稲葉篤紀選手~真摯な野球人、次ステップへ羽ばたく!【第27回】

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稲葉篤紀選手~真摯な野球人、次ステップへ羽ばたく!【第27回】

今年のプロ野球も大詰めが近づいています。この原稿がアップされる9月下旬には、セリーグ、パリーグとも優勝チームが決まっているかもしれませんし、話題の中心はクライマックスシリーズに移っているのかもしれませんが、そんな中で今回は、先日今シーズン限りでの引退を表明された一人の選手を記してみたいと思います。その選手の名は、北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀選手です。

稲葉選手は1972年8月生まれの42歳、愛知県の中京高校から法政大学に進まれ、1994年秋にドラフト3位でヤクルトスワローズの指名を受け入団されています。当時ヤクルトスワローズは野村監督の時代でしたが、稲葉選手の指名には逸話が残されています。当時野村監督の息子さんである野村克則氏が明治大学に在籍しており、息子の試合を観に行った野村監督の目に、対戦相手である法政の稲葉選手のプレーが目に止まったことがきっかけだったようです。

ヤクルトスワローズでは、1年目の6月に広島カープとの試合でデビューし、初打席が本塁打という離れ技を演じておられます。2年目の1995年からは中軸を打ち、守備力でもチームの優勝に貢献しておられます。そして2001年には25本塁打、自己最多の90打点をあげ、自身初のセリーグ・ベストナインにも選出され、若松監督のもとでのヤクルトスワローズ日本シリーズ制覇にも貢献されるなど、まさにヤクルトスワローズの中心選手としての地位を確かなものとされています。

ただ一方、この前後はケガに苦しめられた時期でもあり、1998年~2000年の3年間と2003年は出場試合数が100にも満たない状態で、ご本人にとっても不本意な時期であったと思われます。

そして2004年シーズンオフにFA宣言をしてメジャーリーグ移籍を希望されましたが、オファーがなく、2005年2月に北海道日本ハムファイターズと契約を結び入団しておられます。日本ハムへの移籍後は常にチームの主軸として活躍されていますが、特に日本ハム移籍2年目の2006年には、一軍打撃コーチであった淡口憲治コーチの下で長打力強化に取り組まれた結果、この年打率.307、26本塁打、75打点でチームのリーグ優勝と日本シリーズ制覇に大きな貢献をされました。プレーオフでは当時ソフトバンクのエースであった斉藤和巳投手から優勝を決めるサヨナラタイムリーを打ち、日本シリーズではMVPに輝くなど、無類の勝負強さを遺憾なく発揮しておられます。

そしてこの年、2001年以来二度目のベストナインに選ばれ、守備でも初のゴールデングラブ賞を受賞されました。このベストナインとゴールデングラブ賞については、この年以降2009年まで4年連続で受賞されており、併せて2007年には首位打者と最多安打のタイトルも獲得される等、まさにパリーグを代表する選手のお一人として、円熟の境地に達しておられます。

併せてこの頃からチームでの活躍のみならず、2008年北京オリンピックの日本代表、2009年の第2回WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)、2013年の第3回WBCの日本代表と日本のプロ野球を代表する活動にも一員として加わる等、日本のプロ野球界全体の中心選手のお一人としての立場を確かなものとされています。

9月2日の引退会見で自らが自慢できると思うと語っておられますが、稲葉選手はプロ生活20年で5人の監督に仕え、この5人の監督(ヤクルト時代の野村監督、若松監督、日本ハム時代のヒルマン監督、梨田監督、栗山監督)のすべてを胴上げされています。この事実をもってスポーツメディアは稲葉選手を優勝請負人と呼んで賛辞を送っていますが、これは単なる偶然ではなく、中心選手としてチームをまとめ、選手の精神的支柱としてチームに貢献された稲葉選手に対する最大の賛辞のように思えてなりません。

引退会見の中で稲葉選手は1995年ヤクルト入団時の恩師である野村克也監督に「野球をゼロから教えてもらった」と感謝の言葉を述べておられますが、その野村克也氏は会見翌日の新聞紙上に「稲葉以上に努力する男を私は知らない。ヤクルト入団後に外野手に転向したので、午前中から真夜中まで神宮にいた。当時神宮室内練習場の三羽烏といえば稲葉、宮本、真中の3人。まるで修行僧のようだった。ゴールデングラブ賞を何度も獲得し、2000本安打も打った、これは努力の賜物以外の何ものでもない。正しい努力を知っている稲葉に期待したいのは人を育てること。ぜひ監督として稲葉野球を見せて欲しい。私を胴上げしてくれた教え子が、今度は胴上げされる姿を見てみたい」と述べておられますが、この稲葉選手の姿勢がチームメートのみならず、他球団の選手やファンの心の中にまで何かを響かせているような気がしてなりません。

稲葉選手の代名詞ともなっている全力疾走。イニングの交代時、ベンチと外野の守備位置の間を全力疾走する稲葉選手の姿には何か言い知れぬ格好良さを感じてしまいます。球場に集まるファンの人たちのそうした思いが、得点圏にランナーを置いた稲葉選手の打席で起こる「稲葉ジャンプ」となって表現されているのではないでしょうか。

稲葉選手は引退会見の中で「悔いは全くないです」とキッパリ言い切り、すがすがしい笑顔でした。まさにこの会見が次のステップへの始まりであったように思われますし、やり遂げた男の充実感のようなものを感じさせてくれました。この先どういう経緯を経て監督への道をたどっていかれるのかはわかりませんが、人を育てチーム(組織)を作り、いつの日かこれぞ稲葉野球というものを見せて欲しいものです。一野球ファンとして、その日を楽しみに待ちたいと思います。

(おわり)
2014/09/25

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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