里崎智也選手~存在感を示し続けた男の旅立ち【第32回】

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里崎智也選手~存在感を示し続けた男の旅立ち【第32回】

プロ野球の世界では毎年ドラフト制度を通じて新人選手が入団する一方で、引退や戦力外通告によって各球団とも平均して2割ないし3割の選手の入れ替えが行なわれています。2014年シーズンを終えて12球団トータルで110数名の選手が戦力外通告を受けましたが、ほんのわずかではあるものの球団の功労者として引退試合によってファンから温かい拍手で送り出してもらえる幸せな選手もいます。今回はそうした幸せな引退選手のお一人である千葉ロッテマリーンズの里崎智也選手を取り上げてみたいと思います。

里崎選手は1976年5月生まれの38歳、鳴門市立鳴門工業高校・帝京大学を経て1998年秋に、当時は存在した逆指名制度を使ってドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団されています。強肩強打の捕手として日本一に貢献され、王貞治監督が率いた2006年の第1回WBC(ワールド・べースボール・クラシック)では日本代表チームの正捕手として世界一にも貢献するなど、日本を代表する捕手のお一人として活躍されました。

今回里崎選手のことを書く為に色々調べてみたところ、正直「アレッ?」という印象を持ってしまいました。ロッテ一筋で16年間の現役生活を終えられたというキャリアの割には出場試合数が思ったより少ないのです。出場試合数が少ない分、生涯記録として残された安打数も本塁打数も私が思っていた数よりもだいぶ少な目でした。(ちなみに里崎選手の生涯記録として1089試合出場、890安打、108本塁打という記録が残っています)

ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を2度受賞、2006年のWBCでもベストナインに選出されるといった栄誉を受けてはおられますが、16年間のプロ生活で残された記録だけの比較なら同じ捕手部門でももっと優れた選手はおられるのかもしれません。しかし我々、少なくとも私にこれだけ強い印象を残してくれているというのは、守備の面でも攻撃の面でも、ここぞという場面でいかに強いインパクトを残すプレーをしてこられたかということの表われのような気がします。どなたかが雑誌の中のインタビューで里崎選手のことを「数字よりも存在感の選手」という表現をされていましたが、まさにこの表現がピタッとはまるような選手であったのだと思われます。

里崎選手は自らを気分のムラが激しいタイプと自己分析されています。集中している時には誰も手がつけられないような状態にもなる半面、集中できていない時は「おいどうしたんだよ、もうちょっとやる気出せよ」と思われるようなタイプだったとのことです。そして自分自身で一番印象に残っているゲームは? との質問に、2005年のプレイオフ第2ステージの第5戦で当時ソフトバンクの抑えであった馬原投手から打った逆転の2点タイムリー決勝打をあげておられます。この年千葉ロッテはレギュラーシーズンを2位で終え、プレイオフの第1ステージで西武を2連勝で下して第2ステージでソフトバンクと対戦しています。

2勝2敗で迎えた最終の第5戦、7回を終えたところで1対2のビハインド。里崎選手はこのシリーズ、第1戦で現読売ジャイアンツの杉内投手からホームランを打ち、第4戦では現メジャーリーガーの和田投手からもホームランを打っています。

打った球は両方ともスライダー。この第5戦ではこの打席の前まで真っすぐ系のボールに凡打を繰り返していたようです。次のバッターは強打者のベニー選手。キャッチャーは次までは回したくないと思っていたはずで、場面は1アウト・ランナー1塁2塁、里崎選手は99%インコースの真っすぐが来ると読んでおられたようです。パワーピッチングを得意とする馬原投手ならインコース真っすぐで併殺狙いと考えるはずで、しかも早く終わらせたい場面でもあり、初球から来ると思って待っていたそうです。

里崎選手は自分がキャッチャーでも同じように考えたはずだとも述べておられます。そして初球、真中低めに入ってきた直球をものの見事に打ち返す左中間フェンス直撃の二塁打で1塁ランナーも迎え入れ、この試合3対2で千葉ロッテの勝ちとなり、日本シリーズへの進出を決めたのでした。(ちなみに日本シリーズは4勝0敗で阪神タイガースを下し、31年ぶりの日本一となっています)

里崎選手はキャッチャーには二つのタイプがあると述べておられます。ひとつは、データに従ってミーティングで決めた通りにやるタイプ、もうひとつは自分の感性を重視するタイプだそうです。

最初のデータを重視するタイプは、ピンチになればなる程データ通り攻めてくるものだそうです。それは打たれた時に「なんでミーティングで決めた通りにやらないんだ」と怒られるのを嫌がるからだそうです。逆にバッターからすると、自分はこういう風に分析されているんだということがわかっていればヤマを張りやすくなるとのことです。

里崎選手は感性派のキャッチャーだったようで、怒られても何とも思わないタイプゆえ、自分の考えを貫くリードをし続けてこられたようです。又キャッチャーとしてマスク越しに残りの8人を見守っているうちに自然とチーム全体のことを考えるようになっていったようですが、リードの基本はチームを勝たせることを第一義とし、その為に投手の良いところを引き出す配球を常に心掛けてきたとのことです。結果的に投手に勝ちがつき、チームも白星を手にできる。そこにキャッチャーとして貢献できることこそが捕手冥利だったようです。

2014年9月28日のオリックス戦が里崎選手の引退試合として行なわれましたが、本拠地のQVCマリンフィールドは観客30076人の大観衆で埋め尽くされました。当日は自由席も含めて前売りは完売だったようです。里崎選手は1番DHで出場し2打席連続三振で途中交代という結果でしたが、試合後の引退セレモニーでライトスタンドからの大量の紙吹雪が舞う中をファンとの最後の別れの交流が行なわれましたが、この選手がいかにファンに愛され、インパクトを与えた選手であったかを伺わせるようなシーンでした。

里崎選手は「今後も野球に携わっていかれる予定ですか」との質問に、呼んでいただけるところがあれば色々チャレンジしたいと思っています、と答えておられます。いつの日かご自身と同じような勝負強い存在感のある選手を育てて欲しいものだなと思います。数字だけではない存在感の大きさでインパクトを与えてくれた里崎選手のこれからのご活躍をお祈りしたいと思います。

(おわり)
2014/12/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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