阿部慎之助選手~捕手としての価値ある2000本【第81回】

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阿部慎之助選手~捕手としての価値ある2000本【第81回】

8月も後半に差しかかり、2017年のプロ野球も大詰めが近づいてきました。セリーグでは広島東洋カープにマジックが点灯し、独走状態の中で優勝へのカウントダウンが始まっています。

一方パリーグはつい先日まで福岡ソフトバンクホークスと東北楽天ゴールデンイーグルスの激しい首位攻防戦が続いていましたが、ここへきて福岡ソフトバンクホークスが一歩抜け出しつつあるようです。そこへ夏場に入って驚異的な追い上げを見せる埼玉西武ライオンズがどこまでこの両チームに迫ってくるか、違った観点からの楽しみ方も出てきています。

更に8月に入ってからは二人のベテラン選手による偉大な記録が達成されました。

ひとつは中日ドラゴンズ・岩瀬仁紀投手が8月6日に達成したプロ野球の登板試合数の最多記録となる950試合登板という大記録です。1999年の入団から19年目の快挙でした。そしてもうひとつは、岩瀬投手の一週間後、読売ジャイアンツの阿部慎之助選手によって成し遂げられた史上49人目となる2000本安打達成の記録です。

という訳で岩瀬投手は当シリーズで以前にも取り上げさせていただいたことがあります(第33回「甦れ!抑えの名投手」の項をご参照下さい)ので、今回は阿部選手を取り上げさせていただきます。

阿部選手は1979年3月生まれの38歳、千葉県浦安市のご出身で、安田学園高校・中央大学を経て2000年秋のドラフト会議において、当時制度として存在していた逆指名制度によってドラフト1位で入団されています。阿部選手を語る際には野球人生における最初の師である父親の阿部東司(とうじ)さんに触れない訳にはいきません。

父の東司さんは習志野市立習志野高校・中央大学から実業団チームの電電東京に所属された経験を持つ野球人でした。習志野高校時代は元阪神タイガースの掛布雅之氏(現阪神タイガース二軍監督)とクリーンナップを組み、甲子園への出場経験も持っておられます。そんな関係もあって阿部選手は幼少の頃から東司さんの語る掛布像を通じて、プロで一流になる選手がどんな環境に身を置き、一般のファンには見えないところでどんな鍛錬をしているか等々、まさに帝王学とも言えるような語りを聴きながら成長されたようです。

阿部選手のプロを目指す夢の道しるべとなったのが掛布選手であり、左打ちを始められたのも掛布選手に憧れてのことだったようです。高校卒業時に阿部選手ご自身は直接のプロ入りを望んでおられたようですが、東司さんを通じて進路を相談された掛布氏は、当時のドラフトに逆指名制度があることも考慮し、将来のことも考えると大学での4年間はマイナスにはならないというアドバイスを贈られたようです。

大学時代から打撃には定評のあった阿部選手は、望みどおり逆指名によって読売ジャイアンツに入団された訳ですが、入団時の監督は長嶋茂雄氏、ヘッドコーチが原辰徳氏でした。当時の原ヘッドコーチは大学から素晴らしい捕手が入団してくることを楽しみに2月の春季キャンプに臨まれたようですが、キャンプ・オープン戦での阿部選手の動きを見て、正捕手として育てなければ、という思いを強く持たれたようです。そして長嶋監督にこんな気持ちを打ち明けられたようです。

「阿部慎之助は将来、チームをしょって立つ選手になると思いますし、私もそのつもりで彼を育てます。従ってひとつお願いがあります。開幕からスタメンで使って下さい」。長嶋監督は何も言わずにうなづき「それでいこう」と答えられたようです。

そしてその年の3月30日の東京ドームでの阪神タイガースとの開幕戦、8番捕手として読売ジャイアンツでは山倉和博捕手以来23年ぶりとなる「新人捕手開幕スタメン」として出場し、その試合で初打席初安打初打点を含む4打点を挙げ、華々しいプロデビューを飾られました。結局入団1年目は規定打席には6打席不足したものの、127試合に出場して打率.225、13本塁打という成績を残されました。

長嶋監督は当時正捕手であった村田真一捕手を阿部選手の教育係に指名し、阿部選手に経験を積ませる策を辛抱強く実行されたのですが、捕球やリード面では課題も多く、ファンやマスコミからは酷評の嵐、かなりなバッシングも受けられたようで、阿部選手ご自身が「人間不信に陥った1年だった」と語っておられる程でした。

監督とヘッドコーチが育てあげることを念頭に強い信念ももって起用し続けた結果、入団二年目の2002年には打撃面では規定打席に到達した上での打率.298、18本塁打、守備面でも長足の進化を遂げ、ゴールデングラブ賞を獲得した上でベストナインにも選ばれるなど、読売ジャイアンツのレギュラー選手、主力選手としての立場を確かなものとしていかれました。

