甲斐拓也選手~雌伏6年、報われた努力!【第83回】

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甲斐拓也選手~雌伏6年、報われた努力!【第83回】

2017年のプロ野球ペナントレースは既にセパ両リーグ共に優勝チームが決まり、今は最終盤の戦いが繰り広げられています。優勝チームであるセリーグの広島東洋カープ、パリーグの福岡ソフトバンクホークスは共に優勝決定時点で2位チームに10ゲーム以上の差をつける、ぶっちぎりの優勝でした。まさに今の日本のプロ野球はこの両チームが牽引していると言って間違いなさそうです。

前回当コラムで、私は自分自身の気になる選手として中日ドラゴンズの京田陽太選手を取り上げさせていただきましたが、実は両リーグの優勝チームである両チームの中にも気になる選手が存在しています。今回はパリーグの優勝に大きく貢献された選手であり、私自身の気になる選手でもある、福岡ソフトバンクホークスの甲斐拓也選手を取り上げさせていただきます。

甲斐選手は1992年(平成4年)11月生まれの24歳、大分市出身の右投右打の捕手です。大分の楊志館高校に入学後捕手に転向されていますが、高校時代は通算40本の本塁打を打つなど、強打強肩の捕手として地域の中ではかなり名を馳せた選手ではあったようです。しかし甲子園出場の経験はなく、しかも170㎝、75kgとプロ野球選手としては小柄な体ということもあり、全国的には名を知られる存在ではなかったようです。それでも甲斐選手が高校3年の秋(2010年)のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから育成6位の氏名を受け、入団されています。

2010年のドラフトは、福岡ソフトバンクホークスが「三軍制度」を本格的にスタートさせて初めて迎えるドラフト会議であり、この年ソフトバンクは6人の育成選手を指名しましたが、甲斐選手はその中の6番目の指名で入団されました。ただこの6人の中には、今やソフトバンクのエース格として、春のWBCでも大活躍された千賀滉大投手も4位指名で入団されており、とんでもない金の卵が潜んでいた育成指名であった訳です。こうしてあまり大きな期待はかけられない状態で入団された甲斐選手ですが、一軍の檜舞台で華やかな脚光を浴びるまで雌伏の6年間を過ごされることになります。

入団1年目の2011年は三軍のみの出場にとどまり、2年目の4月に二軍の公式戦であるウェスタンリーグに初出場、この年は二軍公式戦に20試合出場して先発マスクも7試合かぶっておられます。そして3年目は三軍の試合に83試合出場された為、二軍の公式戦(ウェスタンリーグ)への出場は4試合にとどまっておられますが、このシーズンオフに晴れて支配下選手に登録され、背番号も130番という三桁から今もつけておられる62番に替わっておられます。

ちなみにですが、育成契約で3年を経過した選手が翌年度(4年目)に支配下選手としての契約を締結してもらえない場合は自動的に自由契約(平たく言うとクビ)になるというルール(両社合意の場合には育成選手として1年ごとの契約は可)があります。甲斐選手の場合は、3年で支配下選手として期待される水準にまでレベルを上げてこられたということです。この入団3年目のオフに支配下登録を勝ち獲られた後、各球団の若手有望選手の集まる台湾のウィンターリーグへ球団から派遣されるなど、着実に足場を固めてこられたことがわかります。

そして4年目・5年目には春季キャンプで一軍に相当するA組に抜擢され、開幕を一軍メンバーとして迎えるところまでのし上がってこられましたが、一軍のゲームを通じて腕を磨くまでには至らず、一試合ずつ守備で出場されるに留まりました。そして6年目の2016年6月に行なわれた交流戦のヤクルト戦で初めて打席に立つ機会を与えられ、タイムリー二塁打を放ち、初安打・初打点を記録されています。この年は三番手捕手として13試合に出場されました。

そして迎えた7年目の今年(2017年)、登録名を「拓也」から「甲斐拓也」に変更し、鶴岡慎也選手・高谷裕亮選手という二人のベテラン捕手に続く一枠を巡って競い合う4人の若手の中の一人という位置づけで春季キャンプに臨まれました。

ちなみにですが、この4人の若手の一人は甲斐選手と同じく、2010年のドラフトで高卒ながら1位指名を受けて入団された山下斐紹(アヤツグ)選手(現在は登録名・斐紹)です。ドラフト1位という期待を背負っての入団でしたが、何度かのチャンスをモノに出来ず、今は育成6位入団の甲斐選手と立場が入れ替わってしまいました。結局このキャンプで一枠を勝ち取り開幕一軍入りを果たされたのは甲斐選手でした。

そして今年4月2日の開幕第3戦・千葉ロッテマリーンズとの試合で東浜巨(ヒガシハマ・ナオ)投手とのバッテリーでプロ入り初めて先発捕手として出場されましたが、ここに雌伏の6年をくぐり抜け、本当の意味でのプロ野球選手としての第一歩を記された甲斐選手の姿がありました。

