鳥谷敬選手~鉄人への道!更なる存在感を【第84回】

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鳥谷敬選手~鉄人への道!更なる存在感を【第84回】

2017年のプロ野球はリーグ戦の戦いをすべて終え、クライマックスシリーズのファーストステージも終了し、この原稿を書いている本日時点ではクライマックスファイナルステージへ舞台は移っています。

さて今年のプロ野球で印象に残るのは、例年と比べても各チームの故障者やケガ人の数が例年よりも少し多かったのではないか、ということです。特に2年前にセリーグ優勝を果たした東京ヤクルトスワローズは、屋台骨を支える主力級に故障者・離脱者が続出し、シーズン成績45勝96敗2分という歴史的大敗を喫してしまいました。そんな中で、3年連続トリプルスリーという期待は大きく裏切ったものの、孤軍奮闘全試合フルイニング出場を続けた山田哲人選手の敢闘精神は来期以降の巻き返しにつながるものと期待されます。

こういった視点から見てみると、ケガや故障をせずに、当たり前のように毎試合出続けることは、実は大変なことであることがよくわかります。今回は今シーズンの全試合に出場しながら、2000本安打の達成という偉業を成し遂げられた阪神タイガースの鳥谷敬選手をとりあげさせていただきます。

鳥谷選手は1981年(昭和56年)6月生まれ、東京都東村山市のご出身です。元々左利きだったそうですが、右利きに矯正された為、小学校時代は右打ちだったようです。中学でシニアチームに入部してから左打ちの練習を始められ、現在の右投左打となっておられます。高校は埼玉県の聖望学園高校へ進学され、高校3年の夏には遊撃手兼投手として甲子園に出場(初戦敗退)されました。その後早稲田大学へ進学され、1年時から正遊撃手に抜擢されると共に、在学中の全試合にスタメン出場され、主に3番を任されていたようです。

鳥谷選手の在学中は、同期に青木宣親選手(現役メジャーリーガー、2017シーズン終了時点の所属チームはニューヨーク・メッツ)、比嘉寿光選手(元広島東洋カープ)、由田(ヨシダ)慎太郎選手(元オリックス・バファローズ)、1学年上には和田毅投手(現福岡ソフトバンクホークス)、1学年下には田中浩康選手(現横浜DeNAベイスターズ)etcがおり、鳥谷選手が在学中の3年春から4年秋まで、リーグ戦4連覇を達成されています。そして鳥谷選手ご自身も在学中に5回ベストナインに選ばれる等、輝かしい実績をあげてプロの道へ進まれました。

プロ入りにあたっては、2003年秋のドラフト会議で、当時制度として存在した自由獲得枠を通じて阪神タイガースへ入団された訳ですが、他にも読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ、福岡ダイエーホークスも獲得を目指していたようです。入団の決め手となったのは、これら4球団の中で唯一本拠地(甲子園球場)が人工芝ではなく、天然芝と土のグラウンドであったことだそうです。

こうして鳴り物入りで入団された訳ですが、2004年の入団初年度は開幕先発出場(7番遊撃手)を手にし、プロ初安打も記録されたものの長続きせず、結局前年優勝した時の正遊撃手であった藤本敦士選手にポジションを奪い返され、シーズン前半はプロの壁に苦しまれました。しかし当時の岡田彰布監督が実に辛抱強く代打や三塁手として出場機会を与え続けた結果、シーズンの後半にはかなり打撃も向上し、遊撃手として先発出場の機会を得るまでになられました。

実は鳥谷選手は入団2年目の2005年の開幕戦に先発出場されてから、2017年の今シーズン末までの丸13年間、阪神タイガースがこなした1873試合のすべての試合に一試合も休まず出場し続けておられます。この連続試合出場記録は、その前年の9月9日から始まっており、通算では今シーズン末をもって1895試合まで記録は延び、今も継続中です。鳥谷選手のこの記録は歴代2位となりますが、歴代1位は鉄人と呼ばれた元広島東洋カープの衣笠祥雄選手が持つ2215試合です。

連続試合出場記録は、その選手がチームの中であるレベル以上の成績を継続して挙げ続けていることが大前提です。調子が悪くなれば監督・コーチはその選手を試合から外しますし、仮に調子が良くてもその選手がケガをしたり、故障を発症してしまうと当然試合には出られません。

即ち連続試合出場記録というのは、自らのコンディショニングに細心の注意を払い、ケガにも強い頑健な身体を保有し、そして一定レベル以上の成績を維持・継続することが出来る選手にしか成し得ない、地味ながらも偉大と言ってよい記録であるように思えます。しかも鳥谷選手の場合は昨シーズンまでは守備の負担の大きい遊撃手としての記録であり、より価値を高めているように思われます。

