岩隈久志投手~適合能力の高さが示す、大投手への道【第26回】

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岩隈久志投手~適合能力の高さが示す、大投手への道【第26回】

日本のプロ野球もアメリカのメジャーリーグも既に全日程の四分の三以上が消化され、いよいよ大詰めが近づいています。メジャーリーグの日本人選手はシーズン当初ヤンキースの田中将大投手が大きな話題を集めていましたが、その陰に隠れてどちらかというと地味な存在であった一人の選手が、ここへきてその素晴らしいパフォーマンスで評価を急上昇させています。今回はその選手を取りあげてみたいと思います。その選手の名はシアトル・マリナーズの岩隈久志投手です。

岩隈投手は東京都出身・1981年4月生まれの33歳、堀越高校時代甲子園出場の経験はなく、1999年秋のドラフト会議で大阪近鉄バファローズから5位指名を受けプロ入りされています。プロ1年目は一軍での登板はなく、2年目の春にリリーフ登板でプロ入り初勝利をあげるも、完封勝利がひとつあったものの4勝止まり。3年目は先発ローテーションの一角を担い、大きく成長はされましたが8勝止まり。

しかし3年目のシーズンオフに21歳で結婚されたことを機に4年目から大きくブレークされます。4年目の2003年は完投試合数、無四球試合数の最多を記録して15勝10敗。5年目の2004年は開幕12連勝を記録して最終成績は15勝2敗。最多勝、最優秀投手のタイトルも獲得され、アテネオリンピック日本代表にも選出されており、日本を代表する投手のお一人としての地位を確かなものとされています。

ところがこの2004年に勃発したのがオリックスと近鉄の合併騒動です。シーズン終了後、楽天球団の新規参入に伴う選手分配ドラフトで、岩隈投手は合併球団であるオリックスバファローズに分配されたのですが、合併に際しての労使申し合わせを引き合いに入団を拒否されます。結局、紆余曲折の結果オリックス側が譲歩したことで、金銭トレードにより新生楽天ゴールデンイーグルスへの移籍が決定されました。

楽天移籍後も中心投手として1年目はローテーションを守って投げられたものの、スタート当初楽天球団自体が弱小球団であったことと、ご自身の肩の故障等の影響もあり、移籍後の3年間は9勝15敗、1勝2敗、5勝5敗と不本意な成績に終始されました。しかし故障も癒えた2008年、開幕戦でこそ勝ち負けつかず、であったものの、その後すぐに楽天移籍後初となる完封勝利を無四球で飾ってから勝ち星を量産。

最終的には21勝4敗で、最多勝、防御率(1.87),勝率、投球回数のすべてでリーグ1位の記録を達成し、チームはリーグ5位であったにも関わらず、沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、最優秀バッテリー賞等々、投手部門の賞を独占、翌年3月の第2回WBCの日本代表にも選出され、松坂投手、ダルビッシュ投手と共に先発3本柱をまかされる等、日本を代表する投手としての地位を不動のものとされました。

そして2010年のシーズン終了後ポスティングシステムでのメジャー挑戦を表明され、交渉権を得たオークランド・アスレチックスと交渉するも合意に至らず、翌年オフに海外FA権を行使してメジャー移籍を表明し、現在在籍しているシアトル・マリナーズと契約を結ばれました。

しかしマリナーズへの移籍も鳴り物入りで迎えられた訳でもなく、契約条件も日本での実績と比べると地味な内容だったように思われます。1年目である2012年の開幕当初は先発ローテーションにも入れず、中継ぎからのスタートであり、メジャー初勝利も中継ぎでの勝利でした。

しかし後半からは先発ローテーション入りし、7月の終わりに先発としての初勝利をあげて以降、シーズン終了までに先発として8勝をあげておられます。自らの与えられた役割をひとつずつこなしながら、着実かつ堅実に一歩一歩その地歩を固めていかれた様が見てとれます。

メジャー2年目となる2013年には2年の複数年契約を獲得され、開幕から先発ローテーション入りして最終成績は14勝6敗(リーグ7位)。防御率2.66でリーグ3位、投球回数219回3分の2でリーグ3位と素晴らしい成績を収めておられます。シーズン終了後には日本の沢村賞にあたるサイヤング賞の投票でも3位(ちなみに2位はダルビッシュ投手です)に選ばれています。又この年のオールスター戦の選手間投票でも選出される等、同業者である選手には既に高い認知を受ける存在になっておられます。

そして今年2014年は、この原稿を書いている8月29日現在、12勝6敗、防御率2.83という成績です。現地時間8月24日の登板では久しぶりに2回3分の1を5失点と打ち込まれましたが、アメリカンリーグのプレーオフ進出をかけてのワイルドカード争いでも、チームの主力投手のお一人として熾烈な戦いの真只中に身を置いておられます。特に8月以降の安定感は目立っており、8/24は打たれたものの、チーム内での岩隈投手に対する評価は下がっておらず、まだまだ大きな期待を寄せられているようです。

狙ったスポットに投げる能力と球を低めに集めるコントロールはメジャーでも屈指のものという評価があるようですし、速球と同じリリースポイントから正確に低めに投げることの出来るスプリットボール(低めへの落ちる球)は、メジャー最高の決め球のひとつと評価する向きもあるようです。

このように岩隈投手は日本にいた時代以上の高い評価を得つつあるような気がしますが、その裏には岩隈投手の自らの役割に徹する覚悟とメジャーリーグの流儀に合わせる為に、日本で培ってきた自らのやり方を変える割り切りの良さが見てとれます。即ちメジャーリーグの先発投手の最大の役割は中4日のローテーションを守って1年間を投げ抜くことであり、その為には仮に完投・完封が出来そうな場面でも抑えのクロ―ザ―に仕事の場を譲り、チームの勝利最優先の方針のもとで自らは自らの役割に徹するという割り切りです。

岩隈投手も日本では、ある年の最多完投数を記録された先発完投型のエースだった訳ですが、日本で育った投手は頭では理解できても気持ちや感情の面でなかなか簡単に割り切れない人が多いそうです。肩を故障された経験があったからかもしれませんが、日本時代の岩隈投手は球数が少なくても降板を申し出ることもあったらしく、一部の評論家の中にはそのことを批判的に言われる方もいたようです。

そういった意味では100球前後という球数制限をかけるかわりに、中4日で投げ抜くというメジャーリーグの流儀が、岩隈投手の元々持っておられた考え方や覚悟とうまく噛み合い、見事なまでの適合能力の高さを示しておられるような気がします。こうした高い適合能力に加えて、メジャーでも屈指とも言われ始めている高い技術水準を持っている岩隈投手に対して、監督としてはこれ程頼もしく頼りがいのある投手はいないのではないでしょうか。ここへきて岩隈投手の評価がどんどん上がってきているのも、ある意味では当然のような気さえいたします。

今シーズンの残り試合はもちろんですが、これからまだ数年に渡って岩隈投手の益々のご活躍を楽しみに応援していきたいものです。

(おわり)
2014/09/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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