新井貴浩選手~フォア・ザ・チーム 不惑の現場リーダーの存在【第69回】

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新井貴浩選手~フォア・ザ・チーム 不惑の現場リーダーの存在【第69回】

2016年11月28日、今年度のプロ野球の各賞の表彰式「NPB AWARDS 2016」が開催されましたが、記者の投票によって決められる最優秀選手(MVP)にセリーグでは広島東洋カープの新井貴浩選手が、パリーグでは北海道日本ハムファイターズの大谷翔平選手が選ばれました。大谷選手は記者のほぼ全員に近い方の票を集め、満票に近い形での選出でしたが、新井選手の受賞には少し意外な感想を持たれた方もおられたようです。

ただこの投票を行なっているのは全国の新聞・通信・放送各社で5年以上のプロ野球担当経験がある記者であり、言ってみれば取材を通じて間近に選手を見ているプロの方々です。そんなプロたちがMVPに選ぶには、成績+αの要素があるに違いないと思うと、俄然新井選手に興味を持つに至りました。という訳で今回は今年度のセリーグMVPに輝いた広島東洋カープの新井貴浩選手を取りあげさせていただきます。

新井選手は1977年1月30日生まれの39歳、広島市のご出身で、広島県立広島工業高校・駒澤大学を経て1998年のドラフトで広島東洋カープからドラフト6位の指名を受け入団されています。このドラフトの前には駒澤大学の先輩で、当時チームの中心選手であった野村謙二郎氏(前監督)の自宅を訪れ、自らのバットスイングをアピールし、野村氏の推薦もあってドラフト指名されたというエピソードが残されています。

元々特別な才能に恵まれていた選手ではなく、徹底した練習・努力に次ぐ努力でジワジワと実力をつけ、入団3年目にほぼレギュラーの座を手にされ、以降中心選手としての階段を一歩ずつ上っていかれる中で、2005年には43本塁打でホームラン王のタイトルも獲得されています。2007年には中心選手としてFAの権利を取得されたのですが、それまで新井選手はFA権を得ても広島に残留する旨の発言を繰り返していたにも拘わらず「自分を厳しい環境に置き、そこでどう変わっていくか、挑戦する気持ちが出てきた」との理由でオフにFA権の行使を宣言。

悩みに悩んだ結果「残留したら、いつか後悔するかもしれない」との考えに至り、兄とも慕う金本選手のいる阪神タイガースへの移籍を決意されます。記者会見の席では「辛いです・・・カープが好きだから。喜んで出ていく訳ではありません。FAなんてなかったら良かったのに・・・・」と涙ながらに語られましたが、後に自身の著書の中で語られたところによると、この移籍の最大の理由は「もう一度金本選手と一緒に野球がしたい」という、金本選手が広島から阪神へ移籍されて以来ずっと抱えておられた強い思いによるものだったようです。

こんな心の葛藤を経て入団された阪神タイガースでは、金本選手がケガの為にスタメンを外れるようになってからは4番を打ち、中心打者としてそれなりの活躍はされたのですが、ここぞの場面では併殺打を打ったり、チャンスに凡打といったシーンも結構あり、ケガの影響もあって阪神タイガースでの最後の年となった2014年は出場試合数もかなり減ってしまいました。

結局阪神タイガース在籍の7年間の中で、2011年には93打点で打点王のタイトルも獲得されてはいるのですが、ご本人にとっては雌伏の時期となった7年間ではなかったのかな、と思われます。2014年のオフに野球協約の規程をかなり大きく上まわる減俸通告を受けたことを機に自ら自由契約を申し入れ、それが受け入れられたことで、何の保証もない白紙の状態に身を置く形で自由契約選手として阪神タイガースを退団されました。

その後、右打ちの長距離砲が補強ポイントであった古巣の広島から声がかかりました。契約金額は推定2000万円だったようで、これは前年の阪神タイガースの契約金額の10分の1の金額だったようです。条件は即決で受け入れた新井選手ですが、実は広島カープでは他チームへ移った選手が出戻ったケースは過去にひとつの例もなく、ここでも新井選手は大いに悩まれたようです。

熱烈なファンが多い広島ファンから裏切り者呼ばわりをされていたこともあり、躊躇されていたようですが、迷う新井選手の背中を「お前なら大丈夫」と押してくれたのが、まだアメリカにおられた黒田投手だったようです。10分の1となった契約条件を即決で受け入れておられるのですから、ただ純粋に一から出直す場(機会)が欲しかった、これが広島復帰時点の新井選手の心境ではなかったのかと思われます。過去の実績もすべてゼロに戻し、若手選手と一緒に泥にまみれてポジション争いをする、そんな覚悟に満ちた再出発だったように想像されます。

