黒田博樹選手~耐雪梅花麗、求道の野球人(2)【第20回】

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黒田博樹選手~耐雪梅花麗、求道の野球人(2)【第20回】

前回につづき、今回はアメリカに渡ってからの黒田博樹選手(現ニューヨークヤンキース)について記したいと思います。

2008年からは4年間ロサンゼルスドジャースに在籍されていますが、ここでも実に黒田選手らしいエピソードが残されています。当初球団から呈示された契約は4年契約でしたが、黒田選手からの申し入れで3年契約に短縮されています。1年短縮することで約10億円を無条件に失う訳でアメリカの代理人はこんな申し出を受けたのは初めてだ、ととても驚かれたようです。

このことについて黒田選手は、「日本で実績があるといっても全く別世界のメジャーリーグへ行くということを自分は戦地に赴く覚悟で行こうとしている。よってワクワクする気持ちはほとんど湧いてこないし、4年間もそんな苦しいことは出来ない。苦しい時間は短い方が自分は頑張れるし、3年間できちんとした成績を残せば4年目には同等かそれ以上の契約をしてもらえるはずだから・・・」という趣旨のことを述べておられます。ここにも目の前の目標にこだわり、達成できたら枠を広げていく、という黒田選手の生き方が映し出されているように思えます。

結局ロサンゼルスドジャース時代の4年間(3年+1年)は9勝10敗、8勝7敗、11勝13敗、13勝16敗という成績でしたが、開幕投手に選ばれたものの二度の故障者リスト入りがあった2年目の2009年を除き、毎年200イニング近く、ないしは200イニング超を投げ抜かれています。黒田選手が自ら語っておられるところによると、メジャーに移籍して最も大変なのは中4日でシーズンを投げ抜くということだそうです。話には聞いていて頭ではある程度理解しておられたようですが、実際に経験してみてこれ程大変であるということを改めて再認識されたそうです。

アメリカは国土が広く、ロサンゼルスのナイターで投げた後、5~6時間かけて東海岸に移動しデーゲームの登板に当たると正味は3.5日しかありません。しかも登板のない日の過ごし方が日本とアメリカでは全く違っており、日本のように移動日の練習なしや先発投手であれば球場に行かなくてよい日の設定がなく、遠征で出番がなくても全戦帯同してベンチ入りすることが基本となっている為、日本とはリズムが全く違うそうです。

結局黒田選手は日本と同じように調整していたら絶対に体がもたないと感じ、メジャーリーグで生きていく調整法を模索していかれることになります。即ち日本で積み上げてきたスタイルをあえて自分から捨てることを決断された訳です。

「心技体」という言葉がありますが、メジャーリーグで最も大切なのは「体」であり、体を中心に物事を考えるようになられたそうです。そのうちのひとつに極力ブルペンでの球数を減らして体の調整を重視し、納得するまで投げるという習慣を捨てるという頭の切り替えをされたようです。更には日本の先発投手が皆持っておられるであろう完投へのこだわりも捨てたとのことです。

メジャーリーグのローテーションピッチャーとしての役割を果たす為、環境に順応する為の試行錯誤を繰り返し、中4日で投げ抜く自らの調整方法が確立できたのは4年目の2011年であったそうです。

このことひとつを見てもメジャーリーグで先発投手としてローテーションを守り抜くことがいかに大変なことかがしのばれます。

黒田選手はアメリカでの4年間の実績をもとにニューヨークヤンキースへ移籍された訳ですが、実はこの間ヤンキースへ移るか古巣の広島カープへ戻るかで、悩みに悩まれたようです。いったんは広島へ戻ると決めて代理人を通じてヤンキースに断わりを入れたものの、何かが違うという思いと時差の関係で広島に代理人を通じての返答がまだなされていなかった為、もう一度ヤンキースに再考の時間を欲しいという連絡を入れたところ、ヤンキースが結論を急かすのではなく、もう一日考える時間をくれたことがヤンキース入りを決断した決め手となった、と著書に記しておられます。

ヤンキースの一員となられた最初のスプリングキャンプのミーティングで各選手が自らの好きな言葉を紹介する機会があったそうですが、その場で黒田選手は西郷隆盛が詠んだ漢詩の一節で、自らの座右の銘ともしている「雪に耐えて梅花麗し」(耐雪梅花麗)を紹介されたそうです。梅の花は寒い冬を耐え忍ぶことで春になれば一番麗しく咲く、という意味ですが、これは黒田選手が信条とする「苦しまずして栄光なし」という考え方に通ずるものです。

これに対し主将のジーター選手は、「彼の詩は我々に直接あてはめられるもの。良い時も悪い時も変わらず汗を流し続けることが大事だし、頑張れば必ずその報いがあると理解し、心を打たれた」と述べられたそうですし、ジョー・ジラルディー監督はわざわざ梅の花の写真を探し、自らのパソコンの壁紙にしておられるようで、今やヤンキースのチーム精神を支える言葉ともなっているようです。

ヤンキースに移られてからの2年間は16勝11敗、11勝13敗で両年とも200イニング超を投げておられます。3年目の今年は成績は少し伸び悩み気味ですが、開幕以来田中将大投手と共にローテーションを守って投げ続けておられます。まだまだシーズンの先は長い訳ですから、ぜひ頑張って欲しいものです。

野球人黒田選手の姿勢には自らの仕事に対する凄まじいまでの自負が感じられますし、自らの責任を果たす為には積み上げ培ってきたものでさえも捨て去る覚悟が見て取れます。

組織の中で黒田選手のような部下を持った上司は仕事がしやすいでしょうし、同じレベルの同僚には頼れる存在のはずです。又ずっと歳の若い選手には学ぶべきものを沢山持ったロールモデルであるはずですし、何よりもチーム全体に好影響を与えてくれるはずです。

黒田選手のような方がどこにもかしこにもいるとは全く思いませんが、上宮高校で補欠であった選手が、自分の目の前のナンバーワンを目指し続けた到達点がニューヨークヤンキースであったことを考えると、人間にはとんでもない可能性があるのかもしれないことも教えてくれます。黒田選手の益々のご活躍を皆さんとご一緒に祈りたいものです。

※参考文献:「決めて断つ」 黒田博樹・著 KKベストセラーズ

(おわり)
2014/06/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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