千賀滉大投手~WBCから世界へはばたけ!【第74回】

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千賀滉大投手~WBCから世界へはばたけ!【第74回】

2017年のプロ野球がいよいよ開幕目前です。ただ今年はこの3月に行なわれ、アメリカ合衆国の優勝で幕をおろしたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)もかなり盛り上がりました。日本は惜しくも準決勝で敗退し、前回大会同様ベスト4止まりでしたが、野球がこんな面白いゲームだったことを改めて思い知らせてくれたようにも思えました。そこで今回はWBCを少し振り返る中で一人の選手を取り上げさせていただきます。

東京ドームで行われた1次リーグ、2次リーグで日本代表チームは6連勝を達成し、ロサンゼルスでの準決勝に駒を進めた訳ですが、1次リーグはともかくも、2次リーグはどの試合も点差に現れている結果以上の、手に汗を握る熱戦続きでした。

特に2次リーグ初戦のオランダ戦は1点差を9回に追いつかれ、延長11回タイブレーク(今回のWBCでは延長11回から適用。前の回の最後の打者とその前の打者を一塁・二塁に置き、無死一塁・二塁から打順を変えずにプレーを開始)の末に、北海道日本ハムファイターズの中田翔選手の適時打で2点を勝ち越す、ギリギリの勝負でしたが、夕方7時の試合開始が終わった時にはなんと夜の12時、しかし地上波のTV中継は最後まで放映され、視聴率も20%を超えたようで、面白いゲームであれば視たい人はいることを改めて教えてくれたような試合でした。

1次リーグ、2次リーグを通じて打つ方では横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手、前述の中田翔選手、守る方では広島東洋カープの菊池涼介選手、そして何と言っても守りの要としての読売ジャイアンツの小林誠司捕手の大活躍が強く印象に残っています。

一方投げる方では、1次リーグ・2次リーグではあまり調子は上がらなかったものの、準決勝の米国戦で6回1失点(自責点0)の素晴らしい投球を見せてくれた読売ジャイアンツの菅野智之投手、WBCで4試合に登板、計11回を投げて不運な1失点に抑えた福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大(センガ・コウダイ)投手の活躍が目を引きました。

今回のWBCを観て、投手力に関してはメジャーリーグとも互角の勝負は可能と思わせてくれた半面、打つことと守ることに関しては、バリバリと形容されるような一流メジャーリーガー相手の試合では、総力として互角とまではいかないのかな、とも思えました。

今後WBCがどうなっていくのかはわかりませんが、米国やプエルトリコ、ドミニカ共和国のメンバーが一流バリバリのメジャーリーガーばかりのチーム編成となっていくのなら、日本が優勝することは至難の技となるのかもしれません。しかしそんなバリバリの超一流揃いのチーム相手に、国の威信を掛けて戦ってくれるのなら、ぜひ次回以降を楽しみにしたいものです。

という訳で振り返りの前置きがとても長くなってしまいましたが、今回のWBCで日本人選手の中で唯一ポジション別の優秀選手に選ばれた千賀滉大投手を取り上げさせていただきます。

千賀滉大投手は1993年(平成5年)1月生まれの24歳、愛知県蒲郡市のご出身で、地元の愛知県立蒲郡高校を卒業されています。高校3年時にあった2010年秋のドラフト会議で育成選手ドラフト4位で福岡ソフトバンクホークスに指名され、入団されています。

蒲郡高校入学後に投手に転向され、2年時からエースとしてチームを牽引されていたものの、3年時も夏の甲子園の愛知県予選は3回戦で敗退しており、全国的には全く無名の存在としてのプロ入りであったようです。千賀投手の獲得を決めた、当時のスカウト部長・小川一夫氏が千賀投手の入団した2011年から二軍監督に就任されたこともあり、入団1年目はもっぱら体力づくりと三軍戦での登板に明け暮れ、ウェスタンリーグ公式戦への登板機会もなかったようです。

しかし転機は入団2年目となる2012年1月、チームの先輩に連れられて行った自主トレの場でやってきます。そこには当時中日ドラゴンズのエースであった吉見一起投手、元中日の投手で当時大リーグのボルチモア・オリオールズへの移籍が決まっていたチェン投手、ソフトボールの金メダリスト上野由紀子投手らの姿があり、彼らと一緒に汗を流す中で、一流選手がどのような練習をしてどんなことを考えているかを知る機会を得られたようです。

更に彼らを束ねている鴻江(コウノエ)スポーツアカデミーの鴻江寿治氏から体の使い方を学んだことで、低めの球がぐんと伸び、球が垂れなくなったとのことです(千賀投手・談)。それと共に当時制球難に苦しんでいた千賀投手は、この自主トレで球界屈指のコントロールを誇っていた吉見投手に積極的にアドバイスを求め、親指の使い方を教わることで、それまで20球に1球ぐらいしかまともに落ちなかったフォークボールを、毎回真下に落ちる完成度の高いものとして身につけられました。

