杉村繁コーチ~益々輝きを増す、プロ打撃コーチ【第54回】

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杉村繁コーチ~益々輝きを増す、プロ打撃コーチ【第54回】

皆さんは元東京ヤクルトスワローズ・現メジャーリーガーの青木宣親選手、元横浜ベイスターズ・現福岡ソフトバンクホークスの内川聖一選手、現東京ヤクルトスワローズの山田哲人選手、これらプロ野球を代表する三人の名選手の飛躍のきっかけの裏に一人のコーチが存在していたことをご存知でしょうか。今回はその名コーチ・東京ヤクルトスワローズの杉村繁打撃コーチを取り上げます。

そもそも杉村コーチがどのような方なのかご存知ない方もたくさんおられると思いますので、簡単に杉村コーチのご紹介をさせていただきます。杉村コーチは1957年(昭和32年)7月生まれ・高知県のご出身で、高知高等学校時代には小柄な体格ながらもスラッガーとして活躍し、1歳年下の東海大相模高校の原辰徳選手(前読売ジャイアンツ監督)とは、「西の杉村・東の原」と並び称される程の名選手でした。

そして1975年秋のドラフトでヤクルトスワローズに1位指名され入団。しかしプロでは伸び悩み、11年間の現役生活で通算147安打、46打点、4本塁打という成績で引退されています。引退後は球団広報などのフロント業務を長く務めた後、2000年に若松監督のもとで打撃コーチ補佐として抜擢・起用され、その後に続くコーチ稼業の第一歩を記されています。

杉村コーチは2000~2007年に東京ヤクルトスワローズで、2008~2011には横浜ベイスターズで、2013年からは再び東京ヤクルトスワローズに復帰し、いずれも一軍ないしは二軍で打撃コーチを務めておられます。そして最初のヤクルト時代に出会った選手が青木選手、横浜時代に出会ったのが内川選手でした。2005年、まだ入団2年目で当時一軍経験もほとんどなかった青木選手がその年シーズン200安打(イチロー選手に続く史上2人目)を達成し大ブレーク(首位打者も獲得)、2008年まだレギュラーに定着できなかった内川選手が右打者史上最高打率.378の記録を打ち立て首位打者を獲得、この二人の飛躍への努力をコーチとして支えたのが杉村コーチでした。通常2時から始まる練習の前に12時から早出、そこで前日のゲームで崩されたフォームを修正して、その後チームとしての練習に入る、これに杉村コーチもとことん付き合ったようです。

当時のことを杉村コーチは「コーチングのベースは愛情です。信頼しお互いに尊敬しなければ何も始まらない。僕は現役引退後広報の仕事を10年やったから選手の気持ちもよく分かったので、選手の立場になってきちんと納得させた上で練習をし、気持ちよくグランドに送り出してやることを常に心掛けていました」と述べておられます。そして指導を受けた青木選手は「杉村コーチの信念は選手を信じること」だと断言し、更に「結果が出なくても長い目で見てくれるコーチなので当時の僕には本当にありがたかった。頭ごなしに言うのではなく、こっちが感じていることを分かろうと大事にしてくれる。信じてくれるからこっちもやる気になるし、長所を伸ばすことが出来た。今思えば、休日返上でやってきたあの早出練習こそが自分の礎になっていると思います」と述べておられます。

もう一人の内川選手は「自分が感じていることを何でも伝えることが出来て本当に助かりました。引き出しをたくさん開いてくれたし、自分が変わりたいと思っていた時にスギさんに出会えたのは運命でした」と述懐しておられます。

杉村コーチは指導経験を積み重ねる中で打撃コーチとしての腕を更に磨き、コーチとしてのノウハウも更に増やしておられるようです。2013年に東京ヤクルトスワローズに復帰されてから、杉村コーチの打撃指導の中ではティーバッティングが大きなウェイトを占めているようです。

斜め前からトスされたボールを降り抜く基本的なティーバッティングはどこの球団でも行われていますが、杉村コーチの指導するティーバッティングは基本形を含めて11種類のタイプがあり、状況・目的に合わせて使い分けがなされています。

即ち低め・高めの打ち方、インサイドの打ち方、変化球の打ち方、フォークボールの打ち方、インパクトを強くする打ち方etc、これらを体の前でバットを袈裟斬りのようにクロスさせてから打つティーバッティング、ワンバウンドを打つティーバッティング、真横からトスされたボールを打つティーバッティング、一歩二歩三歩と前に歩きながら打つティーバッティング等々、選手一人一人が取り組むべき課題に合わせた方法が使われているようです。

今や東京ヤクルトスワローズの顔となった山田選手ですが、ドラフト1位で入団も当初の3年間は4本塁打、110安打の成長途上でしたが、昨年(2014年)打率.324、29本塁打、193安打と大ブレークしました。このブレークの裏では杉村コーチと取り組んだティーバッティングで、力の入るポイントで打てるようになったことで長打力が増え、どちらかと言うと引っ張り中心でアウトコースを苦手としていたのが、インパクトの瞬間にボールに対して正しく力が伝わる押し込む感覚を身につけたことでアウトコースの打率をアップさせ、追い込まれてアウトコース狙いの時にインコースに投げられたボールにパッとバットが出せるようになったりと、ティーバッティングの効用には計り知れないものがあったようです。

それが今年(2015年)は更に進化し、打率.329、38本塁打、34盗塁でトリプルスリーを達成し、本塁打王、盗塁王のタイトルを獲得した上に、セリーグのMVPの栄誉も手にされています。山田選手の他にも東京ヤクルトスワローズでは、杉村コーチのティーバッティングを中心とした打撃指導で川端慎吾選手が首位打者、畠山和洋選手が打点王に輝くなど、素晴らしい実績が重ねられています。

こうして見てみると、杉村コーチが打撃コーチとしていかに優れた方であるかが見てとれます。しかもこの方は、長年の経験を積み重ねる中で自らの創意と工夫で自らのコーチとしての価値を高めてこられたように思われます。東京ヤクルトスワローズの現役選手である山田選手・川端選手・畠山選手が自らのコーチを賞賛するのは、コーチと選手という縦の関係を考えれば当然かもしれませんが、もう縦の関係ではなくなって何年もたつ青木選手・内川選手が今でも「自分の今日があるのは杉村コーチのおかげ」と発言しておられます。

それに対して杉村コーチは「あの二人がスギさんのおかげと言ってくれるのは有り難いけど別にオレは何もしていないよ。全部彼らが自らやったこと。地道に細かいことを継続してやり続けた結果だよ。ただ彼らが打ち立てた大記録(青木選手の200本安打、内川選手の右打者史上最高打率)に一緒になって挑戦できたというのはコーチ冥利に尽きるよ。だから彼らにはこっちこそ感謝しているんですよ」と謙虚に話されています。こんなに自らの役割に徹し切り、しかも成果を出してくれるコーチがいてくれたら、監督にとってはどんなに頼もしいことでしょうか。私の目には杉村コーチこそ、打撃コーチとしてのプロ中のプロ、飛びっきり腕の立つ名職人のように映ります。

青木・内川・山田・川端・畠山と続いた『杉村の弟子・タイトルホルダー列伝』に第6・第7の選手が続くなら、打つことに関しての東京ヤクルトスワローズの優位は当面ゆるがないのかもしれません。来シーズン以降のチームへの更なる貢献をお祈りしたいものです。

(おわり)
2015/12/15

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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