井口資仁選手~晩年にこそ発揮する存在感【第60回】

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井口資仁選手~晩年にこそ発揮する存在感【第60回】

トレーニング技術の進化等により、プロ野球選手が現役として活躍できる期間は以前に比べて間違いなく伸びています。かつて日本のプロ野球の発展に多大な貢献をされた読売ジャイアンツの長嶋選手、王選手はそれぞれ38歳,39歳で現役を退かれましたが、今は40歳を超える現役選手も珍しいものではなくなっています。40歳超まで現役を続けられるということは、その年齢になるまで一定以上のパフォーマンスを維持できていることの証拠でもあり、ほぼ間違いなく名選手と謳われるレベルの選手ばかりです。しかしそうした選手達にも現役を引退する日は間違いなくやってきます。昨シーズン(2015年)をもって現役を引退された40歳超の選手は、最年長の50歳で現役引退を決意された中日ドラゴンズの山本昌投手をはじめ、ざっと数えても10人以上おられました。

それだけ多くの選手が一気に引退されましたので、今シーズン(2016年)の開幕時点で40歳を超えていた選手は全12球団で合計8名と一気に少なくなっています。更にこの8名の選手の中にはコーチを兼任されていたり、その他の様々な理由もあってまだ1試合も出場されていない選手も数名おられますので、一軍選手として一定以上の試合数をこなしているのは、わずか3名しかおられません。即ち広島東洋カープの黒田博樹投手、東北楽天ゴールデンイーグルスの松井稼頭央選手、千葉ロッテマリーンズの井口資仁選手の3名です。今回はこの3名の選手の中から井口資仁選手を取りあげたいと思います。

井口資仁(タダヒト・本名は同じ読みで忠仁)選手は1974年12月生まれの41歳・東京都西東京市(旧田無市)出身で、国学院大学久我山高校・青山学院大学を経て1996年秋のドラフトで福岡ダイエーホークスから1位指名を受け、プロ野球選手としてのキャリアをスタートさせておられます。入団1年目の5月の連休中に一軍でのデビューを果たされましたが、そのデビュー戦でプロ野球史上初となる初本塁打が満塁本塁打という衝撃的な第一歩を踏み出されています。そして2年目の1998年には全試合出場も果たされています。更に3年目には優勝争いの中で三度のサヨナラ安打を記録したり、最終盤9月の西武ライオンズ戦で満塁本塁打、マジック1で迎えた日本ハムファイターズ戦で決勝本塁打を放つなど、勝負強さを遺憾なく発揮され、福岡ダイエーホークス初のリーグ優勝、更には日本シリーズ制覇にも貢献されました。

ただ一方で入団から3年間のシーズン通算打率は、.203、.221、.224というものであり、まだまだ確実性に乏しい発展途上のものであったことも事実のようです。入団4年目の2000年には左肩負傷で、シーズン中に手術を行なったこともあり出場試合数が大幅に減ってしまいました。日本シリーズで戦列に復帰されましたが、高校時代から守り続け、かつこだわりを持っていた遊撃手のレギュラーの座を他の選手に奪われ、この時以来二塁手にコンバートされました。余談ですが、この時に登録名を本名の「井口忠仁」から「井口資仁」に変更されたようです。

ただ登録名を変更された翌年から成績は高いレベルで安定するようになり、2001年は打率こそ.261に終わりましたが、史上3人目の30本塁打、40盗塁を達成し、44盗塁で盗塁王のタイトルを獲得すると共にベストナイン、ゴールデンクラブ賞も受賞されました。そして福岡ダイエーホークスでの最後の2年となった2003年、2004年には打率も3割を大きく超える打撃成績を残されるまでになりました。即ち2003年には打率.340(リーグ4位)、27本塁打(リーグ12位)、109打点(リーグ5位)、2年ぶりの盗塁王(42盗塁)に輝き、二度目のベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞しておられます。そして2004年もリーグ4位となる打率.333のハイアベレージを残され、まさにリーグを代表する強打者のお一人としての地位を確かなものとされました。そして2004年のシーズン終了後、前年の契約更改の際に取り交わした覚書によって自ら自由契約を選択し、メジャーリーグ挑戦を決意されましたが、自らのキャリアの中で最も輝いていたピークの時期でのメジャー挑戦であったように思われます。