今も連続試合出場記録を続ける鳥谷選手ですが、記録が途切れそうになるピンチはこれまでにも何度かありました。

昨年はプロ入り後、最大の打撃不振に陥り、2012年の開幕より丸4年以上に渡って継続していた連続フルイニング出場の記録が667試合で途切れましたし、今シーズンの5月24日の甲子園球場では相手投手から顔面に死球を受けて鼻骨を骨折。しかし翌日の試合には、黒いフェースガードをつけて代打として登場されました。

フェースガードに隠れた顔面は鼻のあたりを中心に腫れあがっており、本来なら試合に出られる状態ではなかったものと思われます。顔面の痛みをこらえ、死球を受けた恐怖とも戦いながらの打席であったのでは、と素人ながらに想像しましたが、その姿は鳥谷選手が常日頃より口にされている「プロ野球選手である以上、グラウンドに出てプレーしてこそ価値がある。試合には首脳陣の判断に従って出続けたい」という言葉の実践であったように思われました。

そんな鳥谷選手が今シーズンも終盤に近づいた9月8日、歴代50人目となる2000本安打を本拠地甲子園球場で達成されました。1956試合目での2000本到達ですが、これはドラフト制度以降の日本人選手では最速の記録だそうです。

これまでにベストナイン6回、ゴールデングラブ賞を4回受賞されていますが、2011年の最高出塁率の他には打撃タイトルの獲得がないからか、ドラフト制度以降最速での2000本安打達成という偉大な記録も、鳥谷選手にかかると、日常の中で当たり前のように積み上げられてきた当たり前の記録のように思えてしまうから不思議です。

そういった意味では今シーズンの最終戦でいかにも鳥谷選手らしい記録が打ち立てられました。それは史上15人目となる1000四球達成という記録です。

実はNPB(日本野球機構)の80数年の歴史の中で2000本安打を打ったのは前述の鳥谷選手が50人目、300本塁打を打った打者は42人、これらと比べても15人というのは極めて少ない人数のように思われます。勿論四球を選ぶより少々のボール球でも振っていくバッターもおられますから、四球数の価値をどう評価することが正しい評価と言えるのかは何とも言えませんが、一般的なイメージでは四球を多く選ぶ選手は選球眼が良い選手と思われがちです。

しかしながら1000四球以上の15人のうちの10人は、300本以上のホームランを打っている打者であり、野球界の常識とされる「四球が多い打者はホームランバッター」という説を如実に証明しています。(ちなみに四球数歴代1位は王貞治氏の2390個、2位は落合博満氏の1475個、他にも野村克也氏、門田博光氏、清原和博氏等々、歴史に残るホームランバッターが名を連ねておられます)。

それでは鳥谷選手は、と言うと今シーズン末で137本塁打となっており、元中日ドラゴンズの立浪和義氏の171本を更に下回る最少本数となっています。即ち鳥谷選手は「四球が多い打者はホームランバッター」との説には全く当てはまらず、選球眼の良さで選んだ1000四球と言って良さそうです。競馬の世界に「無事是名馬」という言い方がありますが、鳥谷選手はまさに「無事是名選手」の典型と言ってよい選手のように思えてきます。

役割には色々な役割があります。主力級の選手の場合、打つ・守る・走るという基本部分で、一定レベル以上の活躍をしてもらうことは当たり前のことです。しかしケガをせず故障をせず、常に出続けることも間違いなく大きな価値に違いありません。その選手が手を抜かず、きっちり練習にも取り組む選手であれば尚更のことです。鳥谷選手を見ていると、まさに野球の職人と思えてきます。

一時期キャプテンを任命され、名実ともにチームリーダーとしての役割を果たすことを求められていましたが、真面目な性格ゆえに意識がそちらに向き過ぎてしまった為か、自らの成績とのバランスがうまくとれず、結果的にうまくいかなかったようです。

鳥谷選手はいつも変わらず、そこにいることを通して背中でまわりを引っぱるタイプの方のように見受けられます。それはチームに対して、場合によってはファンの方に対しても、ある種の安心感と大きな存在感を与えてくれているように思われます。まさに精神的な支柱であり、阪神タイガースというチームの屋台骨を支える存在になっておられると言っても過言ではありません。

ただこの役割は自らの成績を落としてしまったら、たちまち果たせなくなってしまいます。これからも一定レベル以上の成績を維持し、チームの精神的支柱としての役割を果たし続けていただきたいものです。

そして願わくは、1895試合で継続中となっている連続試合出場記録において、あと2シーズンと少し頑張っていただき、鉄人・衣笠祥雄選手の2215試合の記録の更新を実現してもらいたいものです。首尾よくいけば、Xデーは2020年の5月中旬頃にやってくるはずです。来シーズン以降の鳥谷選手のご活躍を心よりお祈りいたします。

(おわり)
2017/10/20

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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