京田陽太選手~めざせ!ミスタードラゴンズ【第82回】

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京田陽太選手~めざせ!ミスタードラゴンズ【第82回】

2017年のプロ野球もいよいよ大詰めが近づいてきました。セパ両リーグとも、広島東洋カープ、福岡ソフトバンクホークスの優勝マジックが一桁となっており、皆さんがこの原稿をお読みいただいている時には、もう優勝チームが決まっているかもしれません。

これから野球ファンの興味はクライマックスシリーズから日本シリーズへと移っていきますが、チームの順位・成績への関心とは別に、個々の選手の中に気になる存在を抱えておられる方も少なからずおられるのではないでしょうか。私にもそんな選手が数人いますが、今回は私自身の気になる選手の中のお一人を取り上げさせていただきます。その選手は中日ドラゴンズのルーキー京田陽太選手です。

京田選手は1994年4月生まれの23歳、石川県能美市出身の、右投左打の内野手です。中学時代までは地元のボーイズリーグのチームで活躍された後、青森県の強豪校である青森山田高校へ進学されています。同じ県内には八戸学院光星高校があり、中心選手として活躍された現阪神タイガースの北條史也選手、千葉ロッテマリーンズの田村龍弘選手らの厚いカベにはばまれ、甲子園出場はなりませんでした。

高校卒業後は日本大学に進学、1年の時からベンチ入りを果たされました。京田選手の入学時、日本大学は東都リーグの二部校でしたが、京田選手が3年の時の秋からは一部リーグに昇格し、昇格後いきなり京田選手は遊撃手のベストナインを獲得されています。そして4年生ではチームの主将に選ばれると共に、第40回日米大学野球選手権大会の日本代表にも選抜されていますが、この日米大学野球の日本代表に選ばれたことが京田選手にとっての大きな転機となったようです。

京田選手は大学時代から守備には定評のある選手だったようですが、ご本人の認識の中ではバッティングには全く自信がなかったようです。ただこの日米大学野球の日本代表チームで、プロを目指す選手も多いトップ集団の一員となったことで、他の選手の意識の高さ、バッティングに対する探究心に触れ、「このままじゃダメだ」と大いに刺激を受けられたようです。

この日米大学野球をきっかけに黙々とバットを振る日が続いたようで、当時指導にあたられた日本大学野球部の仲村恒一監督は「通常の合同練習以外にも、毎晩1~2時間、室内練習場でバットを振り続けていた」と証言しておられます。

大学卒業後はプロへ進むことを強く希望されていた京田選手ですが、プロに入る為、プロで生き抜く為、の試行錯誤を繰り返された大学時代でもあったようで、後日「あの大学日本代表の時の体験がなければ、今の自分はなかったと思います」とまで語っておられます。そして昨年秋のドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け、プロのスタート台に立たれました。

プロ入り後も最初の春季キャンプで一軍メンバーに名を連ね、オープン戦でも結果を残したことで、3月31日の読売ジャイアンツとの開幕戦では7番・遊撃手として先発メンバーに選ばれています。中日ドラゴンズの新人内野手としては、1999年の福留孝介選手(現阪神タイガース)以来19年ぶりのことだそうです。

これは森 繁和監督の「何があっても、とにかく使い続ける」という方針があってのことなのですが、しかしいくら監督が使い続けると言っても、ある程度のパフォーマンス・結果を出さないと使いたくても使えない事態に陥ってしまいます。そういった意味では「使いながら育てよう」という森監督をはじめとする首脳陣の期待を良い方に裏切り続けた入団一年目であったように思われます。

5月の中旬あたりからは、ほぼ1番打者としてレギュラーの座を守っておられますが、9月10日(日)の時点でチームが消化した128試合のうち、京田選手は126試合に出場し、134本のヒットを打って打率.269、33打点、ホームラン4本、21盗塁という成績を残しておられます。出場試合数はチーム1位、安打数・盗塁数はチーム2位という成績であり、今や中日ドラゴンズの中心選手のお一人としての存在感を発揮しておられます。

余談ですが、中日ドラゴンズの新人野手の安打球団記録139本(1959年江藤慎一選手)にも残り5本まで迫っており、中日ドラゴンズに現れた久々の期待の星として益々将来が嘱望されています。

京田選手はフットワークやグラブさばきに秀でた堅実な守備に加え、広角に打ち分けることの出来る打撃技術が評価されていますが、加えて50mを5.9秒で駆け抜ける俊足という武器も持ち合わせておられます。ただ足が速いだけでなく、走塁における瞬時の判断力の良さも目立っているようです。

5月下旬のDeNA戦では、ワイルドピッチによってボールが一塁方向へ転々ところがる間に、二塁走者の京田選手が躊躇することなく三塁ベースを蹴ってホームインしたことがあったようですし、7月初旬のヤクルト戦では内野安打で出塁した京田選手がすかさず盗塁、3番大島選手のヒットで三塁へ進塁し、続く4番ゲレーロ選手の打球は二塁後方への飛球となり、ヤクルトの二塁手山田選手が背走しながら捕球するや、三塁ランナーの京田選手はすかさずタッチアップし、1点をもぎ取ったシーンがあったようです。内野フライでも虎視眈々と次の塁を狙う姿勢が、相手球団にもより強い警戒心を抱かせることになっているようです。

こんな京田選手ではありますが、まだ発展途上の選手であるがゆえ、課題も結構抱えておられるようです。盗塁をそれなりの個数決めてはおられますが、盗塁失敗も結構あるようですし、打席に立っている数に比べると四球の数が極端に少なく(セリーグの規定打席到達者の中では最少)、必然的に出塁率が思ったほど高くないという課題にもつながるようです。

四球を選べる選手になる為には狙い球とは違うボールをファウルにする技術も必要でしょうし、きわどいボールを見極める選球眼を高めていくことも必要と思われます。これらの課題が克服できた時に一段とレベルの高いバッターに成長していかれるに違いありません。

選手を育てるには一軍の試合に使うことで経験を積ませることが必須の条件です。経験が浅いがゆえに失敗してしまうリスクをどこまで辛抱して使い続けるか、使う側の監督・コーチの覚悟が試されます。

かつてあんなに強かった中日ドラゴンズですが、ここ5年ほどはBクラスが定位置となっており、今がまさにチーム再建の過渡期にあるのだと思われます。再建を果たす為には核となる選手を作り、その選手を中心にチームが戦っていく形を作り上げることが必要です。今年一年間貴重な経験を積み上げた京田選手が更なる成長を見せ、自他ともに認めるチームの中核選手となった時、再び強い中日ドラゴンズが復活するのではないでしょうか。

80年を超える中日ドラゴンズの長い歴史の中で、多くのファンが親しみを込めて「ミスタードラゴンズ」と呼んだ選手が3人いたそうです。西沢道夫氏、高木守道氏、立浪和義氏の3人ですが、奇しくもこの3人の方は全て内野手であり、まさに京田選手が目標とすべき対象なのかもしれません。

特に現役の姿が記憶に残る高木守道氏・立浪和義氏は、堅守・巧打で活躍し、背中を見せることによってチームを牽引した不言実行タイプの選手だったようです。そう遠くない将来、四代目のミスタードラゴンズと親しみを込めて呼ばれるぐらい、京田選手には大きく大きく成長していただきたいものです。

直近のことについて言うと、京田選手はセリーグの有力な新人王候補です。横浜DeNAベイスターズの濵口遥大投手との一騎打ちだと思われますが、願わくは新人王のタイトルを獲得していただき、来年度以降の更なる飛躍につなげていただくことを願っています。

(おわり)
2017/9/14

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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