こうして入団2年目の2012年4月には支配下登録され、先発投手として一軍デビューを果たすも、年間では一軍公式戦2試合の登板で0勝1敗という成績に終わりました。しかしウェスタンリーグでは18試合に登板して7勝をあげ、着実に階段を上がっていかれました。

そして迎えた3年目、1月の自主トレーニング中から投球フォームの改良に積極的に取り組み、中継ぎ要員としてご自身初の開幕一軍入りを果たされました。当初は敗戦処理からのスタートでしたが、27試合連続無失点を記録し結果を残す中でセットアッパーの立場を勝ち取り、この間一軍での初ホールド、初勝利を記録し、救援投手による公式戦連続無失点イニング(34回3分の一)のパリーグ・タイ記録も樹立され、監督推薦でオールスターゲームへも出場されています。

年間チーム最多の51試合登板を果たし、大きくブレークした3年目、年俸も大幅にアップしましたが、4年目は右肩違和感でほとんど結果を残せず、5年目は先発に転向するも、一軍先発陣の層が厚いことなどから、なかなか登板機会がまわって来ず、シーズン初の一軍昇格が8月半ば過ぎになってしまいます。しかしシーズン終盤の活躍は素晴らしく、クライマックス・ファイナルシリーズ、日本シリーズでも大いに存在感を発揮されています。

そして昨シーズン・2016年は一軍の先発ローテーションの一角として、3月30日のシーズン初勝利から8連勝をあげるなど、シーズンを通して169回投球、12勝3敗、181奪三振、防御率2.61という、主力の名に恥じない素晴らしい成績をあげられ、この成績がWBCメンバーの選出へとつながっていったものと思われます。

千賀投手は最速156kmのストレート、「お化けフォーク」と言われるほど落差の大きいフォークボールと縦のスライダーを駆使しての空振りの取れる投球が最大の特徴ですが、高校時代の恩師である金子博志氏がインタビューに答えてこんなことを語っておられます。

「千賀は元々関節が非常に柔らかいんです。猿腕といって、手のひらを上に向けた状態で両手を前に伸ばしても、手から肘までがピッタリつくんですが、更に他の選手より柔軟運動には時間をかけていました。スピードの秘密は柔軟な関節が生み出す驚異的な『しなり』なんです。」

WBCでこれだけの注目を集めた千賀投手ですが、プロ入り後6年間での一軍通算成績は、先発もリリーフも含めて、101試合(うち先発30試合)・275イニング登板で、16勝10敗20ホールド1セーブ、316奪三振、防御率2.45となっています。

三振奪取率を計算すると1試合で10個以上の三振を取っていることになりますから、ただ者ではないことがよくわかりますが、勝ち星や投球回数を見るとまだまだ発展途上、これからの伸びしろを期待できる逸材であると思われます。

育成選手として推定年俸270万円で入団した選手が、2017年の契約では推定年俸6500万円と言われています。しかしこれも近い将来メジャーリーグに行けば10数億あるいは20億円レベルの契約になる可能性もあるのでしょうから、まさに今、大投手への道のりの第一歩が始まったようにも思われます。

でも少し不思議なのは、こんな選手がほとんど誰の目にも触れず、なぜ育成ドラフトの4番目まで残っていたのか、ということです。プロ入り2年目、ウェスタンリーグで千賀投手が片鱗を現わし始めた頃、中日ドラゴンズの球団関係者のお一人が「こんな選手が愛知県下にいたとは・・・・」と語られたそうです。

千賀投手の素材の素晴らしさを最初に見出したのは名古屋市内にあった、あるスポーツ用品店のオーナーの店長さんだったそうです。

各球団のスカウトは誰しも担当地域に独自のネットワークを張り巡らせているそうですが、アマチュア選手の情報通の店長さんが話を持ち込んだ先が、当時スカウト部長だった前述の小川一夫氏、たまたま入団1年目に二軍監督に就任されたこともあり、一番大切な基礎の育成段階でプロとしてやっていく土台が作られたのだと思います。

小川一夫氏は二軍監督当時こんなことを語っておられます。「千賀は素晴らしい素質の持ち主です。特に肘に柔らかさがあり、順調に育てばかなりな投手になると思っていました。他球団がそれほど目をつけていなかったのも幸運でしたね」。千賀投手を最初に見出したスポーツ用品店の店長さんはもうお亡くなりになられたようで、小川一夫氏がその方から紹介を受けた最後の選手となったようです。

こうしてみると幾重もの偶然も重なっているようにも見えますが、素材を見出し、その素材を磨き育て上げる、福岡ソフトバンクホークスという球団の育成にかける組織力こそが千賀滉大という投手を生み出したように思えます。福岡ソフトバンク球団にはちょっと申し訳ないですが、千賀投手が近い将来メジャーリーグの強打者相手にバッタバッタと三振を取りまくる雄姿を見てみたいものです。

まずはこれから始まる2017年シーズン、誰をも納得させるような圧倒的な成績を伴なった、圧巻の大活躍を期待しています。 

(おわり)
2017/3/29

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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