秋山幸二監督~控えめだが華のある、男の引き際【第31回】

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秋山幸二監督~控えめだが華のある、男の引き際【第31回】

今年のプロ野球は、日本シリーズにおいて福岡ソフトバンクホークスが阪神タイガースを4勝1敗で下して全日程を終了しました。ぶ厚い戦力が最後にきちんと機能した、まさにチーム一丸で勝ちとった日本一であったように思いますが、クライマックスシリーズの直前に今季限りでの勇退を表明された秋山幸二監督の手腕も大きな要素であったように思われます。ということで今回は、先般退任された福岡ソフトバンクホークス前監督の秋山幸二氏を取り上げてみたいと思います。

秋山幸二氏は1962年(昭和37年)生まれ・熊本県出身で、熊本県立八代高等学校を卒業後ドラフト外で西武ライオンズに入団されています。その身体能力はプロ野球選手の中でも群を抜くレベルにあったようで、入団当時のコーチであった伊原春樹氏は、あの体の大きさであれだけの身体能力を持った選手は後にも先にも見たことがない、と言われたそうです。

入団当初はチームの育成方針で2年目から3年目にかけてアメリカのマイナーリーグへ3度にわたる野球留学を経験され、現地の1A球団でプレーをされる等で、1軍での実績はほとんど残っていませんが、4年目の1984年から1軍に定着され、西武ライオンズ黄金時代の主力選手として華々しい活躍をされています。西武時代にはホームラン王と盗塁王のタイトルを獲っておられますが、この両方のタイトルを獲ったのはセリーグ・パリーグの2リーグ分裂以降では秋山選手唯一人です。

1994年からは当時の福岡ダイエーホークスにトレードで移籍されましたが、西武時代からダイエー時代にかけて、ゴールデングラブ賞に11回、ベストナインに8回選出される等、まさにリーグを代表するプレーヤーとしての地位を不動のものとされています。又特筆すべきは1985年から引退された2002年まで、18年連続でオールスターゲームにファン投票で選出されており、いかにファンに愛され続ける魅力あふれるプレーヤーであったかが偲ばれます。

秋山選手は黄金時代の西武ライオンズから、当時は弱小球団だった福岡ダイエーホークスへ移籍された訳ですが、移籍後ご自身の成績は少し落ちていますが、そのことよりも万年Bクラスだったホークスの牽引者としてチームを引っ張っていかれました。移籍当初ホークスの選手達に「勝ちたい」という意識が希薄であることに愕然とされたり、チーム内の緊張感の無さは信じ難いものだった、と後に述べておられます。

しかしそうした秋山選手の背中を見て小久保裕紀選手が育ち、更に後を追うように松中信彦選手、城島健司選手、斉藤和巳選手、井口資仁選手など、後の強豪ホークスを支える選手たちが育っていっています。まさに現在の王者・福岡ソフトバンクホークスの骨格と土台を作り上げる時期に果たされた秋山選手の役割は大きかったことが見てとれます。

小久保裕紀氏は尊敬する野球人の一人として秋山幸二氏を挙げておられますが、その印象をこう述べておられます。「常に高いプロ意識を持っておられ、出来ないのは選手が悪い、プロなら出来てあたり前だという考え方をしておられた。人間なんだから少しぐらいのミスはあるさ、といった妥協の姿勢は一切ない上、決して言い訳をされなかった。その姿勢と意識の高さを学ばせてもらった」と述べておられます。

2002年の8月に現役引退を表明され、引退試合が10/5に西武ドームで、翌日の10/6に福岡ドームで2回行なわれています。そして西武ドームの試合後には西武の選手たちから、10/6の福岡ドームではダイエーの選手たちから胴上げをされていますが、背中を見せてチームを引っ張り精神的な支えでもあり続けた秋山選手に対する、選手たちからの惜別と感謝の胴上げであったのかという気がします。

現役引退後は2年間の解説者生活を経て、2005年からダイエー後身のソフトバンクの二軍監督を2年間、2007年から一軍の野手総合コーチを経て、2009年から監督に就任されています。今年までの6年間の監督生活でAクラス5回、Bクラス1回、リーグ優勝3回、うち2回は日本一と見事な成績をあげられています。

結果的に最後の年となった2014年も、戦前の予想ではぶ厚い戦力から圧倒的な優勝候補との呼び声が高かったですが、結果的にはリーグ戦は最終戦の延長10回サヨナラ勝ちによるリーグ優勝、クライマックスシリーズは第6戦までもつれてアドバンテージの1勝を加えて4勝3敗での辛勝という結果でした。

シーズンの最終盤、リーグ優勝を決める直前の10試合を1勝9敗という極度の不振に陥っていましたが、それでもここ一番の試合では負けておらず、秋山監督の統率力の高さが示された形となりました。特にリーグ戦最終戦、クライマックスシリーズ、日本シリーズにおいては、ケガでシーズン後半からの復帰となり、年間通じて3勝ずつしかあげていない大隣憲司投手、武田翔太投手をローテーションの軸に据え、見事にチームを復活の軌道に乗せられました。特に大隣憲司投手の奮闘ぶりは素晴らしく、まさに獅子奮迅の活躍でした。

秋山監督最後の年となった2014年シーズンにおいては、投手部門では他球団からの移籍選手の活躍が目立ちますが、野手部門では生え抜きの若手選手がチームの主力として活躍されています。即ち柳田悠岐選手、中村晃選手、今宮健太選手らであり、30歳前後の中堅となられた選手の中にも松田宣浩選手、本多雄一選手、長谷川勇也選手ら、まさにチームの要となっておられる選手が活躍されました。

ある選手は、「自分の今日あるは秋山監督が我慢して使い続けてくれたお陰であり、どんなに感謝してもしきれない」と述べておられますが、二軍監督や野手総合コーチも経験されたことから、選手の育成についても確固たる信念を持っておられることがうかがわれます。

本来ならこれだけの実績を積まれた監督が辞める理由はどこにもありません。二軍監督、コーチ、監督という指導者としての立場で10年たった為、自ら区切りをつけたいというのが退任理由、と自ら語られました。メディアに報じられたところによると、3年前から体調を崩しておられる奥様の存在も大きな引き金になったとのことでした。

言葉で自らの考えを饒舌に語るタイプの方ではなく、プレーや采配を通じて自らの考え・信念を行動で示してきた秋山監督らしい、見事な引き際だなと強く感じました。いつまでもファンの記憶に鮮明に残り続ける名選手・名監督であったなと思います。今後どういう活動をしていかれるのかは知りませんが、なお一層のご活躍をお祈りしたいと思います。

(おわり)
2014/11/25

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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