殴られた選手が血を流していたといった話がまことしやかに伝えられています。しかし阪神時代には怒鳴りつけてベンチの椅子を蹴りあげ、灰皿を投げつけたといった話は耳にしますが、選手を実際に殴りつけたといった話はほとんど耳にしません。楽天時代になると怒鳴りつけて気合を入れることはあっても殴ったり蹴ったりといった示威行為はもうほとんど見られなくなります。ただ気の抜けたような怠慢プレーやボーンヘッド、逃げ腰で勝負を避けたような投球、単純なサインミスといった次に繋がらないプレーには、どんな小さなものも許さず徹底して厳しい姿勢を貫かれた点は一貫しておられたようです。

こうした気の抜けたプレーや規律違反に対してはある時期まで罰金を徴収しておられたようですが、その裏で試合で活躍の目立った選手にはコーチを通じて監督賞の金一封を渡したり、時計を贈ったり、選手の奥さんの誕生日には自宅へお祝いの花束を贈ったり、といった細かな気配りをされる方だったようです。またプレーの面でも打たれた投手にリベンジのチャンスを与えたり、打てずに「お前なんかもう使わん」と怒鳴りつけた選手に翌日の試合で再びチャンスを与えるといったこともよくあったみたいです。更には引退した選手や退任するコーチの再就職先を探す為に、相手チームのフロントや監督に電話をかけて「お願い出来ませんか?」と頭を下げたり、顔の効くメディアや世話になっているスポンサー企業に紹介するといったことまでされていたようです。

闘将のイメージで語られる星野氏が厳しさの裏に併せ持つ情の厚さですが、こうした一面はチーム内の裏方スタッフに対しても、はたまたチーム外にいる各メディアの番記者に対しても示されたようです。メディアの番記者とは「お茶会」という集まりを日常的に開くことで、懇談の中で話題を提供し、記事づくりに積極的に協力する姿勢を示されていたようです。それがいつの間にか「星野組」とも言える与党メディアグループを形成することにもなったようであり、星野氏は番記者に対して「お前らも戦力なんや」と口癖のように語っておられたようです。

チームを強くする為に選手を鍛え、戦力を整え、フロントスタッフや裏方スタッフも一丸となって勝利に邁進する。チーム外ではファンを巻き込み、ファンとの橋渡しをしてくれるメディアを味方につけ、大きな渦を巻き起こす、これが星野氏の取り組んだ野球マネジメントだったのだろうと思えてきました。

現役選手として通算14年で500試合登板、146勝121敗34セーブ、防御率3.60、奪三振1225。監督として通算17年で、2277試合(出場停止期間中、病気療養中の試合数は含まず)、1181勝1043敗53分、Aクラス10回・Bクラス7回、リーグ優勝4回、日本シリーズ制覇1回、これが星野氏のプロ野球人としての生涯成績です。成績だけの比較ならもっといい成績をあげた選手、監督は何人もおられます。しかし野球ファンのみならず、人々の心に植え付けたインパクトといった点では、我々の記憶にいつまでも残る衝撃を与えてくれた偉大な方だったように思います。星野氏のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

(おわり)
2018/1/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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