シーズンの序盤は主に東浜投手、千賀投手とバッテリーを組んでの出場が多く、外国人であるバンデンハーク投手、ベテランの和田投手、摂津投手とのバッテリーは高谷捕手という使い分けがなされていましたが、東浜投手・千賀投手が成績的にもチームの主力であることが明確になってからは、他の投手と組む機会も多くなり、シーズン中盤からは甲斐選手が主力捕手という位置づけになりました。

福岡ソフトバンクホークスは9月16日にチームの130試合目でパリーグの優勝を決めましたが、そこまでの試合の74試合で甲斐選手が先発マスクをかぶっており、紛れもなく主力選手の一人という立場は確固たるものとされました。

甲斐選手がパリーグの強豪チームである福岡ソフトバンクホークスで主力選手として頭角を現わすにつれ、野球ファンの間で広く認識されるようになったのが、その強肩ぶりです。捕球をしてから2塁に到達するまでの送球時間1.7秒はプロ野球界全体の中でも最速の部類に入るようですし、シーズンの前半で何度も東浜投手・千賀投手のピンチを救った強肩を示す映像がユーチューブを通じて流れると、更に賞讃の声が大きくなったようです。

私もその映像を見させてもらいましたが、送球で金のとれる、まさにプロの技と思わせてくれる映像でした。ただ甲斐選手ご自身は自分がそれ程の強肩であるとは思っておられないようで、ご自身は「手首から先、特に中指と人差指でいかに強くボールを押し込めるか。その上で狙ったところへいかに正確にボールを投げられるか」を意識しておられるとのことです。

もうひとつ甲斐選手の特徴は、とにかく練習をすることだそうです。キャンプ中にもシーズンに入ってからも休日返上が常のようですし、気づいたことをノートに書き、タブレットでバッターの研究をし、家に帰ってからもその日の試合の映像や翌日対戦するチームや次のカードの対戦チームのことなどをチェックするそうで、家でもテレビも見ないし、寝ても覚めても常に野球のことを考えているような日々を送っておられるようです。雌伏の6年を経て巡ってきた今のチャンスをより確かなものにしようという気迫が、まわりの者にまで伝わってきそうな感じがします。

今年の4月4日に、同期入団で同じく育成上がりの千賀投手とバッテリーを組んだ際には、史上初の育成出身者同士のバッテリーと話題になりましたし、今年の5月2日に甲斐選手が生涯初の逆転満塁ホームランを打った試合では、先発の千賀投手、リリーフをした石川柊太(シュウタ)投手、飯田優也投手と登場した3人の投手のすべてが育成出身ということもありました。このチームでは、育成出身でも練習をしてうまくなれば一軍の試合に出るチャンスがもらえる、という本来当たり前と思われることが当然のこととして実行されているようです。

ただ何故このチームからばかり優秀な育成出身選手が出現してくるのか、少し不思議な気がします。このチームでも通常のドラフト選手の場合は、候補選手を複数のスカウトの眼で評価するそうですが、育成指名に関しては担当スカウトが「オレだけのこいつ」みたいな選手を挙げることが出来るという制度をとっているようです。

まさにスカウトにとっては自分の感性が試せる貴重な機会であり、現在のチーム環境の中で数年鍛えた時に想定される個々の選手の近未来像、更に言えばそれを具現化させる想像力が問われるのだと思われます。甲斐選手の今シーズンの活躍は、九州地区担当として高校時代の3年間を見つめ続け、育成ドラフト指名をした福山龍太郎スカウトにとって、まさにスカウト冥利につきる出来事だったのではないでしょうか。

まさにこのチームには、選手を見い出してくる目が組織の力として備えられているように思えます。そして獲得した選手を徹底的に鍛えあげる環境・設備が完璧に整えられています。福岡ソフトバンクホークスというチームを見ていると、脚光を浴びて華やかな舞台で躍動する一軍の主力選手たちの後ろに、それを支える分厚い組織の力が存在することを感じさせてくれます。甲斐選手もその組織の中を、自らの血の出るような努力で這い上がり、今まさにもう一段上の真のレギュラーとしての立場をつかみとろうとされています。

今シーズンよりヘッドコーチとして福岡ソフトバンクホークスに入団された達川光男氏(かつての広島カープの名捕手であり、広島カープの元監督)は努力を惜しまない甲斐選手を目にかけておられるようですが、技術面以外で甲斐選手の何が目を引いたのか、と問われて「試合開始前、必ず素手でホームベースをきれいにしている。こんな選手は初めて見た。俺はそれを見た時、感動した」と語っておられます。

捕手である甲斐選手にとっては、ホームベースはまさに神聖なるもの、その神聖なるものを素手できれいにするのは甲斐選手にとっては当たり前の行ないなのでしょう。私は達川ヘッドコーチの語られる逸話を目にした時、甲斐拓也という選手はきっと野球の神様に愛される選手に違いない、そんな気がしました。

これから始まるクライマックスシリーズ、日本シリーズへ益々のご活躍を期待したいと思いますし、来シーズン以降、もっともっと大きな存在感を発揮する選手としての飛躍をお祈りしたいと思います。 

(おわり)
2017/10/2

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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