2015年より広島東洋カープに復帰された新井選手ですが、この年は黒田投手もアメリカから広島へ凱旋帰国されています。実はこの二人は広島を離れたのも2007年のシーズンオフと同じ時期であり、共に7年間のブランクの後に広島カープで再び巡り合われた訳ですが、片や黒田投手はアメリカの高額オファーを蹴って男気の契約を結んだと言われていますが、金額は広島カープの過去最高金額である年俸4億円、一方の新井選手は前述のとおりの年俸2000万円、年俸には期待値も込められているとするなら、新井選手の期待値が黒田投手に比べてはるかに低いものであったことは間違いなかったと思われます。

しかしそんなことは歯牙にもかけず、練習では先頭に立って声を出し体をいじめ抜く姿勢がチームにどんな影響を及ぼしていったか、簡単に想像がつきます。シーズンが始まると、当初は代打としての出番が中心でしたが、外国人選手のケガもあってスタメンでの出場が増え、シーズン途中ではオールスター戦にファン投票で選出されたり、最終的には規定打席にも到達し、大いに存在感を発揮されました。

シーズンオフには復帰時点から3倍増の推定年俸6000万円で契約を更改され、迎えた2016年シーズン、開幕間もない4月26日には史上47人目となる2000本安打の達成、8月には史上42人目の300本塁打と立て続けに大記録を打ち立てられました。シーズンを通してチームの主力として活躍され、打撃タイトルこそ取れなかったものの打率.300、101打点、19本塁打と素晴らしい成績を残し、二度目のベストナインも受賞されました。そして日本シリーズには敗れたものの25年ぶりのリーグ制覇を成し遂げたチームへの貢献が認められ、セリーグのMVPに選ばれたことは冒頭に述べたとおりです。

実は新井選手という方は不器用かつ素直な性格で、まわりの人から愛されるキャラクターの持ち主のようです。通算2000本安打が目前に迫った今年の4月下旬、マツダスタジアムの試合前練習で選手・球団関係者・球場関係者までもが全員で新井選手の顔がプリントされた赤いオリジナルTシャツを着たことがあったそうです。背中には新井選手が一塁手としてエラーをしている絵が描かれ、「まさかあのアライさんが・・・・。」という文字が添えられていました。

何も知らされていなかった新井選手は全員がそのTシャツを着ていることに気づくと目を丸くされたようですが、その後大爆笑の渦となったようです。この気の利いた文言は黒田投手の発案だったようです。一見新井選手がからかわれているようにも見えますが、まわりにそんなことをさせてしまう、それでチームがひとつにまとまっていく、そんな不思議な力を持った方のようです。

若い頃は先輩から可愛がられる「いじられキャラ」だったのでしょうが、今のようなベテランでチームの先頭に立って練習するような立場になられると、これはチームメイトの敬意と愛情の表われのように思えてなりませんし、きっとチーム内での精神的な支柱のような役割も担っておられるに違いありません。それはセリーグ優勝が決まった直後、緒方監督、黒田投手に続いてチームメイトから胴上げをされたことに端的に表われていたように思われます。

まわりが敬い慕い、自然に手本としたくなるような人間の存在がチームに与えるプラスの影響は計り知れないものがあると思われます。新井選手の、率先垂範してフォア・ザ・チームに徹する姿勢はチームをひとつにまとめる際の大きな力にもなったでしょうし、監督の考えや指示がチーム内に行き渡り浸透する際の大きな手助けにもなったのではないかと思われます。監督・コーチの立場からすると、人間的に優れていて愛される人間が「フォア・ザ・チーム」に徹してくれることがどれほど大きな力となったことか、容易に想像が出来ます。まさに今季の強い広島カープの象徴だった気がしますし、それが記者の皆さんが選ぶMVPにもつながったように思えました。

我々ビジネスの世界に身を置く者にとっては、新井選手の存在は仮に50歳を超える熟年世代になっても組織の中で必要となる役割があることを教えてくれているような気がします。黒田投手が引退された後、来シーズンをチーム最年長の40歳で迎えられる新井選手には、まだまだ元気に頑張っていただきたいものです。背中を見せる現場のリーダーとしてのご活躍を皆さんとご一緒にお祈りしたいものです。

(おわり)
2016/12/13

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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