山本昌投手~存在に価値あり、球界最年長投手【第25回】

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山本昌投手~存在に価値あり、球界最年長投手【第25回】

日本の夏の風物詩のひとつに甲子園での高校野球選手権(夏の甲子園)があります。夏の炎天下での負けたら終わりの戦いに日本人の多くの人々が胸を打たれます。そしてその中から毎年何人もの選手がプロ野球に進みますが、そうした若い選手の活躍に胸を踊らされる一方、近年は一昔前には想像も出来なかったぐらい年令を重ねた選手も出現しています。

トレーニング技術の進化の賜物と思われますが、今や40歳代前半の選手はあまり珍しい存在ではなくなっています。しかし49歳の現役選手というと今でも稀有な存在です。今回は49歳の現役選手、中日ドラゴンズの山本昌投手を取り上げてみます。

山本昌(本名山本昌広)投手は1965年8月11日生まれの49歳、神奈川県茅ケ崎市出身で1983年秋にドラフト5位で日大藤沢高校から中日ドラゴンズに入団されています。最初の2年間は一軍での出場は全くなく、3年目・4年目もそれぞれ1試合、3試合の登板記録は残っているものの全く結果は出せていません。

転機は5年目の1988年、中日ドラゴンズの業務提携先であったロサンゼルス・ドジャーズのマイナー組織1Aベロビーチ・ドジャーズで、日米球界の橋渡し役でもあったアイク生原(イクハラ)氏と出会ったことでもたらされます。投手の基本である低めへのコントロール、スローカーブの精度の向上etcを厳しく徹底的に指導されると共に山本昌投手の代名詞ともなっているスクリューボール(シュート系の沈むボール)も、このアメリカでの武者修行時代に習得されています。

1Aでの活躍が当時の星野監督の目にとまったことから予定を切りあげて帰国、1988年のシーズン後半から一軍の先発投手陣の一角で破竹の5連勝。中日ドラゴンズのリーグ優勝にも貢献され、負けはしたものの日本シリーズでの先発も果たされています。

この1988年のアメリカ武者修行を境に1989年以降は紆余曲折を経ながらも一流投手への階段を着実に歩んでいかれます。そして1993年、1994年には2年連続で最多勝のタイトル(1993年は防御率もリーグ1位、1994年は投球回数でリーグ1位)をとり、1994年には投手部門の最大の栄誉でもある沢村賞も獲得されています。記録ということでは1997年には三度目の最多勝と併せて投球回数、奪三振でもリーグ1位となられるなど、中日ドラゴンズの押しも押されもしないエースとして、日本を代表する左腕投手のお一人としての地位を不動のものとされています。

山本昌投手の個人記録をたどってみると、この1990年代が最も輝いていた時期のようにも見えますが、この選手の凄いところは、この時期から更に20年近くにわたって投げ続けておられることだと思われます。

体が丈夫であったことは間違いないのでしょうが、その練習量も半端ではないようで、全員休みの日でも一人ナゴヤ球場に出て、黙々と汗をかいておられることがよくあるそうです。

そして今や、選手としての同一球団在籍記録の日本プロ野球記録を更新中ですし、1984年の入団以来ずっとつけておられる背番号34番についても、同一番号を着用した選手として日本プロ野球史上最長の記録保持者となっておられます。また投手としての最年長記録(例えば45歳1ヶ月での最年長完投・完封記録、41歳1ヶ月での最年長ノーヒットノーラン、48歳0ケ月での最年長先発勝利etc)のいくつかは山本昌投手が記録保持者です。

しかし残念なことに、この原稿を書いている8月15日現在、今年はまだ一軍での登板はありません。二軍のウェスタンリーグでは数試合に登板されているものの、まだ一軍で投げる状態にまで調子が戻っておられないということなのだと思われます。来年の8月には50歳になられますが、なんとかあと1年頑張って50歳での一軍登板、そして50歳超えの勝利を実現して欲しいものです。

山本昌選手の年俸は全盛時に比べると数分の一のレベルに減額されているようですが、その給料に見合う、あるいは給料以上のパフォーマンスを発揮したいという意志のある選手に現役選手としての機会が与えられるのは、とてもいいことだと私には思えます。

ビジネスの世界でも、かつて目覚ましい活躍をしたエース級の人材が、年令と共にパフォーマンスが下がり、処遇と扱いに苦慮するようなケースがまま見受けられますが、山本昌選手に対する中日ドラゴンズ球団の処遇の仕方に、解決へのひとつのヒントが含まれているように思えます。

二軍の練習場で黙々とトレーニングに励む山本昌選手の存在は中日ドラゴンズの若手選手に有形無形のいい影響を与えているのではないかと思えます。練習への姿勢は無論のことですが、練習の合間や食事時にかわされる何気ない会話の中に、山本昌選手が培ってきた貴重な体験に基づく金言が散りばめられており、その金言の中から何かを感じ取れた選手の中から、明日のドラゴンズを支える人材が出てくる可能性を感じさせてくれます。そういった意味では、山本昌という選手の存在そのものが、中日ドラゴンズにとってかけがえのない存在であるように思えます。

ただ一野球ファンとしては、あの少しせわしない独特の投球フォームで投げる山本昌投手の勇姿を、一軍マウンドで、出来ることなら50歳を超えた姿を見てみたいと願っています。一日も長いご活躍を皆さんとご一緒に祈りたいものです。

(おわり)
2014/08/25

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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