以降も年度によって故障の影響もあって多少成績にムラが生ずることはあったものの、打撃の面でも守備の面でも進化を遂げられ、「打てる強肩捕手」としてリーグはおろか、日本球界を代表する捕手のお一人としての地位を確固たるものとされました。

入団7年目となる2007年にはチームの主将に任命され、以降8年間にわたって主将としてチームの支柱としての役割を担われ続けました。そして自チーム以外のところでは、オリンピックやWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表としても活躍され、まさに日本のプロ野球界全体の中心選手としての地位を確かなものとされたように思われます。

そういったことを象徴するようなシーンが阿部選手の2000本安打達成の場面で見られたように思います。広島のマツダスタジアムで行なわれた巨人対広島三連戦の最後の試合の9回表、阿部選手がライト前ヒットを打って2000本安打を達成した時、巨人ファンのみならず相手の広島ファンも一緒になって沸き起こった「慎之助」コールに、この選手がいかにファンに愛される存在であるかを見せつけられたような気がしました。

トレーニング技術の進化で選手寿命が長くなっていることと打撃技術の進化によって、近年は毎年のように2000本安打達成者が出ていますので、以前に比べると価値が下がっているという見方もあるようですが、阿部選手の場合はキャリアの大半を体に負担のかかる捕手としてプレーしており、一般の野手が達成する記録以上の価値ある記録と思われます。

捕手としては野村克也氏・古田敦也氏・谷繁元信氏に続く4人目の記録となりますが、もう当分の間は捕手部門からの2000本安打達成者は出て来ないものと思われます。

また余談となりますが、日本球界で最古の歴史を誇る読売ジャイアンツ球団でも生え抜き選手(定義は入団から引退までを読売ジャイアンツ一筋)による2000本安打の達成は、川上哲治氏・長嶋茂雄氏・王貞治氏・柴田勲氏に次ぐ5人目の記録だそうですから、そうやって見るとやはりとてつもなく価値ある記録と思えてきます。

阿部選手は入団以来ずっと将来の中心選手、将来のチームリーダーとして球団組織によって育てられてきた選手です。入団当初の技術的に未熟であった頃に受けた激しいバッシングを自らの努力ではねのけ、ブーイングを賞賛に変えさせたのは阿部選手の努力以外の何物でもありません。しかしそんな阿部選手に経験を積ませる為の機会を与え続けたのは長嶋監督、原ヘッドコーチであり、そこには指導者としての覚悟と使い続ける勇気・忍耐が見てとれます。まさに使う側と使われる側の本気と本気のぶつかり合いが阿部慎之助という選手を大成させ、その帰結が今回の2000本安打につながったのだと思われます。

阿部選手は自らがチームの中心選手となって以降、緊張感に欠けるプレーをしたり不甲斐ない姿を晒す選手に対しては、厳しく叱責されることがあるようです。これに関して私にはとても印象に残っているシーンがあります。

2012年の北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズの第2戦、先発した澤村拓一投手が初回にピンチを招きましたが、その際牽制のサインを見逃したようで、阿部捕手は一度タイムをとってマウンドの澤村投手のところに駆け寄り、澤村投手の頭を叩いたのです。TVの全国中継がされており、全国の野球ファンがこのシーンを目にして正直ビックリしたはずです。私もビックリしました。しかし神妙に阿部捕手の話を聴いた澤村投手はこれで奮起したのか、8回無失点の好投で日本シリーズ初登板初先発初勝利という快挙を成し遂げました。

まさにチームリーダー阿部選手の愛のムチであり、根底に流れる信頼関係の深さを見た感じがしました。阿部選手に言われたら誰も何も言えない、阿部選手の言動にはそんな重さも加わり、今やチームの精神的支柱として、チームのまとめ役としての役割も担っておられます。

今回の2000本安打の次は2500本安打を目指すと言っておられますから、阿部選手にとっての2000本は通過点に過ぎないのだと思われます。ただ少し残念なのは、度重なるケガと故障で満身創痍の状態にある阿部選手が今も4番を打ち続けなければならないところに、現在の読売ジャイアンツの世代交代がスムーズに進まない苦しさが見てとれるような気がします。

広島東洋カープの新井貴浩選手、ブラッド・エルドレッド選手が適度な休養をはさみながら使われている姿を見ると、2017年シーズンにおける広島東洋カープと読売ジャイアンツの現時点のチーム力の差、そして順位の差を感じずにはおれません。

残り30数試合、読売ジャイアンツにとってはクライマックスシリーズへの進出をかけた瀬戸際の戦いが続きます。チームを鼓舞しながら自らのバットで勝利を手繰り寄せる阿部選手のご活躍を心よりお祈りすると共に、来シーズン以降も変わらぬご活躍をしていただくことを皆さんとご一緒に祈りたいものです。

(おわり)
2017/7/31

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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