川上哲治監督~プロ野球の歴史を作った伝説の名監督(1)【第51回】

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川上哲治監督~プロ野球の歴史を作った伝説の名監督(1)【第51回】

2015年のペナントレースはセリーグが東京ヤクルトスワローズ、パリーグが福岡ソフトバンクホークスの優勝で幕を閉じました。セリーグでは昨年まで読売ジャイアンツが3連覇中でしたが、惜しくも4連覇はなりませんでした。これまで日本のプロ野球史上3連覇以上の連覇を成し遂げたチームは、パリーグには南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)、西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)、阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)、西武ライオンズと4チームありますが、セリーグは読売ジャイアンツ1チームだけです。中でも読売ジャイアンツには1965年から1973年までの9連覇という記録があり、日本のプロ野球史上に燦然と輝く大記録として人々の記憶に深く刻まれています。今回はこの9連覇を成し遂げた時にチームを率いておられた川上哲治監督を取りあげてみたいと思います。

川上監督は1920年(大正9年)3月生まれ、熊本県のご出身で既に2013年10月に93歳でお亡くなりになっておられます。熊本県立工業学校から1938年(昭和13年)に東京巨人軍(後の読売ジャイアンツ)に入団され、戦争への応召で一時期ブランクがありますが、1958年(昭和33年)の引退まで1塁手(当初4年間は投手も兼務)として実質18年間の現役生活を送られました。戦時中から戦後の日本プロ野球界を代表する強打者で、その卓越したバッティング技術から「打撃の神様」との異名も取っておられました。現役時代は数々のタイトルを獲得され名選手との誉れを欲しいままにされていましたが、そんなことよりひとつ記しておきたいことがあります。

1951年に招待を受けてサンフランシスコ・シールズというチームのスプリングトレーニングに参加する機会を得ておられますが、そこでアメリカではチームの監督が絶大な権力を持っており、選手は監督に従うことが当たり前という光景を目の当たりにされたようです。日本のプロ野球では当時「選手は監督と対等」と考え方が一般的だったようで、後にご自身が監督を務められた際に、この時のご経験が大きな影響を与えたように見受けられます。

1958年(昭和33年)の日本シリーズ(巨人が3連勝の後、4連敗した伝説の日本シリーズ)の第7戦終了後に現役引退を表明され、コーチに就任されました。そして2年後、1961年(昭和36年)より読売ジャイアンツの第8代監督に就任されました。監督としては1974年(昭和49年)まで14年間指揮をとられ、Aクラス13回、Bクラス1回、優勝11回(リーグ優勝した上ですべて日本シリーズも制覇)、1965年から1973年にかけて9連覇(いわゆるV9)という歴史に残る偉業を成し遂げておられます。

それでは川上監督はどんな方針のもとで、どんなチームづくりをされ、どんな組織運営をされたのか、を振り返ってみたいと思います。

川上監督は就任直後、米国大リーグのロサンゼルス・ドジャースが比較的乏しいと思われる戦力を駆使しながら毎年優勝争いをしている点に注目し、ドジャースコーチであるアル・キャンパニス氏という方が書かれた「ドジャースの戦法」を教科書に、米国のベロビーチで実施された春季キャンプからその実践に入られています。個々の投手力、個々の打者の力量に頼るのではなく、走塁、サインプレー、守備のカバーリング等も含めたチームプレーの徹底が図られます。

そして守りの面では、投手・捕手・遊撃手・二塁手・中堅手というセンターラインを固め、攻撃の面では1番に足の速い選手を置き、2番にはバントやエンドランなど細かいプレーが出来る野球巧者を、3番にはチームで最も出塁率の高いバッターを、4番には長打力のある主砲を置くという、まさにV9時代のオーダーが目に浮かぶような形へ徐々に整えていかれます。当時の主力捕手であった森祇晶(当時は昌彦)氏は、このチームプレーを理解できた者だけが、その後も生き残ったと述懐しておられますが、今に至る日本の野球のひとつの特徴である「スモールベースボール」の原点が、川上監督が実践されたドジャース戦法にあったことが見て取れます。

当時日本ではまだ珍しかった新しい戦法・戦い方を日本球界に持ち込まれた川上監督ですが、一緒に戦った選手・コーチの何人もの方が川上監督の野球に対する厳しさ、勝利への執念について語っておられます。勝つという目的の為には、選手に対して監督・コーチへの絶対的とも思える服従を要求されたようですし、チーム内には容赦なく緊張感を漂わせるような運営がなされていたようです。

レギュラーを獲ったと思われる選手のポジションにも有望な新人を獲得したり、他球団から力のある選手を補強し、決して選手を安住させなかったようです。特に森捕手のポジションには、これでもか、というぐらい選手の補強がなされたようですが、森捕手はそのすべてをはね返し、V9時代を通じて不動の捕手としての地位を確立されます。それが「捕手のサインでみんなが動く野球」として結実し、王者としての組織の確立につながったことを考えると、川上監督の組織運営には凄みのようなものさえ感じさせてくれます。

(第52回につづく)

筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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