メジャーリーグには2005~2008年の4シーズン、シカゴ・ホワイトソックス、フィラデルフィア・フィリーズ、サンディエゴ・パドレスの3チームに在籍されました。4年目の2008年こそ故障者リスト入りで出場試合数が減りましたが、それでも4年間トータルで493試合出場、打率.268、44本塁打、205打点、48盗塁という結果を残しておられます。特に最初に所属されたシカゴ・ホワイトソックスでは、チームのスタイルであったスモール・ベースボールの牽引者の一人として、移籍1年目の2005年にはリーグ優勝・ワールドシリーズ制覇にも大きな貢献をし、両リーグから選ばれる新人ベストナインに二塁手部門で選出されています。

ただご本人は2番バッターとして自己犠牲を強いられる役割に不満もあったようですが、当時チームを率いたオジー・ギーエン監督の「今シーズンのMVPは井口だ。井口みたいに野球を深く理解している選手はいない。彼がいたからホワイトソックスはワールドシリーズを制覇出来た」という言葉で納得できた、とも伝えられています。日本人の野手のメジャーリーガーのうち、外野手ではイチロー選手や松井選手をはじめ成功した方もかなりおられますが、内野手がメジャーで成功するのは至難の業と言われています。そうした中で期間は比較的短かったですが、チームの主力の一人として活躍された井口選手は立派に存在感を発揮されたのではないかと思われます。

そして複数のメジャーリーグチームから三塁手としてのオファーがあったのを蹴り、家族の家庭環境と二塁手としてのオファーを優先して2009年から再び日本へ戻り、千葉ロッテマリーンズへの入団を決められました。今シーズンが日本へ戻って8年目となりますが、当初の5年間はチームの大黒柱のお一人として高いパフォーマンスを発揮されていましたが、ここ2年は出場試合数も以前に比べるとかなり減ってきています。今シーズンも5月末日時点でチームは52試合を消化していますが、井口選手の出場は半分強の27試合にとどまっています。

ただ得点圏打率.455、長打率.534は共にチーム1位の数値であり、少ない試合数ながら24打点はチーム2位の成績となっています。(ちなみに打率.310もチーム2位の成績です)この成績からは、ここぞのチャンスでしっかり長打を打ってランナーをかえして打点をあげる、勝負強い頼れるバッター像が浮かび上がってきます。まさにチームにとって無くてはならない強烈な存在感を発揮しているのが今の井口選手と言って差支えなさそうです。

実は井口選手がこの年齢になってもこれだけの存在感を発揮できるのは、裏付けとなるトレーニングと野球に取り組む姿勢にあるように思えてなりません。毎年1月に沖縄でやっておられる自主トレーニングで、一緒に練習する若手選手と同じメニューをこなし、徹底的に体をイジメ抜いて一年間を乗り切る体力のベースを創られているようです。そしてこのトレーニングについて井口選手はこんなことを言っておられます。「いろいろな意味で自分は見本とならなければいけないと思っています。ランニングひとつとっても、俺がすることで若手はもっとしなけりゃ、と思ってくれる。そういう姿勢を見せる事こそが大事だと思っていますし、そういう意味でもしっかり動けるように準備することが大切なんです」。

更に「若い選手たちは自分の背中を見ています。それを誰よりもわかっているからこそ、日ごろの鍛錬を怠ってはダメだと思っています。妥協を許さず何事にも全力で取り組む。それは自分が若い頃に感じた教訓でもあるんです」。井口選手は若い頃、ベテランで動けない人、動かない人を身近に見てこられたようです。自分が同じぐらいの歳になった時、そんな姿は絶対に見せたくないとずっと思ってこられたそうです。「ベテランだからとあぐらをかくつもりは毛頭ありません。ベテランだからこそ率先して練習しなけりゃと思っています。その姿勢が若い選手を引っ張ることになるし、チームの底上げにもなるんだと信じています」。

一番輝いていたピークの時期を少し過ぎた年長者、ベテランが組織の中でどう振る舞いどう行動していくべきか、井口選手の言葉が見事に示してくれているように思われます。企業社会で言えば役職定年を迎えた、かつての部長職・課長職の方たちの身の処し方を示してくれているとでも言ったらいいのでしょうか。

交流戦の始まる直前、千葉ロッテマリーンズは本拠地に福岡ソフトバンクホークスを迎え、前半戦の天王山とも言える三連戦を戦いましたが、残念ながら3連敗を喫しソフトバンクの背中がだいぶ遠くなってしまいました。しかし残り試合の方がはるかに多いのですから、パリーグのこれからの戦いを少しでも面白くしていけるよう千葉ロッテマリーンズには頑張ってもらいたいと思いますし、そんな中で井口選手にはこれまでにも増して存在感を発揮し続けていただきたいと思っています。今シーズンの最後まで井口選手の益々のご活躍をお祈りしたいものです。

(おわり)
2016/06/07

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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