黒田博樹投手~心に刻み込まれた、永久欠番 15番【第68回】

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黒田博樹投手~心に刻み込まれた、永久欠番 15番【第68回】

2016年のプロ野球は、北海道日本ハムファイターズが日本シリーズを制し、すべての日程を終了しました。日本シリーズも名勝負でしたし、他にも印象に残るシーンがたくさんありましたが、私が最も印象に残っているのはセリーグの優勝が決まった9月10日、広島東洋カープの黒田博樹投手と新井貴浩選手が固く抱き合い涙を流したシーンでした。という訳で、今回は日本シリーズでの登板を最後に20年間の現役生活に幕を降ろした広島東洋カープの黒田博樹投手を取り上げます。

実は私は当コラムの中でこれまで三度黒田投手のことを書かせていただいています。入団からアメリカへ渡る前までのことについては、黒田投手という方は初めから大きな目標や高い目標を掲げるのではなく、自らが設定した目の前の目標の達成に全力を尽くすという考え方をされており、この考え方がずっと後まで黒田投手の生き方そのものとして貫かれていると思う旨を書かせていただきました。(第19回「耐雪梅花麗、求道の野球人(1)」) そしてアメリカへ渡られてからも、最初に入団したロサンゼルス・ドジャースでは球団から提示された4年契約を断わり、自ら3年契約に変更してもらった話、メジャーリーグに適応する為に長年日本で積み上げてきたスタイルをあえて自ら捨て去る決断をしてこられたこと等を書きました。(第20回「耐雪梅花麗、求道の野球人(2)」

2年前再び日本へ戻って来られることが決まった際には、約20億円とも言われるメジャーリーグのオファーを蹴って年俸が激減する広島カープに戻ってこられたこと、黒田投手の加入が若手投手達に目に見えない好影響を与えるに違いない、といった話を書かせていただきました。(第34回「本物のメジャーリーガー、日本へ凱旋」)こうやって振り返ると黒田投手の根本的な考え方・心根の中に我々日本人の心の琴線に触れる、古き良き時代の価値観や心情が今も脈々と流れているような気がします。理屈や合理性だけでは説明しづらい「何か」が言葉ではうまく言い表せない共感を生んでいるような気がしてなりません。

黒田投手はアメリカから戻った際にも単年の契約を結び、自らを背水の陣に追い込んでプレーをされていますが、近年FA権を獲得した選手やある程度以上の実績をあげた外国人選手とは複数年契約を結ぶケースが増えています。しかし複数年契約を獲得したことがホッと一息つかせてしまうのか、安堵感を生み出してしまうのか、サッパリ活躍できなくなってしまう選手も散見されます。ファンの立場で外から観ているだけでは何が原因なのかはわかりませんが、黒田投手と比較すると、そういう選手にはハングリーさや覚悟のようなものが欠けて見え、余計に黒田投手を引き立たせているようにも見えてしまいます。さてこうして戻って来られた黒田投手ですが、2015年3月29日の開幕第3戦・黒田投手の日本復帰初登板には、こんな手作りボードがファンによって掲げられました。
  
     私たちはずっと待っていた
     15が帰って来るこの日を・・・
     さぁ共に戦おう黒田博樹

思えばアメリカへ渡る前々年の2006年シーズンの最終戦、この年既にFA権を取得されていた黒田投手に対し、背番号15の赤いプレートを掲げたファンがライトスタンドを埋め尽くし、巨大な横断幕を掲げたことがあります。

     我々は共に闘ってきた 今までも これからも・・・
     未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら
     君の涙になってやる CARPのエース 黒田博樹

こんなにファンに愛され共感された選手は過去にもあまり例をみません。そこまで期待され広島ファンを熱狂させた黒田投手でしたが、チームとしての投打がうまくかみ合わず、采配にもちぐはぐな面が見られ、結局優勝どころか4位という結果に終わってしまった一年目でした。そして今シーズン、エースであった前田健太投手の抜けた穴を埋め合わせ、チームはシーズン途中から独走状態に入り、ぶっちぎりのリーグ優勝を成し遂げたことは皆さんご存知のとおりです。黒田投手は広島復帰後の2年間、昨年が11勝8敗・防御率2.55、今年が10勝8敗・防御率3.09という成績を残されましたが、この成績以上にチームに無形の財産を多く残していかれました。

