人材を生み出す組織の力【第11回】

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人材を生み出す組織の力【第11回】

前回「切磋琢磨の生み出す魅力」として秋山・伊東・渡辺の三人の監督を取り上げましたが、どういう背景の中からこの同世代の三人の監督たちが出てこられたのか、とても興味を引かれ色々調べてみました。

この三人の方々は高校卒業後西武ライオンズに入団されましたが、それぞれの入団年次は秋山監督1981年、伊東監督1982年、渡辺監督1984年です。

そもそも西武ライオンズは福岡に本拠地を構えていた西鉄ライオンズ(後に太平洋クラブ、クラウンライター)の流れを汲むチームで1979年に所沢に本拠を移設し、現在のチーム体制になっています。

西武ライオンズとなった当初の三年間(1979~1981)は最下位・4位・4位と低迷し、1982年シーズンより広岡達朗氏が監督に就任され、森昌彦氏(現在は祇晶氏)がバッテリーコーチに就任されました。

ここから常勝チームとしての歩みが始まり、1982年シーズンは西武ライオンズとして初のリーグ優勝、中日を下して日本シリーズも制覇、翌1983年も巨人を下して二年連続の日本一となっています。

広岡監督は1982~1985年の四年間監督を勤められましたが、秋山・伊東・渡辺の三選手はまさにこの時代に若手としての鍛錬を積み、広岡監督在籍時の後半に主力として台頭されています。

広岡監督と言えば管理を徹底した方として有名ですが、当時のプロ野球界ではキャンプの食事に焼き肉が出てビールがズラーッと並ぶなんてこともさして珍しいことではなく、元々プロ野球選手の食生活のあり方に疑問を感じておられたことから、広島カープでのコーチ時代にも当時の監督に食生活管理の提言をされていたようです。

ご自身が西武の前に監督を勤められたヤクルト時代、故障者があまりにも多くでた際、ある方から「食べ物が悪いのではないか。白米を玄米に替えてみては・・・」というアドバイスを受けられたのが、玄米食と自然食品の摂取および肉の摂取量を制限する本格的な食生活管理の始まりだったようです。

集団行動の規律を重視し、選手の日頃の生活態度全般も厳しく管理されたようですが、一方で野球に関してはディフェンス重視の考えのもと、徹底的に選手を鍛え上げられたようです。それが就任一年目からの優勝という形で花開いたのだと思われます。

広岡監督時代に入団され、一年目から一軍に定着されていた渡辺監督は「入団時はとんでもないところへ来たと思ったけど、自分の礎は広岡さんに作ってもらったし、野球に関してあんなに厳しい人はいなかった。若い時に広岡さんに出会えた自分は本当に幸運だった」と述べておられます。

また広岡監督時代に主力捕手の地位を確立された伊東監督は、基本の大切さを教えられた最も影響を受けた野球人として広岡監督の名前をあげられています。

一方でヤクルト・西武と広岡監督のもとでコーチを勤められた森氏は、広岡流の管理を選手に徹底させる役割を担っておられたようで、選手からの嫌われ役でもあったようです。

ただ選手に対する管理の考え方やスタイルは、元々お二人の間に相当な違いがあったようで、広岡監督の4年目のシーズン(1985年)は森氏はコーチを辞任され、広岡監督退任後の1986年から西武の監督に就任されています。

このお二人の違いについて、当時の主力選手のお一人でもあった辻発彦氏は自著の中で「広岡監督は選手を褒めることがそもそもなく、それが持ち味だったが、森監督は選手のいいプレーを必ずミーティングで褒めてくれていた。一方で試合でエラーをして落ち込んでいる時、深夜に森監督から電話をもらうなど細かい気遣いもしていただいた。選手がゲームボーイなど当時の新しい遊び道具に熱中しているのを見ると、叱るより前にまず自分が買ってみて、その面白さを体感してから「ほどほどにしなさいよ」というような穏当な理解者の面も持ってくれていた」と述べておられます。

森監督は選手の管理について、時代背景というものはどんどん変わっていくものであり、若い選手の時代背景を理解しないままに「あれをやってはいけない。これをやってはいけない」ということは、絶対に言ってはいけないことだと語っておられます。

森監督のやり方は、管理野球に徹し選手からかなりの批判にさらされた広岡監督の方針とはかなり異なっていたようで、現に自らが監督にご就任された際には、広岡監督時代から強制的に行なわれていた健康食管理もすぐに辞めさせたようです。

日本ハムファイターズの監督を勤められ、晩年は球界のご意見番的な存在だった故大沢啓二氏は自著の中でこんなことを述べておられました。

「広岡と森はプライベートじゃほとんど口もきかない。ただ試合になるとチームの勝利のためにプライベートの確執を忘れて協力しあう。これこそが本当のプロフェッショナルだと思った。この二人のプロ根性が西武を強くしたことは間違いない。」

秋山監督・伊東監督・渡辺監督の三人は若手としての鍛錬の時期、自らが主力として台頭した時期、そして常勝チームで自らが中心選手として屋台骨であった時期を広岡監督、森監督のもとで時を過されています。

ある野球評論家の方が、西武の「育てながら勝つ」という伝統は広岡時代に始まったものだが、秋山・伊東・渡辺の三人の監督もその基本線のもとで采配を振っているように見える、と書かれていたのを目にしました。

やり方や考え方にかなり違いはあったようですが、私には広岡監督・森監督と受け継がれてきた系譜の中から三人の監督が生まれてきたように思えてきました。

組織の目的(プロ野球チームの場合は勝つということ)にブレがなく、一貫性のある方針のもとで迷いのない活動が行なわれる強い組織からは、人材も育ち輩出されてくるのかな、ということを学んだ気がいたします。我々も次代の人材を次々と生み出していけるような組織の運営を心掛けたいものです。

(おわり)
2014/02/10

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筆者プロフィール

fukuyama福山義人氏 元 (株)CSKホールディングス社長
株式会社マネジメント・サポート 代表取締役 福山義人氏1949年生まれ。慶應義塾大学卒業後、現(株)SCSKに入社。創業オーナー大川功氏に師事し、新規顧客開拓担当、営業マネジャー、管理部門マネジャーを経て、2005年代表取締役社長に就任。退任後、(株)マネジメント・サポート設立。現在は、創業オーナーに仕えた経験と自らの社長経験をもとに、若手経営者へのサポート及び講演活動等に従事。

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