高梨裕稔投手~パリーグ新人王 大黒柱を目指して!【第70回】

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高梨裕稔投手~パリーグ新人王 大黒柱を目指して!【第70回】

明けましておめでとうございます。

2017年のプロ野球は2月1日のキャンプインを控え、今各選手は自主トレに励んでおられますが、昨シーズンブレークし、今年は更なる活躍が期待される若手選手の中から、今回は昨シーズンパリーグ新人王に輝いた北海道日本ハムファイターズの高梨裕稔(ヒロトシ)投手を取り上げさせていただきます。

高梨投手は1991年6月生まれの25歳・千葉県茂原市出身で入団後3年が経過した選手です。何故入団後3年たった選手が新人王? という疑問が浮かびますが、これは入団5年以内の選手で前年までの出場が投手の場合30イニング、野手の場合60打席以内であれば新人王の有資格者という規定があり、高梨投手はこの規定による有資格者であった訳です。ただシーズン中盤以降、先発投手としてローテーションを守り、2桁勝利をあげてリーグ優勝に大きな貢献をされた高梨投手の新人王受賞に異論の声はほとんどあがりませんでした。

高梨投手のプロフィールですが、千葉県立土気(トケ)高等学校・山梨学院大学を経て2013年秋のドラフトで北海道日本ハムファイターズから4位指名を受け入団されています。そもそも高校・大学とも学生球界でも決してメジャーとは言えないチームであり、全国的には無名の存在でした。野球は小学校2年生から始められたようですが、内野手だった中学生時代には公式戦で安打を1本しか打てなかった年もあったようで、現に土気高校への進学直後には友人の誘いでサッカー部への入部が頭をよぎったこともあったそうですが、結局野球部に入部し、1年の秋から監督の勧めで投手に転向したところから高梨投手の本格的な野球人生がスタートします。

投手転向直後には122キロだったストレートの最高球速が2年生では134キロ、3年生では142キロと毎年のびていた為、大学でも野球を続けたいと思っていたところ、運命の出会いを果たされます。高校3年生の夏、甲子園出場をかけた千葉県予選の3回戦木更津総合高校との試合で、相手チームの視察に来られていた山梨学院大学の監督・コーチの目に留まります。その監督が元読売ジャイアンツ・日本ハムファイターズの名投手高橋一三氏、コーチが伊藤彰氏(1996年ヤクルト・ドラフト1位で投手として入団、ケガの為プロ生活4年間で一軍登板は果たせず引退)ですが、そのお二人の勧めもあって山梨学院大学に入学されます。

手足の長さ、腕のしなり、投げっぷりの良さといった素材を認められての進学でしたが、高橋監督には付ききりでフォームの指導を受け、伊藤コーチ(高橋監督ご逝去の後、現監督)には1年生の時から体づくりのトレーニングを徹底して受け、投手としての基盤をしっかり確立された4年間でした。そして大学4年の春には読売ジャイアンツの二軍との練習試合でプロ相手に5回までノーヒットに抑える好投を見せたり、大学全日本チームの合宿でチームの主力打者を伸びのあるストレートとキレのいいフォークボールで抑える快投を見せ、一躍プロのスカウトからドラフト候補としての注目を集めるようになりました。

こうして入団された高梨投手でしたが、1年目は一軍での登板はなく、ファームで17試合に登板して1勝8敗1S、防御率4.90という散々な成績でした。さすがにこれだけ打たれて負け続けると投げるのが嫌になった時期もあったそうですし、野球が楽しくなかったとも述懐されています。ただこの1年目が終わったオフに、打たれても失点しても前向きなチームメイトに感化され、ご自身のマインド・物のとらえ方をガラッと切り替え、何事もポジティブにとらえることが出来るようになったそうです。

即ち、打たれても「自分はダメだ」と思うのではなく、「新しい課題が見つかった。成長できるチャンス」ととらえることが出来るようになったことが、その後の転機になったようです。2年目、初の一軍登板は果たしたものの一軍ではまだ結果は残せず、結局2試合・7回3分の1イニングを投げて0勝1敗、防御率3.68という成績でした。ただしファームでは1年を通してローテーションを守り、21試合・114回3分の2イニング(投球回数リーグ2位)を投げて11勝6敗(勝利数リーグ2位)、防御率3.38(リーグ4位)と大きく芽を出す直前の段階まで到達されていたように思われます。

そして迎えた3年目の2016年シーズンは初めて開幕一軍入りを果たし、開幕から2ヶ月強は中継ぎとして23試合に登板して2勝2敗1H、防御率1.82という安定した成績を残していましたが、チーム事情の為6月8日の広島東洋カープ戦で初めて先発すると先発初勝利をあげ、以降シーズン終了まで先発ローテーションの一角を守って14試合に登板して8勝負けなし、トータル10勝2敗という好成績で、チームのリーグ優勝に大きく貢献されました。