しかし一方で、徐々に体がいうことをきかない状態にも陥っておられたようで、新井選手は黒田投手がいろんな箇所に注射を打ちながら必死に投げようとされてきた姿を間近に見てきたと証言されていますし、その度合いは段々増していたとも語っておられます。黒田投手ご自身も、気にするところが一か所なら今までもカバー出来てきたが、その箇所が増えてくるにつれて、年齢的なものも含めて自分の思っていた投球が出来なくなっていたと語っておられます。投げたいフォームで投げることが出来なくなり、ごまかしながらなんとか投げていたものが、もうごまかせないところまで来てしまったようです。

間隔をあけて投げるのなら来年も1勝、2勝なら出来るかもしれない。しかし先発投手である以上8回・9回まで投げ続けなければならない。先発完投がもはや出来なくなったからには自ら区切りをつけなければならない、これが黒田投手が引退を決意された真相のようです。先発投手としての役割に対する自負と責任感、そこには自らの職責を果たそうとすることに対するこだわり、言い換えれば美学のようなものが感じ取れる気がしました。

こうしてリーグ優勝が決まった後には、もう今シーズン限りと決意を固められたようですが、これをどの段階で発表するかということについて、かなり葛藤があったようです。ご本人は日本シリーズが全て終了してからと考えておられたようですが、チーム内で唯一引退の意志を伝えられていた新井選手が「日本シリーズの始まる前に伝えて欲しい。それによって一緒に戦う選手もファンの人たちも見方が違ってくるんです」と強く進言されたようです。

そのことが黒田投手を「自分でもどうしていいか分からん」と更に悩ませることにはなったようですが、最後は日本シリーズの始まる前に引退を発表するという異例の形での会見が行われることになりました。しかし結果的には観る者の心に強いインパクトを残してくれたという意味では、これで良かったと思えます。ただひとつだけ残念だったのは、日本シリーズ第7戦で大谷投手と投げ合う最後の勇姿を観てみたかったという思いは残っていますが・・・。

黒田投手はこの二年間、残された選手たちに貴重なアドバイスを残し、チームに掛け替えのないスピリットを植え付けていかれたように思います。広島東洋カープのオーナーである松田元氏は「彼が戻ってきて一番大きかったのは価値観を変えてくれたこと。メジャーの巨額のオファーを蹴ってまで戻ってくれる、そういう考えを持っている人がいるのか、と知らしめてくれたこと。そして自身の登板へ向けての準備も含め、選手の考え方まで変えてくれたことです」という趣旨のことを語っておられます。

特に同僚でもある選手たちに対しては、準備の重要性、試合への入り方、モチベーションの上げ方、戦う姿勢etcといった点で黒田投手の日常の行動そのものが大きな刺激と良い方向への影響を及ぼしたようです。投手陣の中には技術的なアドバイスをもらったことを公言しておられる方もいますし、今シーズン16勝3敗で最多勝のタイトルをとられた野村祐輔投手は、2年間たくさんのことを教えてもらったが、中でもいつも100%を出そうとするのではなく、その日のベストを出せばいいと言われてから気持ちが楽になったと述べておられます。きっと一流投手同士の間でこそ通じ合える何かが野村投手の大ブレークにつながったのかな、と思わせてくれます。

これだけ選手に慕われ、ファンに愛され、観る者の心にメッセージを伝えてくれる選手は滅多にいないように思います。過去の栄光、過去の実績にあぐらをかかず、今果たすべき役割・任務に全力を尽くす。その姿にまわりが感化されてしまうようです。黒田投手の存在は、上に立つ・手本となるべき人間が決して手を抜かず先頭に立って率先すること自体が、チームをまとめ、一丸となって目標へ邁進する組織づくりそのものとなることを示してくれています。多分黒田投手ご自身は、当たり前のことを当たり前のようにやり続けただけと言われるに違いありませんが、組織の上に立つ者が持つべき姿勢を見事に体現してくれているように思います。

広島東洋カープは黒田投手の背番号15番を永久欠番とすることを決定しました。永久欠番15と2016年のリーグ優勝がいつまでもリンクし、人々の記憶に永遠に刻み込まれることでしょう。黒田投手がアメリカから戻られてからの2年間、一人の選手の生き様にチーム・球団とファンが一体となって織りなす壮大なドラマを見せつけられたような気がします。しかし私のような広島ファンではない一野球ファンもこのドラマを観て共感し、幸せな気分を共有させていただいたような気がします。黒田投手の引退後の身の振り方はまだ何も発表されていませんが、どんなことをされるにしても大いにご活躍されることを祈りたいものです。20年の現役生活、ご苦労様でした。

(おわり)
2016/11/25

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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