黒木知宏投手コーチ(現役時代はロッテの主力投手、愛称ジョニー黒木)は、前年秋のキャンプの時点で2016年シーズンのローテーション入りを確信されていたそうですが、高梨投手のボールは打者からみると本当に打ちにくいボールだそうです。ひとつは投球フォームにおいて、ゆったりした足の上げ方が、打者にとって「速い真っすぐは来ない」と錯覚させてしまうこと、もうひとつは高梨投手は真っすぐも変化球も腕の振りは全く一緒であり、しかもトップの位置から振り下ろすまで腕が体に隠れている為、打者は見えないところから突然ボールが来る感覚になる、とのことです。

こうした特長は大学時代の恩師である高橋一三氏の指導のもと高梨投手ご自身が身につけた武器ですが、北海道日本ハムファイターズの二軍でもこの特長を消さないよう、体を鍛えつつ経験を積んでもらったことが今シーズンの飛躍につながったようです。更に、高梨投手ご自身は、前半戦でリリーフを経験させてもらったことが実に大きかったと述べておられます。即ち「接戦の勝負どころで相手の中軸を抑える為にマウンドへ行き、流れをチームに引き寄せるという仕事はリリーフでないと感じられません。これは先発として試合の流れをコントロールする上でもとても大事なことでした」と語っておられます。

2016年シーズンの高梨投手のパリーグ新人王は、北海道日本ハムファイターズにとっては2年連続の新人王ということになります。2015年シーズンは有原航平投手が入団の年に受賞されています。有原投手はドラフト1位の即戦力期待のルーキーですから、新人王受賞の活躍にもさほどの驚きはありませんでしたが、高梨投手のように即戦力期待ではないドラフト4位の選手に対しては、素材としての良さを消さないよう体を鍛えつつ経験をしっかり積ませるという、選手の育成に対するチームポリシーのようなものを感じさせてくれます。

更に今シーズン北海道日本ハムファイターズには4人の二桁勝利投手が出ています(大谷翔平投手10勝4敗、有原航平投手11勝9敗、増井浩俊投手10勝3敗10セーブ、高梨裕稔投手10勝2敗1ホールド)が、この4人の1年間の成績をつぶさにながめてみると実に面白いことに気づきます。開幕から5月中旬まで有原投手は5連勝、その間大谷投手は好投してもリリーフ陣が逆転されたり、1失点負けなどもあって1勝4敗、5月後半から6月初旬にかけて有原投手が3連敗すると、同期間大谷投手が3連勝、6月8日に高梨投手が先発に転向し、その後6月19日から7月11日までチームとして怒濤の15連勝を成し遂げますが、この間大谷・有原両投手が各3勝ずつ、高梨投手が2勝と15連勝の半分以上を3人であげています。

その後大谷投手が7月10日の登板を最後に右手中指のマメを潰したことで約2ヶ月間マウンドを離れ打者に専念されましたが、ここ以降リーグ優勝の決定までの期間、有原投手は2勝6敗と振るわなかったものの、高梨投手は5勝0敗、8月に入って先発投手として復帰した増井投手が優勝決定まで6勝1敗(最終戦も勝利して7勝1敗)と勝ち星を重ね、優勝への大一番となった9月21日の福岡ソフトバンクホークス戦とリーグ優勝を決めた9月28日の埼玉西武ライオンズ戦を大谷投手で2勝をあげています。

15連勝の期間を除くと、この4人の投手が同時に勝ち星を積み上げた時期はほとんどありません。この4人の投手のかみ合わせは単なる偶然なのでしょうか。私にはそうは思えません。選手の能力、適性、コンディショニングを見ながらの、優勝へ向けたチームマネジメントそのものの勝利のように思えてなりません。そういった意味でも高梨投手はいいチームに所属し、いい機会を与えられたシーズンを過ごされたように思います。

早ければ2017年シーズン終了後にも大谷選手のポスティングでの米国メジャーリーグ移籍が予想されますが、そのことは高梨投手にとって更なるチャンスが広がることにもつながりそうです。と同時にまだ芽を出す前のファームの選手たちにとっても大きなチャンスが到来するはずです。高梨投手には、大谷投手がおられなくなった後の北海道日本ハムファイターズの大黒柱となるべく、まずは2017年シーズン、規定投球回数を達成した上で、投手部門のタイトル争いをするぐらいのご活躍を期待したいものです。自主トレ、キャンプと高梨投手の動向を楽しみに見守らせていただこうと思います。

(おわり)
2017/1/6

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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